大義の旗と、誓いの覚悟と

 魔王オロチは、配下のカエデを連れて去った。

 それを今は、幸運だったとカイナは心に結ぶ。

 魔族の王を名乗るだけあって、オロチの魔力は桁違けたちがいだった。戦闘不能のカエデを、一瞬で治療してしまった。その力を攻撃に向ければ、苦戦は必至だろう。

 カルディアを失った戦いが、自然と思い出される。

 魔王オロチは、まだカイナたちの知らない攻撃手段を持っている。それは、術者として魔法に長けたカルディアから、いとも簡単に命を奪ったのだ。


「カイナさんっ! これ、どうぞ。熱いですから、気をつけてくださいっ」


 ふと声がして、カイナは思考に沈んでいた自分を肉体に呼び戻した。

 すでにレジスタンスの面々は、命からがらオラクルの街へと戻っていた。そして、セルヴォの生還で皆が息を吹き返している。被害は甚大だったが、幸いにも死者は出ていない。

 重傷者に関しても、シエルが七面六臂しちめんろっぴの大活躍で治療に当たってくれている。

 魔法ではなく、科学的な薬学での手当て、医術に皆が驚いていた。

 だが、情勢は極めて深刻だ。

 カイナはレジスタンスの本部に戻って、皆と今後を協議する場にいた。


「ありがとう」

「お礼を言うのは私のほうですっ! また、カイナさんに助けられました」


 例の姉妹の、姉の方だ。

 彼女はそばかすの浮かんだ表情をクシャクシャにして笑う。

 そして、感謝の言葉にカイナも同じ想いを返した。


「いや、俺も礼が言いたかった。俺の代わりに、セルヴォを守ってくれてありがとう」

「そ、そんなっ! 結局私ごと、カイナさんはセルヴォさんを救ったんです」

「それは、俺がいない間にお前が頑張ってくれたからだろう。感謝している」


 カイナが頭を下げると、少女はアワワと口ごもった。

 真っ赤になって、慌ててカイナにマグカップを握らせるや、走り去ってしまう。その背を見送り、フムとカイナはうなった。

 やはり、年頃の乙女にはわからないことが沢山ある。

 ふるさとのサワもそうだが、好きな人間は皆、カイナの気持ちに対して千差万別せんさばんべつな反応を見せるのだ。不可解、摩訶不思議まかふしぎ、そして理解不能だが妙にくすぐったくて心地よい。

 そんなカイナの心境を、執務室の机にひじを突くセルヴォが笑った。


「カイナ、お前は……変わらないな」

「ん? なにがだ。いや、俺は変わったぞ。以前より強くなった」

「そういう話をしてるんじゃない。まったく……その様子では気付いてないな?」

「いや、知ってるさ。理解が遅かったが、遅過ぎはしない」


 カイナは熱い茶に口をつけて、くちびるを湿らせる。

 そして、ほのかな苦味と共に熱を体内へ招いて溜め息をこぼした。

 改めて、自分がいるべき場所を実感している。

 ここから進む、その先を見定めることから始めたい。

 そんなカイナに、やれやれとセルヴォは肩をすくめてみせる。


「お前は昔からそうだな。カルディアも難儀なことだっただろう」

「な、なんの話だ?」

「いや、いい。カイナ……ありがとう。また、俺と共に戦ってくれるか?」

勿論もちろんだ。そのために俺は今、ここにいる」

「さしあたって、レジスタンスの全戦力を再編成する。思い知ったよ、僕は、銃の威力を過信していた。見事な失態を演じてしまった訳だが」


 クイと眼鏡めがねを手で押し上げ、光の反射でレンズの奥を隠すセルヴォ。彼も机の上のティーカップを手にして、ゆっくりと茶葉の香りを吸い込んだ。


「なにはともあれ、まずは今後の指針を話し合おう。それに、僕も戦い方を改める。今のままでは……僕はカルディアのかたきを討ってやれない」

「そうだな。お前は少し焦り過ぎた。仲間は盤上ゲームこまじゃない。皆、たった一つの命で戦ってくれる、だから仲間なんだ」

「耳が痛いな。さしあたっては……まず、魔王オロチのことをもっと知るべきだ。そうだろう? ユウキ」


 不意に執務室のドアがノックされ、返事も待たずに一人の少女が現れる。

 それは、沐浴もくよくで汗を流してきたユウキだった。彼女は濡れた髪を大きなタオルで拭きながら、酷く薄着でやってきた。大柄な巨漢が着るサイズのシャツを一枚だけ、まるでコートのように羽織はおっている。

