彼が秘めたる彼女の素顔

 シエルがやってきて、いよいよユズルユ村は賑やかになっていた。

 勿論もちろん、大人たちはシエル本人がいなくても歓迎のうたげで真夜中まで盛り上がっていた。湯治客とうじきゃくがめっきり減ってしまった昨今、こんなに明るく騒がしいのは久々だという。

 そして、カイナもまた忙しい日々を送っていた。

 働かざる者、食うべからず。

 修行も大事だが、村の一員として働くことも忘れてはいない。


「いやあ、カイナ! 精が出るのう。お前さんは片腕でも百人力だわい」


 老人の声に振り向き、カイナはひたいの汗を拭う。

 今、彼は温泉施設で浴室の清掃を行っていた。長柄ながえのブラシを片手で持って、力を込めてタイルをこする。温泉周りだけは都会の公衆浴場テルマエにも引けを取らない。

 要するに金がかかっていて、その維持は村の全員で受け持つ大事な仕事だ。


「こっちは俺一人で大丈夫だ。じいさんは休んでるといい」

「おやおや、ありがたいねえ。じゃあ、少し一服させてもらおうかのう」

「ああ、ゆっくりしててくれ」


 この老人も、カイナが小さな悪ガキだった頃からの付き合いだ。

 子供の頃に見た時より、少し小さくなった気がする。カイナが成長して大きくなったのもあるが、腰が曲がってゆるやかにしぼんだ印象だ。

 それでも、めてくれる時の満面の笑みは変わらない。

 カイナは郷里きょうりを愛し、そこに住んでいる人たちが大好きだった。

 そう、好きだ。

 みんな、大好きだ。

 守りたい……守らせてほしい。

 だが、その好きという気持ちを上手く向けられない人間が一人だけいた。


「……いや、今はいい。邪念退散じゃねんたいさん。今は仕事と修行に集中するんだ」


 去ってゆく老人を見送り、掃除を再開させる。

 こうした日常の全てが、今のカイナには特訓である。片腕でなんでもこなせるようになりたいし、隻腕せきわんであることを意識せずとも自然に反射で動ける肉体を作りたい。

 それに、今後は重要視されるであろう足腰の鍛錬にもなる。

 気合を入れて、カイナは丁寧にタイルの一枚一枚を磨いてゆく。

 そんな彼の背に、ハスキーな声が投げかけられた。


「ん、カイナか。へえ、勤勉なことだね。こっちの湯は今、清掃中かい?」


 カイナが顔をあげると、壁の鏡に可憐な姿が映っていた。

 声のぬしは、シエルだ。

 だが、妙だ。

 男のカイナを前に、堂々としている。

 真っ平らな胸を隠そうともしないし、その下も堂々とさらしていた。

 あのユウキでさえ、混浴には恥じらっていた。恥じらいつつも、身体の不自由なカイナの背を流してくれたのである。そのことを思い出すと、不思議とまた額の奥が熱くなった。それでカイナは、改めて邪神退散を心につぶやく。


「どうした、シエル。こっちは混浴で、男も来るが。あと、俺は男だが」

「ん、別に? 見ての通り俺だって男さ」

「む……た、確かに」


 そう、

 かすかにたなびく湯けむりの中に、細身の少年が立っている。

 長い金髪も今はほどかれ、まるで天女のように見目麗みめうるわしい。だが、その下腹部には見慣れたものがぶら下がっていた。酷くせた体躯たいくに不釣り合いなほど、立派なモノがである。

