ACT.05「復活!カイナ、復活ッッッッ!」

母を、師匠を超えてゆけ!

 朝霧あさぎりけぶる空気が、水の轟音にふるえる。

 森の奥深くにある巨大な滝壺たきつぼは、小さい頃からカイナたちの遊び場だった。昔は危険なモンスターは滅多めったに出なかったし、暑い夏でもここだけは涼しい。

 だが、今の季節はまだまだ朝は肌寒い。

 大瀑布だいばくふ飛沫しぶきを感じる場所で、カイナは一人鍛錬にいそしんでいた。


「フッ! ハ! セェイ! ――邪念退散! 邪念だ、これは! 多分!」


 昨晩のことが忘れられない。

 汗に濡れる全身の肌が、まだユウキのぬくもりとやわらかさを覚えている。しびれるような熱さ、どこまでもとろけてゆくような感覚さえ、残っている気がした。

 夜空に大輪の花。

 その閃光が闇夜に浮かべる裸体。

 爆発の音しか聴こえぬ中での、言葉にならない声と声。

 そうしてカイナは、ユウキと肌を重ねて気持ちを通わせたのだった。


「……しかし、これでわかったことがある。この気持ち、その正体に俺は気付いた」


 そう、理解した。

 ような気がする。

 カイナがずっと、ユウキに感じていた不思議な感情があった。それがようやく、わかったのだ。少なくとも、原因ははっきりした。

 カイナはそのことを、自分に言い聞かせるようにつぶやく。

 何度も繰り返した武術のかたを続けつつ、乱れぬ呼吸で言葉をきざんだ。


「ユウキは、特別な人間なのだ。このユグドルナの人間ではなく……! そう、だから俺はそのことに本能的に気付いて、違和感を」


 カイナという男、

 そして、そんな彼に思わず突っ込まずにはいられないエルフがいた。


「こんの、大馬鹿者があ! そうではない、そうではないのじゃ! 乙女心は!」


 滝の流れさえ逆流するかのような、そんな大声が響き渡った。

 カイナが振り向けば、そこには養母ははの姿があった。

 珍しく今日は、道着を着ている。今もカイナが身につけているものと同じだが、酷く年季が入った古いものだ。

 師匠でもあるセナが、四百年もの間ずっと戦ってきた、おのれを鍛えてきたあかしだ。

 久々に見るセナの、それは戦いの覇気に満ちた姿だった。


「母さん? どうしてここが」

「今は母と呼ぶでない! 今のワシは、一人の拳士けんし。そしてお主の師じゃ」

「は、はい。師匠、それで何故なぜ

「……いいれておるな。身体の扱いにもぎこちなさが消えておる。じゃが」


 不意に、セナは自分の右肩を手で抑えた。

 そして「フンッ!」と気迫と共に力を込める。

 ゴキン! と鈍い音が響いて、セナの右腕がだらりと力なくぶら下がる。

 突然の行動に、思わずカイナは駆け寄った。


「母さん、右腕が! どうしたんです、いったい」

「だから、母と呼ぶでないわ!」

「は、はい! でも、師匠」

「これで条件は互角じゃ。ワシはこれから、右腕を使わん。そして――」


 凛冽りんれつたる闘気が、セナの全身から迸った。

 それはまるで、目に見えぬ壁があるかのようにカイナを弾き飛ばす。よろけつつも咄嗟とっさに、体勢を整え直してカイナは踏ん張った。

 そこには、四百年無敗を誇った無敵の格闘家セナが立っていた。


「そしてぇ、カイナ! おぬしに今こそ試練を与える。いな……試練を乗り越えつつあるお主だからこそ、このワシ自らが最後の仕上げをしてやるというのじゃ!」


 カイナは、本気になったセナを久方ぶりに見た。

 昔、幼い頃に一度見たきりだった。

 二人で森を散策し、共に身体を鍛えていた時だ。まだ小さかったカイナは、丁度強さが分かりはじめて、身体を動かすのが楽しくて仕方がなかった。

 だからだろうか、危険なおおかみの群れに囲まれていることに気付かなかった。

 森の狼は常に、ボスが群れを従え集団で狩りをする。

 そんな危険な野生動物から、カイナを守ってくれたのがセナだった。


「あの時と同じ、いや……それ以上か。右腕を封じてなおも、この圧力プレッシャー


