激闘、そして降臨

 目の前に今、妖艶ようえんなる美貌が微笑ほほえんでいた。

 魔族特有の青白い肌に、ひたいの中央から長く伸びる一本の角。すらりと細身で肉付きは薄く、酷く痩せて見えるが武器は大鎌おおがまだ。真っ赤なドレスを着崩したような、酷く露出の激しい様はまるで毒の花。

 以前、カイナはこの女に敗北した。

 だが、今は全く怖くない。


「魔王オロチ様の聖戦を妨げる、レジスタンスねえ……ふふっ、今度は腕だけじゃすまないわよぉん?」


 真っ赤なくちびるを、ニィィとゆがめて女は笑う。

 だが、カイナは意に返さず身構えた。


御託ごたくはそれだけか? 言い残すことがないならかかってこい」

「あらやだ、雑魚ざこに構ってなんかいられないわ。今からあんたたちレジスタンスを、根絶やしにしてあげるんだもの。わかる? 邪魔なの、皆殺しよ?」

「できるもんならやってみろ。以前の俺と同じだと思わないことだな」


 真っ直ぐにらんでカイナが前に出る。

 背後ではセルヴォも両手で剣を構えていた。

 刹那せつな、不意に空気が激変する。

 それは、カイナが鉄腕を振り抜くのと同時だった。僅かに空気を揺るがすさざなみは、女が振るう武器の余波。それを刃ごと受け止め、カイナはその手に握り締める。

 速度と重量とが乗った、強烈な一撃だった。

 だが、その威力を完全にカイナは握り潰した。

 大鎌を横一文字に振るった女が、片眉かたまゆを跳ね上げる。


「ハッ! あたしの一撃を止めるのかいっ!」

「この手はすでに我が肉体、そして防具であり武器!」

「面白いねえ! なら、踊らせてやるわっ!」

「お前のような女とダンスする趣味はない。踊りたければ一人で踊れっ!」


 鋭い刃を、渾身の力を込めて掴む。

 さらにその手に力を込めると、断頭台ギロチンにも似た死神の鎌がピシピシとひび割れ泣き出した。思わず女も、表情を一変させる。

 既に周囲のモンスターたちは、二人が向き合う中で生まれる重苦しい空気に、まるで窒息を恐れるように後ずさっていた。


「こいつっ、あたしの大事な得物えものにっ!」

「そうか、大事か……なら、家に飾っておくんだな!」


 渾身の力で、グイとカイナが大鎌を引っ張る。

 引きちぎるように、パワーに任せて女ごと宙へと放り投げた。

 すかさずセルヴォが、さらにその上へとんで剣を振り上げる。

 カイナもまた、全身の筋肉を捩って天へと蹴り上げを放った。

 瞬速の剣と、蹴りによる氣斬での上下挟撃はさみうち……だが、敵もさる者、不安定な空中で魔法陣を広げる。呼び出した炎の力を発した、その反動で女は地面へと舞い降りてきた。

