この手は皆のために

 カイナは馬を駆って疾走する。

 すぐにオラクルの街を出て、小一時間……街道かいどうは、かつて王都へと通じていた舗装路が血に濡れていた。そして、命からがら逃げてきたレジスタンスの大人たちと、何度も何度も擦れ違う。

 皆、傷付いた身体を引きずるようにして歩いている。

 時々彼らから情報を拾いつつ、カイナはれる気持ちをむちに込めて走った。


「カイナッ、もうすぐだと思う。見給みたまえ、怪我人たちの列の、その感覚が短くなってきた」


 カイナの背にへばりついて、耳元でシエルが叫ぶ。

 疾風かぜを引き裂くように走れば、その声もあっという間に後方に飛び去った。

 肩越しに振り返ると、シエルの後ろには別の馬を走らせるユウキの姿がある。


「もうすぐ古いとりでが見えてくる。大昔の戦争で使われていたもので、街道が平原へ続く入口にあるんだが」

「だとすると、そのセルヴォとやらはそこに籠城ろうじょうしてるのかな」

「ああ、奴ならそうする」


 遺棄いきされなかちているとはいえ、それなりの規模の砦だ。

 多分、セルヴォはそこに少人数で立てこもっている。地の利をかして仲間たちを逃し、それを追う敵を砦の上から狙い撃つ。遅滞戦闘ちたいせんとうのお手本のような、それは今のセルヴォが選べる唯一の戦術にも思えた。

 そして、そこに自分の生還という選択肢を入れていない。

 最後には砦に残った人員も逃して、一人で戦い続けるだろう。


「本当に無器用な男だ。この俺が言うのだから、相当なものさ」

「なんだい? カイナ、なにか言ったかい?」

「いや、独り言だ。むっ、見えた! しっかり掴まってろ、シエル!」


 最後の鞭を入れて、カイナは目の前に広がる光景へと飛び込んだ。

 遮蔽物しゃへいぶつのない平原は、その中央を貫く街道に無数の影がうごめいている。全て、魔王の侵略に参集したモンスターたちだ。

 そして、周囲を囲まれた古い砦が見えてくる。

 そこにはレジスタンスの旗が風になびいいていた。

 どうやらまだ、かろうじて組織的な抵抗が続いているらしい。

 横に並んだユウキが、駿馬しゅんめ末脚すえあしを爆発させて追い抜いてゆく。


「カイナ君はシエルと砦へ! 周囲の雑魚はわたしに任せて!」

「ああ、頼む!」

「それと、よろいをお願いっ!」


 ユウキは今、。背にはたてを背負って、ランスをたずさえている。フル装備では、馬にとって負担になるからだ。重装備の騎士たちも、馬で戦うのはごくごく短時間、そして短距離である。

 ユウキは、ひずめの音に振り向く敵意へ突進してゆく。

 上半身はシャツすら身に着けていない、胸元を隠すインナーだけの半裸である。


「はいはーい、どいてどいてーっ! キミたち、雑にざっくり蹴散けちらしちゃうよっ!」


 ゴブリンやコボルトたちは、残党狩りの掃討戦に移ったとこなのだろう。レジスタンスの者たちが捨てて逃げた荷物をあさったり、すでかぶとを脱いでき火に集まったりしていた。