 あの時のセナは、鬼気迫ききせまる怒気で普段の何倍も大きく見えた。

 そして今は、それ以上に恐ろしい氣の高まりを感じる。

 狼を撃退してくれたあとの、泣きそうな笑顔も思い出される。

 だが、今のセナは鬼、戦鬼せんきだ。

 生半可なまはんかな気持ちで向き合えば、全身を砕かれ無残に死ぬだろう。それでは、友を守れない。なにより、ユウキを泣かせてしまう。サワや弟妹きょうだいたちもだ。

 危機に際して心はそよぐ……気付けばカイナは、笑みさえ浮かべて震えていた。


「ほう? 笑うか。いい面構つらがまえになったものよなあ? それでこそワシのカイナじゃ」

「母さん、いや師匠! 俺の本気……試させてもらいます!」

「ならば来いっ! 再びなにかを守るため、そのために戦うというのなら! ワシに決意と覚悟を見せるのじゃ!」


 カイナは地を蹴り、風を呼ぶ。

 疾風しっぷうとなって、一気にセナへと肉薄した。

 セナもまた、突進を突進で出迎える。

 互いの肉体から湧き上がる闘志が、見えない嵐となって両者を中心に逆巻いた。その大気の震えの中で、拳と拳とがぶつかり合う。

 共に左拳、その威力は互角。

 体格的にはカイナの方が有利とも思えた。

 だが、セナは白い細腕が嘘のようにびくともしない。


「よい氣じゃなあ! では、ゆくぞ!」

おうッ!」


 すぐにセナの蹴りが乱れ飛んできた。

 あっという間に、カイナは左手一本でそれを捌く作業に放り込まれる。丁寧に一発一発を受け流し、そらして、見えない防空圏の中で守りを固めた。

 セナは片足で立ってるとは思えぬ安定感から、前後左右を包むように多角的な蹴りを放ってくる。その全てが一撃必殺……一発でも受ければ、あっという間に勝負はつくだろう。

 だが、カイナは逃げない。

 逆に、乱れ咲く刃のような蹴りの中へ、踏み込んでゆく。


「俺の蹴りも受けてもらいますよ、師匠っ!」


 小柄なセナに比べると、手足のリーチはカイナの方が上だ。

 だが、逆を言えば密着時の取り回しは難しい。

 しかし、ここ数日の特訓でカイナは、新たに蹴り技中心の格闘スタイルを身に着けつつあった。同時に、左手のみでの守りと攻め、肉体が失ったバランスを補正する無意識の呼吸をも習得しつつある。

 セナが「ほう?」と嬉しそうに表情を崩した。

 同時に、バシィン! と乾いた音が響く。

 肉が肉を打ち、骨と骨とが激突する音だ。


「あの中を踏み込んでくるかや! その意気やヨシ、じゃあ!」

「いつまで師匠面がしてられますか……ここからは、俺のターンだ!」


 カイナが放った膝蹴ひざげりがヒットしていた。

 セナはガードを固めて受け止めていたが、僅かにその体幹が揺らぐ。

 その機を逃さず、カイナが猛攻に出る。

 天をくような膝蹴りから、さらに右脚を伸ばして蹴り上げる。軽いセナがわずかに浮いて、自慢の脚線美きゃくせんびが大地から離れた。

 間髪入れず、そのままカイナはぐるりと脚部を旋回、踵落かかとおとし。

 河原かわらに叩きつけられたセナが、何度もバウンドしつつ距離を摂る。

 しかし、逃さずカイナも地を蹴った。


「おおおっ! 師匠ォォォォォオ!」

「くっ、できるようになったのう。――はやい!?」


 カイナの伸ばした手が、セナの首を掴んだ。握れば折れそうな程に細いのに、気力に満ちた筋肉の硬さ、しなやかさが感じられる。

 セナは動揺を見せたが、すぐに両脚をカイナの左腕にからめてきた。

 不安定な空中でも、関節技はお手の物だ。

 だが、肘関節ひじかんせつをへし折ろうとする動きさえ、カイナは読み切っている。

 セナを掴まえたまま、腹の底から湧き上がる氣を凝縮、てのひらから発勁はっけいを見舞った。

 吹き飛んだセナだが、川へと落ちてもすぐに立ち上がる。


「カハッ! ゲホゲホ……ふん、氣の扱いは自由自在か。……ん? な、なんじゃ?」


 構え直すセナへの追撃に、カイナは動かなかった。

 