 ちょっとしたワンピースみたいだが、サイズが大き過ぎて肩から今にも滑り落ちそうだ。そして、あられもなく露出した胸元や鎖骨の辺りが、熱い湯の温もりを吸ってほのかに紅潮こうちょうしている。


「お待たせー、なんの話してたの? あ、わたしは冷たいものがいいなあ」

「わかった、なにか見繕みつくろってもらおう」

「やた、ラッキー! って、セルヴォ君、ちょっと雰囲気変わった?」

「変わらざるをえないさ。僕は戦いの中で戦いを見失っていた。統率とうそつの取れた銃の使い手を並べて、その集団が一つの生き物のように統一された意思で動く。そういう軍隊の真似事まねごとをして負けたのさ」


 セルヴォは部屋のドアを開けて、廊下の誰かを掴まえるなり飲み物を頼む。

 そして、再びユウキに向き直った。


「すまなかった、ユウキ。僕は短慮たんりょだった。君の馬鹿力と異常な突破力、なにより……魔王オロチの情報をもっと活用すべきだった」

「んー、ちょっとちょっと! それ、褒めてる? なんか微妙だよぉ」

勿論もちろん、褒めている。また、力を貸してくれるか?」

「えー、どうしよっかなー?」


 そうは言いつつ、ユウキは嫌な顔をしていない。

 その証拠に、ちらりと視線をカイナへ走らせ無言で後押しをねだってきた。

 だから、カイナは黙って大きくうなずいてやる。


「ま、いいよ? わたしもオロチ君は絶対に止めたいし。そのために、みんなに力を貸してほしいの。また、一緒に戦おうよ」

「助かる。ありがとう、ユウキ」

「なんか、らしくないなあ。セルヴォ君ってそゆキャラだっけ? ふふ、でも、いいよ。凄く、いい。ねっ、カイナ君?」


 ようやくセルヴォは、一緒に旅していた頃の彼に戻ってくれた。ユズルユ村のわんぱくトリオの、頼れる参謀役にして知恵袋、思慮深く冷静なーダーの姿がそこにはあった。

 あの日の三人はもう、二度と三人にはなれない。

 でも、この喪失感を見知らぬ誰に味あわせてはいけないのだ。


「ユウキ、改めてよろしく頼む。俺がお前を必ず守る……今度こそ、守りたいものを全て守る」

「またまたー、真顔で言ってくれちゃって。……んもぉ、直視できないじゃん」


 耳まで真っ赤になって、何故かユウキは目をそらした。

 だが、溜め息一つで気持ちを切り替えると、自分が知りうる限りのことを話し始める。


「もう知ってると思うけど、わたしはこのユグドルナの人間じゃないんだ。地球の日本ってとこから来たんだけど、まあそれは置いといて……オロチ君のことと、魔族のことね」


 魔王オロチの挙兵は、このユグドルナを長らく治めてきた支配体制を滅ぼした。既にもう、王家の威光は失墜し、貴族たちによる統治は過去のものになりつつある。

 そのことで、オロチはなにかを得たのだろうか?

 彼に目的があるとすれば、達成されたのだろうか。

 その答はもう、カイナやセルヴォにも心当たりがあった。


「カエデは聖戦と言っていた。つまり、オロチにはオロチの大義名分がある。とすれば、それは一つしかないだろうな」

「カイナ君、そゆこと! 彼は、しいたげられた魔族を救うため、このユグドルナを切り取ろうとしている。人間から奪った土地に、魔族が平和に暮らせる国を築こうとしてる、と、思う」