 シエルは彼女ではなく、彼だったのである。

 女装していたが男なのだ。

 驚いたが、カイナはそれ以上の感情を持たなかった。

 そのことに逆にシエルが驚いたようで、フフフと意味深な笑みを浮かべる。


「おや? 俺がどうして女の格好をしてるか、聞かないのかい?」

「ああ。興味がないのもあるし、事情があるか、女装が好きかだろう」

「ま、そんなとこだね」

「それに、似合っていた。美しいものを詮索するのは無粋ぶすい野暮やぼというものだ」


 カイナという男、朴念仁ぼくねんじんくせに時々こういうことを言う。

 その言葉を受けて、シエルは顔を真赤にして目をそらした。


「バ、バカだね、君は。真顔でそういうことを言うなよ」

「それは悪かった。さ、身体が冷えるから別の湯に行くといい」

「ああ、そうさせてもらうよ。……なるほど、ユウキが言ってた通り面白い男だね」


 シエルはれた視線で一瞥いちべつして、愉快そうに鼻を鳴らす。そうして去り際、一度だけ肩越しに振り向いた。


「カイナ、最後に一つ。ユウキの機械式の鎧、どう思う? 戦ってみて、どうだったかな」

「手強い。そして厄介だ。あれだけ強固な防御力が、同時に機動力をもあわせ持っている。あれは、ユウキでなければ着こなせないことを除けば、この世で最強の鎧だろう」

「おいおい、嫌に褒めるね。てっ、照れるからさ、そういうの」

「なんとか辛勝したが、次やればどうかはわからん。ただ、やりようはあるし、弱点も見えた」


 弱点という言葉にシエルは食いついた。

 身を乗り出して戻ってきたので、思わず詰め寄られてカイナはのけぞる。


「弱点? へえ、それは聞き捨てならないな!」

「鎧自体の弱点じゃないさ。ただ、

「あっ! ……そ、そうだな、それは鎧が防具である以上、しかたがない」

「ドラゴンのうろこ甲殻こうかく、モンスターの毛皮や甲羅ではないのだ。脱がせばそれは、もう機能しない」


 そう、ユウキから鎧を脱がせば……それをつい想像してしまって、慌ててよこしまな妄想をカイナは頭から振り払う。

 だが、セナ直伝の格闘術は、打撃、投げ、絞めと関節技がそろった無敵のけんだ。密着して留め金を外せば、鎧は脱げて無力となるだろう。肌と肌とを合わせての寝技も、幼少期からカイナはセナにみっちり仕込まれていた。


「……あの頃は、母さんにまたがっていていても妙な気にならなかったが」

「ん? なんだい、カイナ」

「いや、なんでもない。シエル、あれは素晴らしい鎧だ。科学というのは、凄いものなのだな」

「はは、まあね。……君もさ、カイナ。その恩恵を受けたいとは思わないかい?」

「俺がか? 何故なぜ

「おいおい、質問に質問を返すんじゃないよ。俺がさ、造ってやるよ。義手ぎしゅをさ」


 ――

 それは、思ってもみない発想で、全くカイナの頭にない選択肢だった。

 とはいえ、義手の存在は以前から知っている。大富豪や王侯貴族だけが得られる、高価なものだ。だが、それは武術をもって全身を武器に戦うには、あまりにも粗末なものだ。日常生活を送るのがやっとというのが、このユグドルナの義手義足である。

