祭の夜が見せる幻影

 カイナの多忙な日々が始まった。

 おりしも、ユズルユ村は年に一度の祭が迫っていた。

 天界樹ユグドラシルに感謝を捧げる、樹礼祭じゅれいさいである。

 大いなる魔法のみなもとであり、文字通り天を支える巨木……天界樹。この不思議な神木がいつから存在するのか、ユグドルナの歴史は記録を残していない。

 天地創造と同時に存在していたのか、それとも神が植えたのか。

 どっちにしろ、今の人間たちの生活には欠かせないものだ。

 そして、教会の勢力圏から遠く離れた田舎いなかではまだ、信仰の対象でもある。


「なあ、シエル。悪いが、少し離れてもらってもいいか」

「ふふ、断るよ? 嫌だね、絶対。ほら、カイナ! あっちに屋台やたが沢山並んでる」

「引っ張らないでくれ、おいっ」


 今、カイナは夕闇の中をシエルと歩いていた。

 カイナの左腕を抱き締め、寄りかかって歩くシエルは上機嫌である。浴衣ゆかたと呼ばれるこの土地の民族衣装を着こなし、道行く男たちを先程から振り向かせてばかりだ。

 女物の浴衣を完璧に着こなし、清楚せいそ色香いろかを振りまくシエル。

 そんな彼女……いな、彼にここ最近のカイナは振り回されていた。

 そして、そんなカイナを突き刺そうような視線が貫いている。


「ユウキ、これは、その、だな」

「……べーつにー? シエル、かわいいもんね」

「いや、それはそうだが、俺は」

「ふふ、冗談だよ、冗談っ! ……少し付き合ってあげてよ。こんなにはしゃいだシエル、初めて見るもの」


 背後を歩くユウキは、後半の言葉をささやくように細めた。

 彼女もまた、知っているのだ。

 シエルの生い立ちと、歩んできた道の険しさを。

 そのシエルだが、科学者としての手腕は驚くべきもので、ここ数日であっという間にユウキのよろいをメンテナンスしてしまった。カイナには難しいことはさっぱりだが、機械式特有の金属音が以前より軽いし、身につけたユウキの表情が全てを物語っていた。

 それに、今のシエルはカイナの義手を造ってくれている。


「むっ、ユウキ。今は俺がカイナを独り占めしてるが、いいのか?」

「はいはい、どうぞどうぞー? 腕を組もうにも、カイナ君の腕は一本しかないもんね」

「なに、すぐに増える。元に戻るさ。今、最高傑作を造ってるところだ」

「だってさ、カイナ君。気をつけてねー、彼ってば守銭奴しゅせんどだから」


 ユウキの言葉に、そうなのかとシエルを見下ろす。

 だが、密着の距離でシエルは可憐かれん微笑ほほえむだけだった。

 そこはきっぱりと否定してほしかったが、ようするにユウキの言う通りらしい。つい、部屋の引き出しにしまったままの革袋を思い出す。あの金貨にはまだ、一度も手を付けてなかった。

 あの金を使ってしまったら、セルヴォとのきずなが切れてしまう気がした。

 手切れ金なんて認めたくないし、今も約束は生きている。

 腕を失ったカイナの心に、深く息衝いきづいているのだ。


「それはそうと……ユウキ」

「ん? どったの」

「お前も、今日は綺麗だな。あ、いや! 今日はといっても普段がそうではないという意味じゃない! ゆ、浴衣が似合っている」

「……ほへ? あっ、ああ、その、ありがと! ってか、なに言うのよ、もうっ!」


 口下手くちべた無器用ぶきようで、上手くカイナは思ったことを伝えられない。

 それでもどうにか言葉にした時にはもう、シエルに引きずられるように歩き始めていた。

 ユウキは今宵こよい、今までで一番綺麗だった。

 普段の溌剌はつらつとした快活なイメージが影を潜め、貞淑ていしゅくな乙女の佇まいがある。それは、シエル同様に村の誰彼構わず目を奪っていた。露骨に鼻の下を伸ばしている者もいるが、祭の夜は無礼講である。

