勝ちたいなら、戦え

 カイナは格闘家、武道をこころざ無頼ぶらいである。

 難しいことはわからないし、国や世界の命運を考えたことはない。

 ただ、守りたいものがあった。

 守れなかったし、それでもまだ守りたい。

 我が身が欠けてこぼれても、そのために戦うと誓ったのだ。

 そんな彼が今、魔王オロチの前に拳を握れずにいた。

 そして、友の声はそんな彼を叱咤しったする。


「カイナッ! 待たせたな。さあ、僕たちの……僕たち三人の旅を、終わらせるぞ」


 その場の誰もが、振り返った。

 そこには、満身創痍まんしんそういの剣士が立っていた。血に濡れ、剣を引きずりながら歩いてくる。

 セルヴォだ。

 戦場で皆を率いていた彼は、カイナを見て「ふむ」と割れた眼鏡めがねを指で押しあげる。そうして、彼はゆっくりとカイナに歩み寄ってきた。その一歩一歩が真っ赤な足跡をきざむ。

 居並ぶモンスターが皆、その姿に気圧けおされ道を譲った。

 目の前まで来て、セルヴォは意外な言葉を放った。


「……やれやれ、僕は、僕たちは……頼り過ぎていたな」

「セ、セルヴォ、その傷は。戦場は」

「――歯を食いしばれ、カイナァ!」


 不意に、衝撃が突き抜けた。

 カイナは、思い切りほおをセルヴォの拳骨げんこつに打たれた。

 それは弱々しく、振るうだけで命がれ出るようなこぶしだった。

 だが、カナイはその場に崩れ落ちた。

 そして、目の前に手が差し伸べられる。


「目が覚めたか? カイナ。ああ、そうそう……僕たちは、勝った。魔王軍の主力は、散り散りに逃げて消え去った。僕たちレジスタンスの、勝ちだ」

「セルヴォ、俺は」

「戦争とは、明確な目的を定義し武力でそれを押し通す行為。カイナ、魔王オロチの戦争は終わったんだ。……だから、お前は僕たちと、お前だけの戦いを終わらせるんだよ」


 信じられない言葉だった。

 圧倒的な魔王軍の物量に対して、反魔王レジスタンスの残存兵力は数百人だった。

 だが、どこかで信じていたし、信じたかった。

 万事を尽くして、できることはすべてやった。

 だからこそ、祈るように信じてこの場に来たのではないのか?

 そこの想いが、セルヴォの手を取り立ち上がる。

 ユウキの声も、そんなカイナの背を押した。


「そうだよっ、カイナ君っ! 大丈夫、わたしがついてる! カルディアさんの代わりにはなれないけど……わたしも必ず、最後まで一緒に戦うよっ!」


 ユウキは、角をあしらったきらびやかなティアラを外して投げ捨てた。そのままドレスのすそを千切って、切り裂き捨てると駆け寄ってくる。

 傍らでは、シエルも震える声を振り絞っていた。


「は、はは……大詰めだな、カイナ。君も覚悟を決めたまえよ」

「シエル、お前まで」

「俺は無力だ、君たちのような力はない。けど、君たちを支えることはできる。できると言わせてくれ……君たちの選択を、俺は支えたいんだ」


 カイナの中へと、無数の熱量が入り込んでくる。

 それは、心の奥で凍ってしまった闘志に火をつけた。

 正論も駆け引きも、すでに意識の埒外らちがいへと遠ざかってゆく。

 正しさなど求めていないと気付いたし、全てを余さず拾って救うことなどできない。だが、カイナにはやりたいことがあった。貫き通すと決めた誓いがあった。

 覚悟と決意を思い出したのだ。


「……魔王オロチ。過去の真実、今の魔族の現状はわかった。ならば俺は……それでも、守りたいもののために戦うッ!」


 すぐに魔法を念じた。

 その鋼鉄の右腕に、先ほどつけられた腕輪が輝き出す。

 だが、構わずカイナは光の魔法陣を広げた。

 カエデが目を見開き、震えながら叫んだ。


「ばっ、馬鹿な! 魔法は封じてあるはずです!」


 構わずカイナは、魔力で収納した荷物を引っ張り出す。それを見もせず、次々とユウキへと投げつけた。アームレッグ、そしてチェスト……輝く重金属の鎧が、バラバラのままで宙を舞う。

 ユウキは、その全てを受け取り空中で身に着けていった。

 そして、鉄壁の要塞少女フォートレス・リリィが隣に並び立つ。


「カイナ君、あの子を止めないと……これ以上、オロチ君に魔王をやらせちゃ駄目」

「ああ」

「セルヴォ君も、シエルも手伝って! 話し合いとか駆け引きとか、今は関係ないよ……そういう、小利口こりこう小賢こざかしい、小さいことは今っ! わたしたちの未来に繋がってないから!」