 同時に、思い出す。

 このシエルが造った、機械作動式の鎧を。

 あれを着こなすユウキは、五体の動きを全く阻害されていなかった。自分の怪力を十二分に発揮し、機械的なアシストでそのパワーはスピードを両立させていたのだ。


「……考えさせてくれ。今はまだ、俺は自分の身体のことで手一杯だ」

「ん、わかった。フフ、俺も君が気に入ったよ、カイナ。しばらくこの村に厄介になることにした。ユウキの鎧のメンテナンスもあるしね」


 それだけ言って、シエルは行ってしまった。

 その背は、男のものとは思えぬほどに色変に満ちている。カイナは、ユウキとはまた別種の、どこか背徳的はいとくてきないけない美しさを垣間見かいまみた思いだった。

 そして、シエルが見えなくなると……突然、直ぐ側で声がした。


「ふむ、噂には聞いておったが、あやつも難儀な生き方をしておるのう」

「えっ? か、母さん!? い、いつからそこに」


 清掃中だというのに、源泉かけ流しの湯船にセナの姿があった。

 いつのまに入ってきたのだろうか……全く気配を感じなかった。流石さすがは師匠、四百年無敗は伊達ではない。

 セナは湯にしどけなく身を沈めて、浮かせたぼんの上の酒を飲んでいる。

 家事を魔族のマイムが手伝ってくれるので、ここ最近は自堕落じだらくになるばかりだ。


「母さん、日も高いうちからお酒を飲んで……だらしないですよ」

「ほう? だらしないと言うたか。このワシが、母が! だらしないか、カッカッカ!」

「母さんにはいつも、いつでも、いつまでもシャンとしていてほしい」

「フフ、かわいいことを言うではないか。どれ! 見よ、母の身体はだらしないか?」


 突然、セナは立ち上がった。

 したたる湯のしずくが、真っ白な肌を伝ってこぼれ落ちる。シワやたるみもなく、均整の取れた肉体美が目の前にあった。黄金率の集合体みたいな裸体は、芸術家が削り出した大理石の彫刻のよう。

 引き締まった筋肉美が、女性特有の柔らかな曲線にいろどられている。

 全身に残る疵痕きずあとは、カイナにはセナを飾る勲章くんしょうのように思えた。

 美しい、そこには大好きな母にして師の姿があった。

 だが、それだけだ。


「いや、立派なものですが……エルフは長寿で歳を取りませんし。ただ、少しは恥じらいを」

「息子に恥じるなにものもない! ワシに見られて恥ずかしいものなどないのじゃ」

「そういう無駄に堂々としたところが、逆に恥ずかしいというか」

「なにを言う、お主こそつまらんのう。絶世の美女が裸でおるのだぞ?」

「ええ、そしてそれは尊敬する師匠で、家族で、母さんです」

左様さようか。フム……馬鹿真面目ばかまじめな男に育ったのう」


 再びジャブン! とセナは湯に浸かった。

 やはり、特にカイナは感情を揺さぶられることはなかった。見慣れた母は、カイナが拾われた時から全く容姿が変わっていない。エルフなので、老いることがないのだ。肌は瑞々みずみずしく、言動と違って容姿も若くて綺麗なままである。

 その裸を見たところで、美しいと思う以外に心は動かなかった。

 そんなカイナをつまらなそうに見ながら、セナは先程の話を続ける。


「シエルはのう、その道では有名じゃよ。異端いたんの科学者、魔法ではなく科学で銃を造った男……まあ、身体は男なのじゃがのう」

「あの女装のことですか? 好きなものを着て好きに生きればいいかと思うのですが」

「それはお主の心が広くて、無垢むくで無知で田舎者いなかものじゃからよ。……貴族様はそうもいかん」

「貴族? シエルがですか?」


 聞けば、シエルはさる土地の領主の息子として生まれた。王国の重鎮じゅうちんでもある、公爵こうしゃくの一人息子だったという。

 だが、彼は男の肉体に女のたましいを持って生を受けたらしい。

 そのことに激怒した家族とは、物心ついた時にはすでに縁を切ったという。


「まあ、まれによくある話じゃ」

「稀なんですか、よくあるんですか……どっちなんだ。でも、ニュアンスはわかります」

「うむ。シエルは才気にあふれる逸材でな。それがまた、親の不況を買った。普通の男であれば、さぞ名のある跡取りになっただろう、とな。いつの世も親というやつは」


 シエルは持てる才能の全てを、科学という新たなジャンルに向けた。勘当された貴族の息子、しかも心は女で女装した少年など、どこにも活躍の場所がなかったからだ。

 一人で科学の分野を切り開き、無数の発明を世に送り出した。

 魔王オロチが挙兵きょへいした時、自分の両親が民を捨てて逃げたことを知って……シエルはどんな思いを味わったのだろうか? それは、反魔王レジスタンスに銃を提供していることからも、察することができた。


「……今はワシの家の客じゃ。カイナ、お主もできる範囲でいいから優しくしてやれ」

「わかりました、母さん」

「あとのう、ユウキを取られるでないぞ? 可愛い顔してても、男は男。よめ寝取ねとられてはかなわんからのう! ウハ、ウハハハハ!」

「やらしい顔になってますよ、母さん。はあ、しょうがない人だまったく」


 だが、そんなセナがカイナは大好きだ。

 そして、ユウキを嫁だ取られるなと言われると、変に落ち着かないのだった。

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