真実の蕾が花開く

 闇の中を、カイナは走った。

 吹き抜ける風がまだ、祭の喧騒を運んでくる。

 太鼓たいこふえと、歌と歓声と。

 その全てから逃げるように、カイナは疾駆しっくする。

 気付けば、人気のない村外れの墓地ぼちに来ていた。


「ハァ、ハァ……くっ、何故なぜだ? どうして俺は」


 泣いていた。

 カイナは、止まらぬ涙をぬぐって脚を止める。

 そのまま、まるで吸い寄せられるように歩いた。

 とめどなく涙があふれて、まるで両目から全てがれ出てしまうかのような錯覚。それでも、にじむ視界がぼんやりと墓石を映し出す。

 ぼやけていても、暗がりの中でも、刻まれた名ははっきりと見えた。


「カルディア、俺は……弱いな。どうしてだろう、お前を思い出したら突然」


 そう、あまりにも唐突だった。

 幼馴染おさななじみの少女を思い出したら、知らぬ間に泣いていた。

 巫女みことして舞う妹に、その面影おもかげ見出みいだした瞬間だった。

 そして、その人は……カルディアは今、眼前の墓の下だ。冷たい土の中で、かえらぬ人となって眠っているのだ。

 カイナの問いかけに、返ってくる言葉はない。

 死者は語らず、なにもしゃべらない。

 そして、カイナの言葉が届かない場所にいるのだ。

 背後で呼ぶ声がしたのは、そんな時だった。


「カイナ君っ! ふーっ、脚速いんだから。……大丈夫?」


 振り向くとそこには、ユウキがいた。

 彼女は両膝りょうひざに手をあて、屈んで大きく息を吸い込む。

 そうして、胸を抑えて呼吸を整えながら顔をあげた。

 なんだか気恥ずかしくて、カイナは涙で熱い目を伏せる。


「すまない、突然」

「ん、驚いたけどさ。びっくりだけど、悪くないよ? カイナ君、悪くない」

「そ、そうか。すまない」

「ほら、また! 悪くないんだから謝らないで。で、このお墓……カルディアさんの?」


 無言でカイナは頷いた。

 それでユウキも、身にまとう空気を引き締める。

 傍目で見てもはっきりわかるくらい、ユウキは真剣な表情で身を正していた。少し乱れた浴衣ゆかたすそえりを直して、墓前に歩み出るや手を合わせる。

 彼女は静かに数秒、目を閉じて祈りをささげた。


「カルディアさん、来るのが遅れてごめんなさい。それと、もう一つ」


 彼女はカイナに言ってくれた。

 悪くないなら、あやまらないでと。

 カイナがすまないと、ごめんなさいと言う時は……その大半は、本来はありがとうなのだと教えてくれた。

 そのユウキが、謝罪を口にした。

 そして、さらに驚きの言葉を口にする。


「それと、もう一つ……。あなたは死ななくてもよかったのに……カイナ君の腕だって」


 カイナは最初、我が耳を疑った。

 オロチ……それは、このユグドルナを震撼させる恐怖の魔王。そのオロチを、ユウキが止められなかった? なにを言っているのか、少し理解が及ばない。

 ユウキは謎多き勇者、驚異的な身体能力と筋肉を持った重戦士だ。

 彼女もまた、カイナたちと別の場所で戦っていたのだろうか?

 だが、ユウキははっきりと言った。

 説得できなかったと。


「ユウキ、お前は」

「あと、カルディアさん。ちょっとカイナ君、借りるね? ほら、キミも手を合わせて。って、合わせる手がないか」


 言われてカイナも、墓前で片手で拝む。

 この場所に来ると、いつも慙愧ざんきの念が込み上げた。そして、それを忘れてはいけないと思う。忸怩じくじたる想いに心はさいなまれるが、その痛みと苦しみすらもかけがえのないカルディアとのきずなだ。

 そして、これからも戦い守ることで、死んだ彼女に報いようと誓っている。

 だが、カイナが祈り終えて降ろした手が、突然掴まれる。

 ユウキはカイナの手を取り、墓地を奥へと歩き出した。


「ユ、ユウキ、どうした? なにを」

「いいから来て、カイナ君。大事なことだから」

「だ、大事な?」

「そう、とっても大事で、凄く大切なことだよ?」


 そのままユウキは、墓地を突っ切り歩き続けた。、

 やがて、目の前に長い石段が姿を表す。無言で登れば、天界樹ユグドラシルまつやしろが見えてくる。境内けいだいはまだ少し肌寒くて、見えない結界の中で空気が澄み渡っていた。