 想像だに難くない。

 そして、はいそうですかと許すこともできないだろう。

 話が核心に迫る中、不意にドアが開かれた。

 同時に、ユウキに冷たい水の入ったボトルが放られる。

 そこには、疲れた顔をしたシエルの姿があった。


「水分補給だ、飲みたまえよ。代金はツケにしておくからさ」

「わっ、とと、とっとっと……えー、お金取るの?」

「払えるレベルでしか要求しないから、安心してほしいな。で、魔王オロチの話だね?」


 シエルは、血に汚れたエプロンを外してたたむ。

 そして、魔法で収納されたなにかを取り出した。

 それは、銃だ。

 長い銃身のマスケット銃だが、皆が使っている物とは少しだけ意匠が異なる。


「さっき、君たちも見ただろう? もの凄い魔力量だ。あれなら、かつては天の星すら落としたと言われる禁術きんじゅつすら容易たやすく使いこなせるだろうね」

「うわ、隕石落とし的な? そういうの、あるんだ……」

「ただ、俺が知る限りでは、オロチはそうした禁忌きんきの魔法は勿論、攻撃魔法を使ったという話を聞いたことがない。そればかりか、自分の軍へ参加するモンスターたちを自ら率先して癒やしているんだ」


 入念に銃を点検してから、それをシエルはセルヴォに突き出した。

 受け取ったセルヴォが、わずかに目を見開く。


「新しい銃か? 少し重いな。だが、従来のものとあまり変わらないようだが」

「今の俺が持ち歩いてる数は三百丁しかない。銃口を覗いて見給えよ」


 言われるままにバレルの中を覗き見て、ハッとした表情でセルヴォは固まった。


「内側になにか彫ってあるが……なるほど、これは」

「わかるかい? それは旋条痕せんじょうこん、ライフリングというんだ。だから、これを俺はライフルと呼んでいる。撃ち出す弾丸に螺旋の円運動を与えることで、弾道が安定するって仕組みさ」

「この工作の精度、大変じゃないのか? 手がかかってる印象だが」

「いやもう、大変なんてもんじゃないよ。量産するには、もっと大きな機械と工房が必要だね。さて、セルヴォ……反魔王レジスタンスのリーダーとして、いくらなら買う?」


 見目麗みめうるわしい少女の姿をしていても、シエルという男は意外と金にうるさい。

 そして、セルヴォは表情一つ変えずに「言い値で買おう」と即決した。


「まいどあり、威力も射程も1.5倍はよくなってるからさ。今ある三百丁、全部売った」

「動ける者たちは以前より少なくなっている。だが、三百人なら集められそうだ。……決戦を挑むぞ、僕は。みんなも、頼む」


 カイナも異論はない。

 魔族の王として、オロチには戦う理由がある。

 同時に、カイナにもあらがう訳があった。決して譲れぬ、それは大切な人たちを守る戦い。もう、二度とカルディアのような人間を出してはいけないのだ。そして、まだ親しい誰もカルディアの待つ場所に向かわせたくない。

 ユウキも、満面の笑みで快諾してくれた。


「とりあえず、シエルは発明品だけは一流だからね。で、セルヴォ君……ちょっち提案なんだけど」

「ん? なんだい、ユウキ。脳の筋肉をあまり酷使すると、知恵熱が出るが」

「誰が脳筋かってーの! いいからちょっと、耳貸して。ゴニョニョ、ゴニョゴニョ――」

「――ほう? 興味深いな。なるほど、そういう手があったか」

「そゆこと。んじゃ、あとの細かいことは男の子同士でよろしく。わたし、ちょっと鎧を洗わないと。返り血でべっとりだし、綺麗にしないとね」


 そう言って、勝ち気な笑みを浮かべてユウキは去ってゆく。

 その背を見送るカイナは、彼女の溌剌はつらつとした明るさが少し気になった。短い時間の中で、ユウキの人柄や性格を知った。匂いやぬくもり、柔らかささえ知ってしまった。

 今のユウキは、少し無理をしているように思える。

 呼び止めようと思ったが、出てゆく彼女は少しだけ脚を止めた。


「わたし、さ……本当はオロチ君を命がけででも、止めなきゃいけなかったんだと思う。そのチャンスを逃しちゃってさ。わたしのミスなんだよね……カルディアさんも、カイナ君の右腕も」


 肩越しに振り返って、ユウキは「ゴメンね、ほんっ! とに! ゴメン!」と笑った。

 そうして、湿っぽい空気を微塵みじんも残さず出ていった。

 そんな彼女の笑顔が、不思議とカイナの胸を締め付ける。

 言葉にできない想いがまたしても、胸中に広がり鼓動を高鳴らせるのだった。

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