 先程の玲瓏れいろうなる笑みはもう、女にはない。


「人間っ! このあたしに……カエデ様によくもっ!」

「すまん、カイナ。外した」

「気にするな、次で終わりにする」

「ちょっと! あたしの話を聞きなさいよっ!」


 以前は、不規則な大鎌の太刀筋たちすじが全く見えなかった。

 気がついたら、右腕が切り落とされていたのだ。

 それに気付いて、地面に落ちた腕を見てから、激しい痛みが熱く襲ってきた。さらに遅れて、大量の血が流れ出したのを覚えている。

 だが、今ははっきりと敵の動きが……カエデの攻撃が見えた。

 視界の外からリーチを活かして伸びる攻撃も、肌で感じられる。

 右腕を失い、足掻あが藻掻もがく中でカイナは新たな境地へ踏み込んでいたのだった。


「俺の名は、カイナ。そしてこいつは友のセルヴォ。お前を倒す勇者の名だ」

「おい待て、カイナ。僕はいい、こいつはお前にゆずろう」

「そうか? では、遠慮なくやらせてもらうっ!」


 セルヴォが剣を鞘に収めたことで、カエデの怒りは爆発した。

 先程にもまして暴力的なスピードが、あっさりとカイナの動体視力を振り切る。目で追えぬ速さは、残像を周囲に振りまき殺意で圧してきた。


「この、クソガキ共ぉ! あたしをめてんのかいっ!」

「いや、これでも真剣だ。真面目にお前を倒したいと思っている。そう、会いたかったぞ……あの日の雪辱せつじょくを、今っ! 果たすっ!」


 ほぼ同時に、四方向から真空波が襲ってきた。風のはやさで振られた刃は、空気の断層で真空状態を生み出したのだ。それを、ほぼタイムラグなく四つ。

 咄嗟とっさにカイナは、右腕を振り上げる。

 そのまま屈むように、全力で大地へと拳を叩きつけた。

 足元が崩れて、物理的な破壊力に岩盤がめくれ上がる。

 天然のたてを瞬時に盛り上げる中で、カイナは五感を研ぎ澄ませた。


「ほらほら、動きが止まってるよ! 死ぬねえ、死ぬよ! あんた、刈られてしまうんだよぉ!」


 激しい衝撃が襲う中で、カイナは目をつぶっていた。

 自分が造ったクレーターの中央で、視界をぐるりと岩のかたまりふさがれている。これで敵の飽和攻撃を完全に防ぎきったが、逆にこちらもカエデの姿が見えなかった。

 いな――

 瞳を閉じて、静かに気配を探す。

 額の奥にゆっくりと、激昂げきこうに燃える紅き悪魔がイメージできた。


「見えたっ、そこだ!」


 左の拳に氣を巡らし、それを練り上げる。

 見えぬ敵を感じて今、カイナは遠当てを繰り出した。振り抜いた拳が、空間を超えた遠くへと氣の塊を現出させる。

 高速でこちらへ攻撃を向けようとしていたカエデは、短い悲鳴と共に吹き飛んだ。

 突然、目の前に見えぬ障壁を置かれたようなものだ。

 そして、その声を耳で察知しカイナが地を蹴る。


「ば、馬鹿なっ! あたしのスピードをとらえることが……ありえないわっ!」

「命までは取らんが、少し話を聞かせてもらうっ!」


 空からカエデを見下ろし、カイナは飛び蹴りを見舞った。

 鋭く突き出す蹴り足が、防御のためにかざされた大鎌をへし折る。そのまま、カエデの胴体を穿うがつらぬき、大地に長い長いわだちをズザザ! と刻んでカイナはせた。

 ようやく勢いが尽きて止まった時、カエデは動かなくなっていた。

 だが、まだ血走る目でカイナを睨んでくる。


「お前の負けだ、カエデ。借りは返したぞ」

「ば、馬鹿な……あたしが、負けた?」

「ああ、俺の勝ちだ。少し魔王について、話してもらうぞ」

「くっ、誰が! 見くびらないでおくれよ! オロチ様のためなら、あたしは死んでも構わないんだ!」

「殺しはしない。俺は、魔王とは違う。お前だって、殺したい訳じゃない」


 意外な言葉に、カエデは目を丸くした。

 完全に戦意をくじいたところで、近付くセルヴォの頷きに促されて……ゆっくりとカイナは言葉を選ぶ。


「魔王オロチとは、何者だ。俺たちが旅をしていたあの時期……カルディアを殺したあの技は、なんだ。そして何が目的でいくさを起こす」

「……質問は一つずつにしておくれよ」

「そうか、じゃあまずはこのといに応えてくれ。……ユウキは、魔王オロチとはどういう関係だ」


 自分でも、何故なぜそんなつまらない話を優先したのか、あとからカイナは不思議に思った。だが、口を突いて出た言葉はもう元には戻らない。

 そして、次の瞬間にはカエデは笑いだしていた。


「プッ、ハハハッ! なんだい、あの小娘……まだ生きてるのかい?」

「ああ。絶対に死なせないさ。この俺がな」

「あいつはねえ、このユグドルナの人間じゃない。。……その、はずだった。だが、見たろ? ユウキはただの人間さね。馬鹿力しか取り柄のない、魔法も使えない異世界の人間なのさ」