 それに、最低限の礼節は無言で守られているし、野暮やぼ無粋ぶすいは誰もが嫌っていた。


「カイナ、俺っ! あれが食べたいな! あれはなんだ!」

「あれは、綿わたあめだ。そっちは、焼きそばに、クレープに、おでん」

「こういうの、いいよね。よし、綿あめとかいうのから食べよう」

「ん、わかった。ちょっと待て……おじさん、綿あめを一つこの子に」


 シエルをぶら下げたままの左手で、器用に胸元から財布さいふを取り出す。そして、さも当然のようにカイナは綿あめの代金を払った。

 村中の全員が顔見知りだから、シエルとユウキとを見て屋台のオヤジがにんまり笑う。


「おう、カイナ! 両手に花だな!」

「片手しかないが、両手でも余るぞ、この二人は。とても強いし、ずば抜けて頭がいい」

「おいおい……お前さん、そういうとこだぜ? 昔から馬鹿真面目ばかまじめでいけねえ」

「そ、そうなのか?」


 カイナも浴衣姿だが、どうしてもひらひらと右袖が夜風に揺れる。

 屋台のオヤジがやれやれと顔を手で覆って溜め息をこぼした。

 こころなしか、先程より強くシエルが抱きついてくる。同じ男なのに、とてもやわらかくて繊細な体温が伝わってきた。

 同時に、空っぽの右袖をユウキがチョンと指でつまんでくる。


「いいかぁ、カイナ。男は甲斐性かいしょう、甲斐性が一番肝心なんだ。お嬢ちゃんたち、今夜はたっぷりこいつを絞ってやんな。財布の金も、夜の方もな、しっぽりとな!」

「俺の財布は絞るほど入ってはいない。まあ、食い歩き程度なら問題はないが」


 シエルもユウキも、何故なぜか顔が真っ赤になっていた。

 そんな二人に、カイナは「金なら心配するな」と言ってやる。

 その言葉がどうも、オヤジの言いたいところを微妙に外しているらしい。オヤジは勿論もちろん、今度はシエルとユウキが同時に溜め息を零した。


「カイナ君さあ……でも、そういうとこね、本当にそういうとこ」

「俺もそう思うぞ。でも、あれだな……カイナは人たらしだ。ずるいくらいにさ」

「わかるー、すっごくわかりみだよぉ。ふふ、なんでわたしってばこんな人を」


 なんだかよくわからないが、自分が残念がられてるということだけは理解した。それがまた、カイナには酷くに落ちない。

 何故なぜ、シエルもユウキも生暖かい視線をくれるのだろうか?

 もしや、自分の羽振はぶりがよくなくて、もっと豪勢におごらなければいけないのか?