 そこに、全速力でユウキが突っ込む。

 あっという間に、長大なランスが無数の敵を吹き飛ばした。

 そのまま手綱たずなを退いてターンするユウキに、カイナも左手を突き出す。


「受け取れっ、ユウキ!」

「ありがと、カイナ君っ!」


 ほのかに光る魔法陣が、大きく丸く口を開ける。

 中からカイナは、残りの鎧のパーツを全て放り投げた。

 その頃にはもう、ユウキは馬を降りて盾を手に取っている。彼女は放物線を描く重金属の防具を、その一つ一つを目で追いつつ走り出した。

 その前方に、おぞましい雄叫おたけびと共に巨躯きょくがそそり立つ。

 背中でシエルが息を飲む気配を感じたが、構わずカイナは全力疾走でその横を駆け抜けた。


「あれは、サイクロプス! あんな大型のモンスターまで」

「黙ってろ、シエル! 舌を噛むぞ!」

「うわわっ! カイナ! ら、乱暴だよ、もっと優しく!」

「なりふり構ってなどいられるかっ!」


 ユウキは、地面に散らばる鎧を拾いつつ、一つ目の巨人と戦い始めた。その姿は見ていてハラハラする反面、常軌を逸した神速の妙技に目を奪われそうになる。

 そして、戦う乙女は徐々に鎧の中へ自分を凝縮していった。

 そこには、堅牢堅固な装甲を持つ要塞少女フォートレス・リリィが出現していた。

 その場で残りの防具を装着して、ユウキの表情がフルヘルムの奥へと消える。

 荒れ狂う竜巻のように、その全身から裂帛れっぱくの気迫がほとばしった。


「大丈夫、だな。サイクロプス程度では、ユウキは止められん」

「へえ、わかるのかい? カイナ」

「わかるというか、そう感じる。危なっかしく見えてても、ユウキの力は本物だからな」

「ほほー、ふむふむ。……なるほどね、フフフ」

「なんだ、シエル? なにかおかしかったか?」

「いや? おかしくはないが、面白いね。実に面白い」


 シエルが、意味深にニマニマと笑っている。

 その真意がわからないまま、カイナは砦へと突っ込んだ。

 既にもう、城門は破られている。そこにバリケードを積み上げて、内側から銃での応戦が続いていた。だが、それも風前の灯のように見える。

 はやる気持ちを闘志に代えて、人馬一体の意気でカイナは宙を舞った。

 押し寄せるモンスターたちも、最後の防衛線も、一足飛いっそくとびにジャンプで飛び越える。そのまま砦の中へと着地すると、背後のシエルをたぐりよせて飛び降りる。


「全員、無事か! セルヴォ、セルヴォは!」


 小脇こわきにシエルを抱えたまま、ぐるりと周囲を見渡す。

 皆、絶望感に耐えてよく抵抗していた。その顔に疲労が色濃くとも、まだ目は誰も死んでいない。多数の怪我人が出ているようだが、誰もがまだ武器を手に戦っていた。

 その中に、以前会った姉妹の片割れである少女を見つけた。


「あっ、あなたは……えっ、カイナさん!? どうしてここに……その腕っ!」

「ん、ああ、お前は。よかった、無事なんだな?」

「は、はい。でも」

「右腕だ」

「は?」

「俺の新しい右腕、そして……俺が、俺自身があいつの右腕なんだ」

「……は、はいっ! セルヴォさんは上で指揮を取ってます!」


 カイナがシエルを降ろしてやると、彼はスカートをひるがえして働き出す。魔法で運んできた医薬品を手早く並べ、怪我人たちの手当を始めてくれた。

 そして、懐かしい声にカイナは振り返る。


「お前……カイナか? どうしてだ、何故なぜここにいる」


 そこには、以前と変わらぬ冷静な男の姿があった。

 この苦境の中で、取り乱す様子もない。

 真っ直ぐ見詰めてくるセルヴォを、カイナもまた真っ直ぐ見据みすえた。

 永遠にも思える一瞬で、一本の線に収斂しゅうれんされた視線を想いが行き交う。もう、言葉は不要だった。語らう必要はないが、ゆっくりとカイナは歩み寄る。

 対して、セルヴォは今しがた降りてきた階段を見上げて叫んだ。


「ここはもういい! 全員、退却の準備だ。僕が残る。……それよりカイナ、その手は――」

「セルヴォ……歯ぁ、食いしばれっ!」


 左手を握る。

 こぶしを振りかぶる。

 そのままカイナは、セルヴォを力の限りブン殴った。

 ほおを打たれて、セルヴォが数メートル吹っ飛ぶ。それでも流石さすがは一軍の将、かつて勇者と呼ばれた剣士だ。鋭い身のこなしで受け身を取りつつ、落ちた眼鏡めがねを拾って顔を上げる。