 そのまま、腰へと左手を引き絞る。その握った拳がぼんやりと光った。練りに練った氣の密度が、ほのかに輝きを放つ。

 カイナは、氣の波動に光る拳を真っ直ぐ突き出す。

 空気を引き裂き、セナを重く速い氣弾きだんが襲った。

 川の水が吹き飛び、周囲に雨となって注ぐ。


「これが、俺の新技……遮蔽物を通して、その向こう側に氣を通すのが発勁なら」


 そう、セナとの間に遮蔽物があった。

 それは鋼鉄の鎧でもなければ、堅牢堅固な城壁でもない。

 ――

 常に二人の間に、大気の層が横たわっていた。

 空気に発勁を通せば、遠距離から氣による攻撃ができるのだ。

 だが、不意に冷たい声が背後で響く。


「なにが新技じゃ。それは遠当とおあてというての……ワシが百年以上も前に編み出した技じゃあ!」


 いつの間にか背後に、セナが立っていた。

 咄嗟に振り向いたカイナの、その脇腹に横蹴りが突き刺さる。一気に全身の空気が肺から漏れ出て、カイナは「カハッ!」とだけうめいて呼吸を奪われた。

 それでも、反撃の蹴りを繰り出す。

 だが、セナは容赦なく剃刀カミソリのような蹴りの連撃でカイナを切り刻んだ。


「なんじゃその蹴りは! 昔からそうじゃな、カイナ! 蹴りが下手、ヘタクソ、ドヘタクソじゃっ!」

「ぐっ! それは」

「両足で踏ん張り、両手で受ける! そうして背の仲間を守るのがお主の拳! じゃが、今の身体でそれができるかや!」

「できるっ! やるんだ! 俺はやり直す!」

「ならば思い出せぇ! お主はずっと、蹴ってきた! 仲間のために、蹴ってきたのじゃ!」


 ――

 そう、四肢を一つ欠いたとて変わらない。

 そのことに今、カイナは気付かされた。

 蹴り技を多用せずとも、常に地面を踏み締め、土を蹴って自分を押し出してきたのだ。それを思い出した瞬間、カイナは目を見開く。

 その時、その瞬間……真の新技がひらめきとなった。


「そうだ、俺は……ハアアアア――ッァ!」


 狂い咲く乱撃の中で、カイナは氣を脚に込める。

 そして、手による発勁の要領でそれを大地へ流し込んだ。ドン! と踏み込んだ震脚しんきゃくが、周囲を陥没させてクレーターを現出させる。

 広がる氣の力は、セナとカイナを中心に天へと突き抜けた。


「勝負だ、師匠ォォォォォッ! これがっ、俺の! 新しい、力ぁ!」

「――フッ、それでよい。よきかな……ワシをも超える日がこようぞ、カイナ」


 全身を捻じり傾け、大開脚で天を切り裂くように蹴り上げを放つ。

 先程の衝撃波で体勢を崩していたセナの、その華奢きゃしゃからだが空高く浮いた。

 さらにカイナは、蹴り上げた反動で身体を回転させつつ……逆の足で直上へ真っ直ぐ氣を放った。手で遠距離に放てるならば、脚から発することができるのも自明の理である。

 巨大な氣のかたまりをぶつけられて、セナの道着が花びらのように散ってゆく。

 勝負はあった。

 すかさずカイナは、落下してくるセナを左腕で抱き止める。

 裸のセナは、満足そうに笑っていた。


「うむ、ヨシッ! まあ、まずまずの仕上がりじゃなあ」

「師匠のおかげです。俺は……また戦える。そして、もっと強くなります。母さん」

「うんうん、本当に男になったのう。カイナに抱かれてときめくなど、嬉しいものじゃあ」


 セナが目をうるませ、ほおを朱に染めている。

 その祝福の笑みの意味もわからず、ただただカイナは母を大事に思って抱き締めた。そこにいつくしみとリスペクトの気持ちを込めたが、昨夜ユウキと交わした想いとは少し違うように感じるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る