 その社まで来て、ユウキは周囲を見渡す。

 丁度、参拝する村人たちが使う小さな東屋あずまやがあった。

 屋根だけあって、椅子にできる岩が数個ならんでいる、そういう場所だ。


「こっち、来て。ほら、カイナ君っ」


 強く手を握って、ユウキは歩く。

 カイナの手に、その柔らかさと熱さが伝わってきた。互いの境界線が溶け合うような、ユウキの柔肌やわはだに吸い込まれてゆくような錯覚さえ覚える。

 ユウキはカイナを適当な岩に座らせ、その隣に腰掛けた。

 密着の距離で、ようやく彼女は手を放す。

 そして、じっとカイナを見詰めて静かに話し始めた。


「カイナ君、ちゃんと泣いた? カルディアさんが死んだ時」

「……な、なんの話だ」

「多分、さ。わたし思うんだけど……ちゃんと泣いてあげなかったでしょ」

「俺は男だ、涙など」

「そういうの、前時代的ぜんじだいてきっていうの。人はみんな、男も女も、エルフも魔族も……悲しい時は泣くんだよ? 涙は、悲しみを薄めるために必要なの」


 聞いたことがない理論で、論理的ではない。

 だが、ユウキはそっと両手でカイナを抱き寄せ、その頭を自分の胸に押し当てる。

 驚き思わず、カイナは身を硬直させてしまった。

 突然の包容ほうようだったが、ユウキは落ち着かせるようにポンポンと背を叩いてくる。


「ちゃんと、泣いてあげて。カルディアさんを失った辛さ、ずっと我慢してたよね? そういうの、よくないんだから」

「でも、俺は」

「男らしくより、人らしく。そして、キミらしくだぞ? ここなら、誰も見てないから」

「お前がいる。ユウキ、お前が」

「わたしはいーの! 本当はこうしてあげたいの、カルディアさんだから。その未来をわたしが、奪ってしまったから」

「さっきからなにを――!?」


 まただ。

 また、涙があふれてきた。

 まるでまぶたが決壊してしまったかのように、泣き始めたら止まらない。ポタポタと落ちる涙が、ユウキの胸へ吸い込まれてゆく。

 先程まで戸惑どまどっていたカイナの手が、おずおずとユウキの身を抱き寄せた。

 密着感が高まる中で、ユウキの体温がじんわりとカイナの心を温める。


「俺は……カルディアを守れなかった! 守れなかったんだ!」

「うん。でも、カイナ君はまだ戦おうとしてる」

「セルヴォを、守りたい。俺と同じく、カルディアを失ったセルヴォを……友達、だから」

「うん。だからこそ、死んだ人を理由にしちゃいけないよ。死者に引っ張られたら……今度はカイナ君が死んじゃう。それは、駄目」


 そっと顔を上げると、慈母じぼのように微笑ほほえむユウキの顔が間近にある。

 互いの呼気が肌を撫でる、その感触すら感じられる距離だ。

 静かにユウキは、くちびるを寄せてきた。

 カイナのまなじりに光るしずくを、キスでぬぐって涙を舐め取る。

 突然のことで、カイナの鼓動は跳ね上がった。


「ユ、ユウキ」

「ん、いいよ……ちゃんと泣けて、偉い偉い。カイナ君の涙、わたしがもらうね?」

「どうして、お前はそこまで」

「だって……わたしのせいだから。それもあるけど、今はちょっと違うかな」


 不思議な感覚だった。

 カイナは全身が心臓になったように鼓動を高鳴らせる。

 そして、自然と涙が止まって泣き止んだ。

 カルディアへの想いが、その行き場のない葛藤かっとうが、ずっと胸の奥にあった。どうすることもできずに封印して、月日が経つほどに膨れ上がっていた。それは、以前にもましてかたくなに魔王討伐へ邁進するセルヴォを見て、それを守ることでしずめてきた。

 でも、もう限界だった。

 それが涙になって溢れ出て、ユウキが受け止めてくれたのだ。

 再び彼女は、先程より強くカイナを抱き締める。

 肌が着衣の向こうに、ユウキの鼓動を拾った。


「カイナ君、ちゃんと話すね。わたしがどうして、この村に来たか」

「カルディアに、お前はなにを……さっき、魔王オロチと言った」

「うん。わたしはね、カイナ君。わたしは――」


 その時、夜空に大輪の花が咲いた。

 爆発音が幾重いくえにも響き渡り、花火が宙に光を広げる。

 その照り返しの中、ユウキは耳元でなにかをささやいた。

 花火の音で聴き取れなくて、ついカイナは聞き返してしまう。

 少し身を放して、ひたいが触れ合う距離で静かにユウキは再度言い放った。


。地球から……この星空の向こう側から来たんだ。オロチ君に、召喚されて」


 衝撃だった。

 一瞬、言ってる意味が理解不能だった。

 だが、繰り返し狂い咲く花火の下で、ユウキは真剣な表情をしている。

 その目が、嘘を言っているようには思えなかった。

 そして、彼女が言葉を続ける。オロチに召喚されし、魔族の勇者……本来魔族の祖先が住んでいた、地球から呼び出されたのがユウキなのだ。しかし、ユウキは魔族ではない。地球と呼ばれる土地ではもう、魔族は滅んだという。


「オロチ君は、凄く優しい子。だから、戦いをやめるように言ってみたけど……でも、あの子を止められなかった。わたしは魔王軍から追放されちゃったんだ」


 魔王オロチは、敵だ。

 人間社会を脅かす害悪なのだ。

 それと戦って、幼馴染が死んだ。

 自分も右腕を失った。

 その全てが、自分のせいなのだとユウキは言っているのだった。

 思わずカイナは、狼狽うろたえるままに言葉を口ごもる。


「そ、そんな話が……待てユウキ、それじゃあ」

「駄目、もう待てない。なにも、言わないで……お願い」


 ユウキの唇が、カイナの声を奪った。

 触れ合う粘膜の間を、互いの吐息が行き来する感覚。

 初めてのくちづけは、カイナの全てを封じてゆく。そして、身をゆだねるようにユウキがもたれかかってきた。

 重なり合ってそのまま、カイナはユウキの全てを受け止め受け入れるのだった。

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