 カイナは大きく長く息を吐き出し、駆け寄って右手を差し出した。


「掴まれ、立てるな? ……もう大丈夫だ、セルヴォ。お前の馬鹿を止めに来た」

「カイナ、その手は」

「俺の、俺たちの右腕だ。俺はまた戦える。守らせてくれ、お前を……なにより、カルディアとの約束を守らせてくれ」


 唖然あぜんとしたセルヴォだったが、すぐにカイナの右手を握ってくれた。

 引っ張り上げて立たせても、鋼の腕は体温も触感も伝えてこない。だが、握り返してくるセルヴォの力に、まだまだ戦う意思が宿っていることだけは感じられた。


「随分と手荒い挨拶だな、カイナ。ありがとう、助かる」

「目は覚めたようだな。故郷で過ごす中で、ずっと考えていた。あの時、俺はお前を殴ってでもレジスタンスに留まるべきだったんだ。あの時、こうしていれば」

「それでは、お前が死ぬ。……もう、誰にも死んでほしくないんだ、僕は」

「自分はその中に入っていないのか? お前らしいな、セルヴォ。さあ、まずは退いて立て直すぞ。この砦はもう持たん、放棄だ」

「仲間は全て逃がすことができた。だが、誰かが殿しんがりに立たねば」

「それは俺の仕事だ。俺に任せろ」


 セルヴォにうなずき、手を放す。

 そして、カイナは広げた右のてのひらに意識を集中させた。全身から集まる氣の力が、ぼんやり輝く光球を浮かび上がらせる。それは徐々に膨らみ、小さな太陽のようににらいで膨れ上がった。

 眩い光を頭上に掲げて、それをカイナは「セィ!」と放り投げる。

 内側から強烈な氣弾を浴びて、砦の一部がガラガラと崩れた。

 ぽっかり空いた穴から、カイナは戦場へとおどり出る。


「全員、ここから出ろっ! 正面はもう無理だ! 殿には、俺が立つっ!」


 そう叫んで、同時に右の拳を力強く引き絞った。

 突然、攻めてる砦が内側から爆発したので、どのモンスターも驚きに固まっていた。その大軍へと、カイナは単身で飛び込んだ。

 慌てて武器を構えるゴブリンたちへと、鉄拳を見舞ってゆく。

 背後に回り込んだ敵も、刃のような後ろ回し蹴りで薙ぎ倒してやった。

 自分へと攻撃を集中させ、正門に群がっている敵が集まる前に皆を逃がす。砦に残ったのは少数で、その人数ならば逃がせる筈だ。

 その時、銃声が響いた。


「カイナさんっ、死角に!」

「ん、すまん! 助かった。お前ももういい、逃げろ!」


 先日、妹と見送ってくれた少女だ。彼女はその手に、硝煙しょうえんを燻らす長銃を握っている。その先で、弓矢を構えたオークがうずくまっていた。

 そして、隣によく知る気配が立つ。

 剣を抜いたセルヴォは、静かに眼鏡のブリッジを指で押し上げる。


「右腕を置いて逃げる馬鹿がいるか? いるとしても、僕はそうじゃない」

「だな」

「では、やるか」

「ああ!」


 味方は次々と、怪我人を抱えて逃げ始めた。

 その退路を守って、カイナはセルヴォと二人で戦う。

 けんけんとが、次々と魔物をほふっていった。

 阿吽あうんの呼吸で互いをカバーし、時に攻めては突出し、時には守って敵を引き付けた。わずかなミスが死に直結する、危険な戦いの中で自然と笑みが浮かぶ。

 カイナは帰ってきた。

 セルヴォの隣に帰ってきたのだ。

 そして、心の中でカルディアにつぶやく。

 必ず守るから、見守っていてくれと。

 だが、不意に冷たい声が頭上から降ってきた。


「あらあら、この間のボウヤじゃない。プッ、なにその腕。機械? そんなガラクタくっつけただけじゃ……あたしの手柄を増やすだけさね!」


 シィン! と空気が切り裂かれた。

 縦一文字に、強烈な斬撃が襲い来る。

 咄嗟とっさにカイナは、セルヴォを突き飛ばした。その反動で自分も、逆側へと身を投げ出す。今まで二人が立っていた地面が、まるで溶け消えたように両断されていた。

 そして、ふわりと死神が舞い降りる。

 巨大な鎌を手にした、妙齢みょうれいの魔族が立っていた。

 それは、その女は……かつてカイナの右腕を切り落とした、恐るべき強敵なのだった。

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