 以前、ユウキも言っていた。

 彼女は異なる世界から、オロチによってこのユグドルナに召喚されたのだ。

 そして、魔族の期待した人物ではなかったために、追放された。

 右も左もわからぬこのユグドルナに、なんの後ろ盾もなく放り出されたのである。

 シエルとの出会いや、レジスタンスへの参加は僥倖ぎょうこうだった。そこでカイナは、彼女に出会うことができたのだから。


「ユウキはオロチを止めると言っている」

「オロチ様を? どうして?」

「彼女なりに責任を感じているのだろう。なら、どうだ? 魔王とて、魔族とて心もあれば涙も出る。同じユグドルナの人として、話し合う余地は見いだせないだろうか」

「……なっ、なにを今更いまさら。馬鹿をお言いでないよ」


 カイナは本気だし、黙って見守るセルヴォも言葉を挟んでこなかった。

 ユズルユ村では、魔族の親子をこころよく招き入れた。土地によってはまだ、魔族を奴隷どれい愛玩物ペットのように扱う者たちもいるが、それは是正されてしかるべき世界の歪み、ユグドルナの未成熟な一面だ。

 だが、カイナの言葉に返事はなかった。

 突如として黒い風が吹き荒れる。

 猛烈な強風に思わず、カイナは手で目をかばった。

 そして、指の間から漆黒の影を見る。


「なっ――お前はっ!」


 気付けば、一人の少年がカエデを両腕で抱え上げていた。

 接近に全く気付かなかった。

 黒いマントを棚引たなびかせる、その少年は左右の角の片方が欠けていた。途中でへし折れた右角の下で、酷く穏やかな表情をした男。恐らく、年の頃はカイナたちと変わらないだろう。

 背後で剣を抜いて、セルヴォが静かに怒りを燃やす。


「魔王みずからお出ましか……あの日以来だな、オロチッ!」


 そう、魔王オロチだ。

 カイナとセルヴォにとって、かけがえのない存在だった少女……幼馴染おさななじみのカルディアを殺した張本人である。

 そして、思い出す。

 あの時、カルディアを殺したオロチは泣いていた。

 今のように、溢れ出る涙も拭わず泣いていたのである。

 彼の胸の中で、苦しげにカエデがうめく。


「ごめんなさい、オロチ様。私、負けちゃいました。オロチ様の、右腕……前線を預かる、者と、して」

「……気にしてなんかいないよ、カエデ。痛かったろうに」

「私は、大丈夫、です。ふ、ふふ……私は、紅き死神……オロチ、様の」

「いつもの君の方が、やっぱりいいね。戦ってる自分を演じてるより、ずっと素敵さ。さあ、傷をいやそう」


 オロチはその場に屈んで背を向けた。

 そして、温かな光が周へと広がってゆく。

 回復魔法、それもとんでもなく高レベルの治癒ちゆの術だ。唖然あぜんとして見守るカイナにも、その力が伝わってくる。上級者ともなれば瞬時に骨をぐこともできるし、きずあとさえ残さず傷を塞ぐことだってできる。

 カイナやセルヴォの魔力は人並みだし、カルディアくらいしかできない芸当だ。

 あっという間に、カエデは自分で立てるようになるまで回復してしまった。

 そんな彼女の細い腰を抱き寄せ、ゆっくりと立ったオロチが振り返る。


「……旅の勇者、だったよね? 今は、レジスタンスか」

「オロチ様っ、もう大丈夫ですわ! 私が……あたしがここは!」

「いや、戻ろう。カエデ、そのキャラには無理があるし、君に無理をさせ過ぎた」

「で、でも、オロチ様っ!」

「ここは退こう。人間の勇者よ……僕は決めたんだ。このユグドルナに、魔族の居場所を作るってね。そのためなら、血も涙もいとわない」


 強い言葉だった。

 そして、そんな彼を呼び止める声が響く。


「待って、オロチ君っ! わたしの話を聞いてっ!」


 周囲で魔物たちが逃げ惑う中、ユウキが駆けてくる。

 だが、その姿を一瞥いちべつしただけで、オロチは再びカエデと共に風になった。

 辺りを薙ぎ払う突風が逆巻き、あっという間にオロチの姿は見えなくなってしまうのだった。

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