 セルヴォが大きくうなずく。

 カイナも無言で首肯しゅこうを返した。

 そして、強がり怯えるシエルの腕を握る。

 その手首に光る腕輪を、鋼の右腕で粉砕して……冷たい義手から体温を伝える。


「カイナ、君は」

「力を貸してくれ、シエル。お前が、そしてみんなが必要だ。俺は……お前たちを守りたいから、戦う。魔王オロチを止めて、このユグドルナで明日も生きていく」


 迷いは消えた。

 躊躇ためらいも戸惑とまどいも、今はない。

 カルディアの仇討かたきうちという気持ちでもなかった。

 そして不思議と、オロチへの共感が胸中に確かだ。


「オロチ、俺はお前と戦って、この拳でお前を止める」

「カ、カイナ、そんな……まだ、話は途中で。もっと、交渉を」

「断る。もう、お互いに大勢の人間を戦わせなくていいんだ。もう、それは終わった……勝敗じゃない、もう誰も……自分以外を戦わせなくていいんだ」

「ぼ、僕は、それじゃあ……僕には、無理だ。僕は、弱い。カイナのように強くはないんだ!」

「強くなければ戦えないのか? それは違う。それをまず、言葉ではなく拳で俺は語らう!」


 ドン! と踏み締めた震脚しんきゃくが、王宮の中庭を震わせる。

 今、カイナの心が澄み渡って風にそよぐ。

 風が吹いていた。

 清水しみずごとく透き通った、静かに燃える風だった。

 その風を今、全身で表現する。

 カイナの想いは言葉ではなく、五体の力と技に満ちていた。


「……僕は、弱いんだ。ずっと、なにもできなかった……魔族の封じられた過去を知っても、立ち上がるのがやっとだった」

「お前は立てた。それでもったんだ。次は歩くし、走ることもできる。戦え、オロチ……誰かを戦わせるのではなく、お前が、お前自身が戦うんだ」

「できないよ……だって、勝てない。僕が負けたら、もう魔族のみんなは」

「勝てるとわかっている戦いは、もう戦いではない。お前は確実な勝ちだけを拾って、それでいいと思うだけの男ではないはざだ。魔族の未来を背負った魔王、オロチとはそんな小さな男ではない筈だ!」


 カイナの言葉に、ビクリ! とオロチは震えた。

 そして、気付かうカエデをそっと手で制する。

 彼は、また泣いていた。

 泣きじゃくりながらも、涙が零れるままに顔をぐちゃぐちゃにして歩み出る。

 そこには、先ほどまでの魔王の姿はなかった。

 カイナと同じく、守りたいものを背負った少年の顔があった。おびえてすくむ中で、オロチは泣きじゃくりながらも逃げようとしない。

 そう、思えた。

 それは、カイナが強いからだ。

 そして、弱い人間には戦いは辛く苦しく、勝利の見えない中では絶望にも等しい。


「オロチ様っ、御身おんみはまずは後方へ。戦うのは私たちが」

「いや、いいんだ……カエデ、僕は……僕にはまだ、手がある。策があるんだ。最後の手段、切り札がさ。それがあれば……君たちを、守れる」

「ま、まさか……お待ちください! いけませんっ!」

「僕は、魔族の未来を切り取ると誓ったんだ。どれだけみじめで卑怯で、みっともなくても……僕はっ! みんなのためなら、戦えるんだっ!」


 涙と鼻水にまみれて、オロチが叫んだ。

 それは、手負いの獣の咆哮ほうこうでも、死んでゆく魔物の断末魔でもなかった。

 未来を選んで手を伸ばす、一人の少年の意思だ。

 それをカイナもまた、己の意思で受け止め、ぶつけ合うことから逃げない。

 ほかにやりかたを知らないし、誰かの犠牲で外堀を埋めるような対話はいらない。

 弱いか強いかも、もう関係ない。

 大切な仲間も、未来も明日も……戦わなければ守れない。

 それは、周囲のモンスターたちにも空気で伝わった。

 人の言葉を介さぬ多くの魔物が、そして亜人たちが……悟ったように雄叫おたけびを張り上げる。激震する大気の中で、敵意と殺意に囲まれて尚、カイナにはそれが心地よい。

 苦々しげに呟くカエデもまた、声色が熱く燃えていた。


「くっ、こんな……こんな愚かしいことって。だが、さいは投げられたか。ならば! 総員、オロチ様をお守りして! この人間が……カイナたちが最後の勇者! 倒せば、その先の未来は私たちのものだ!」


 カエデが声を張り上げ、前に出てくる。

 彼女は、周囲で猛る魔物たちを一瞥いちべつして、小さく笑った。

 そして、魔王軍最強のあかき死神が姿を現す。

 魔法で巨大な長柄の鎌デスサイズを取り出すと、カエデは表情を一変させた。


「そう、ですね……もう一度、もう一度だけ……最後に、私はオロチ様を守る死神をやりましょう。――さあ、お前たちっ! あたしに続きな! 逃げる奴は殺す、無駄死にするやつも殺し殺すよ! 気張りな、いいね? 勇者たちをやっちまいな!」


 王宮の中庭が、激闘の闘技場コロッセオと化した。

 四方八方から、地鳴りを響かせモンスターが襲い来る。

 圧倒的な物量差、多勢に無勢だ。

 だが、たった四人の勇者は誰もが笑みを浮かべていた。

 望んだ戦いで、その先に待つものを共有するからこそ勝利を欲して求める。

 その気持ちが満ちて、背を押す風を感じていた。


「決着をつける……ぬかるなよ、みんな! 握ったこの手に、この拳に! 俺は、俺たちは! 未来を必ず掴み取る!」


 誰もが一斉に地を蹴った。

 共に求めるものは、同じ。

 平穏と平和、そして幸福だ。

 それを探す中で、お互いに失い過ぎたから。

 それでもまだ、守りたいものがあるからこそ、戦いを選ぶ。

 今、ユグドルナの命運を賭けた最後の戦いが始まったのだった。

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