 わからない、なにもかもがわからない。

 だが、家族のセナやサワも、時々こういう目で見る。

 酷く優しい、かわいそうな小動物を見るような眼差まなざしだ。


「むむ……わからん。ま、まあ、二人共食え! オヤジ、ユウキにも綿あめだ」

「あいよ! カイナ、お前さんの武術はピカイチだが、まだまだ男を磨く余地があるな」


 ますますわからないが、それについては薄っすらと覚えがある。

 武を極めて皆を守り、カルディアとの約束を守り切るのがカイナの願いだ。

 技の未熟さ、加えて失った右腕がもたらす弱体化は自覚している。

 それでも心は折れないし、折れているならぎ直して再び立つ。

 そういう自分に男児たれと男気を念じてるつもりだが、まだまだ磨く余地があるほどに男らしさが足りないらしかった。

 そんなカイナを挟んで、左右でシエルとユウキはかしましい。


「あっちのはなんだろう、子供たちが集まってる。ユウキ、カイナも! 次はあっちだ」

「ちょ、ちょっと、シエルッ! カイナ君を引っ張らないでよぉ」

「はは、待ってろユウキ。お前が腕を組んで歩けるよう……カイナに最高の右腕を造っているところだ」

「すっごい不安なんですけど。いい、シエル? 変な機能とかつけなくていいからね」

「俺がいつ、渾身こんしんの傑作に変な機能を持たせた?」

「ランスのパイルバンカー! あれ、絶対に趣味よね? 火薬のカートリッジも、一発こっきりだし」

「フッ……男には浪漫ロマンが必要なのさ。夢と浪漫がね」

「わたしもシエルも女の子だもんっ!」


 ぷぅ、とほおを膨らませるユウキを見て、シエルはほがらかに笑った。

 二人が友人同士だというのが、カイナにもよくわかる。

 借金で結ばれた縁でもあろうが、屈託くったくのない言葉が行き交う間に立っているのは、とても気持ちが安らぐものだった。

 きっと、ユウキにはシエルの生い立ちも女装も気にならないのだろう。

 一人の人間として接して、科学者として作品を認めてくれるユウキにシエルも心を開いているのだ。

 そう思ってそぞろに歩けば、村の広場に出る。

 そこにはもう、中央にやぐらが立てられていた。

 その上で今、肌もあらわ巫女みこが踊っている。

 太鼓たいこふえの音がたゆたう中で、天界樹に奉納する舞いが村人たちの視線を吸い上げていた。そして、優雅に華麗に、そしてどこか扇情的に踊る少女に見覚えがあった。


「あれは……カルディア! じゃ、ないか。いや、だが」


 篝火かがりびが揺れる、その光と影とが浮かび上がらせる華奢きゃしゃ痩身そうしん

 巫女は神がかりになったように、一心不乱に踊っている。

 それはよく見れば、妹のサワだった。自警団の手伝いをしている彼女は、巫女不在の今年に代役を引き受けたのだろう。普段の勝ち気でおてんばな姿が、今は恐ろしいほどに神々しい色気を発散している。

 周囲から拍手はくしゅ喝采かっさいが巻き怒る中で、流す汗さえ光と飾って踊るサワ。

 その姿が、一瞬カルディアに見えた。

 毎年ここから、セルヴォと見上げた櫓の上にカルディアがいつもいたのだ。彼女は母が死んでから、巫女の仕事を引き継いでいた。普段はあどけないカルディアが、祭の夜にはドキリとする表情を見せるのだった。

 それを今、カイナは克明こくめいに思い出していた。


「サワちゃん、綺麗……あれ? ねね、カイナ君?」


 ユウキが顔を覗き込んでくる。

 だが、今のカイナは身動き一つできなかった。

 村に戻ってから、カルディアの墓に参った。くしそなえ、近況を報告し、改めて誓ったのだ。彼女と交わした約束を最後まで守り通すと。そのために再び戦うと。

 しかし、そういう自分の決意と覚悟で、最後まで隠していたものがある。


「そうか……俺は、カルディアを失った、くしたんだ。それで、俺は」

「カイナ君っ! 大丈夫?」


 ユウキに言われて、初めて気付いた。

 

 頬を伝う涙の、その熱さにも気付かず泣いていたのだ。

 グイと手の甲で拭っても、とめどなく双眸そうぼうから涙が溢れ出る。


「おかしいな、俺は。どうして……」

「ううん、おかしくない! 話して、言って。わたしに教えて、カイナ君」

「それは……」

「わたしに頼って。それってきっと、もうカルディアさんができないことだから。やりたくてもできないから、代わりにわたしが」


 ちらりと見れば、シエルは他の村人と一緒に巫女の舞いに魅入みいっていた。

 そして、ユウキから思いがけない名前が飛び出る。

 そう、カルディアはもういない。

 そして、カイナは妹にその面影おもかげを見て、思い出したのだ。誓いや約束よりもまず、本当に自分がすべきこと、したかったことを忘れていたと。

 だが、あまりに唐突な慟哭どうこくに、思わず狼狽うろたえてしまう。

 身を寄せてくるユウキの心配そうな表情から、ついついカイナは逃げてしまった。そのまま走り去れば、背中は自分の名を呼ぶユウキの声に震えるのだった。

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