墓前に誓うは、生まれ直す再起
ユズルユ村の片隅、森との境に
カイナは、近所の隣人の葬式以外では初めて訪れた。
だから、最後に
それでも、目の前に
対峙するカイナは、今までにない気持ちを味わっていた。
「……来るのが遅かったな。すまない」
先程もらった
全て、セナに頼まれた買い物のついでに買ったものだ。そのどれもが、今この瞬間も生きているかのように
だが、それを受け取り喜ぶ人間はもう、冷たくなって土の下にいる。
カイナとセルヴォ守って死んだ、カルディアはこの地に埋葬されていた。
村の巫女だった彼女の墓には、今日も無数の花で溢れかえっている。
村人たちが定期的に訪れてくれているのだ。
「俺は、お前との約束を守れなかった。今は、セルヴォを守れない。今は、まだ」
――今は、まだ。
そう、まだカイナはカルディアの死が完全に受け入れられずにいた。
魔王との戦いは死闘だった。
その中で、カルディアは不思議な術によって命を絶たれた。それも、カイナとセルヴォ、二人の友を守るために。
身を盾にして、彼女はカイナたちを救ってくれたのである。
だが、彼女の献身、
あの一年前の惨劇から、全てが変貌してしまったのだった。
「カルディア……俺は、お前のようにはなれなかった。セルヴォを守れても、守り続けることができなかった。だが、見ててくれ。俺は……まだ、諦めてはいない」
墓前で一歩下がって、左手だけで
王都を中心に教会の勢力が広がりつつあったが、ユズルユ村ではいまだに土着の信仰が息衝いていた。
カイナにとって、祈る相手が誰かはあまり重要ではない。
教会の神か、それとも天界樹か。
そんなことはどうでもよかった。
ただ、今はカルディアのために祈る。
快活で
「……よし、では始めるか。もし見える場所にいるなら、見ていてくれ。カルディア……俺はまだ、戦える。絶対に、戦ってみせる!」
セルヴォに、村に帰るように言われた時は、絶望した。
だが、それでも諦めることはできなかったのだ。
絶望に屈するには、まだまだカイナは若かった。それに、まだ左腕と両足が残されている。利き腕を失った痛みは今もあるが、言い換えれば『利き腕を失っただけ』だった。
もう、以前のようには戦えないのはわかる。
それで、全てが終わったと言われても仕方がないだろう。
でも、その先にカイナは小さな光を感じていた。
その輝きに向かって走れば、必ず大きな
「どれ、試してみるか――フッ!」
大気を通して世界と繋がり、循環する
あっという間に、村外れの墓地は背後に飛び去った。
そのままカイナは、森の中へと飛び込む。
木々の枝葉をかいくぐり、高速で無軌道に
「やはり、身体が
全力全開で
わかっていたことだが、以前のようにはいかない。
どうしても、右腕がないことで姿勢が乱れてしまった。
先日、セナに暴力的な歓迎を受けた時もそうだった。人間はもともと、持って生まれた五体が完全である状態を常としている。だが、今のカイナには右腕が欠けているのだ。その喪失はダメージと同時に、肉体にも致命的な欠落をもたらしていた。
だから、まずはその現状を知って受け止める。
「たかが腕一本……失ったとて! 俺は戦ってみせる!」
暴走気味な機動で、自分を森の中に放り投げてゆく。
その
だが、不意に目の前にイレギュラーな光景がねじ込まれる。
それは、絶叫が森に響き渡るのと同時だった。
「い、いやぁぁぁぁ! 駄目っ、ワラシ! 逃げなさい! ここは母が」
「嫌だっ! 母様を置いてなんて、行けないよ! 僕だって、魔法でなら」
小さな子を連れた女だ。
おそらく、もう随分と森を歩いたのだろう。その足取りは重く、疲労困憊といったところだ。そして、マントを
カイナがその姿に驚き、同時に両者の間に割って入る。
着地して見上げれば、確かに目の前に強敵がそびえ立っていた。
「こいつは……ヒポグリフ! こんな場所にか!」
カイナは驚きつつも、冷静に身構える。
目の前で吼え
凶暴なヒポグリフは、よく魔王軍で空中の騎兵として使われている。
ゴブリンやコボルトが乗るヒポグリフには、以前のカイナも手を焼いたものである。
だが、その焼かれて
無数の魔獣を叩き潰してきた右拳は、もう失われたのだ。
「おいっ、そこの二人! 西へ走れば村だ、急げっ! ここは俺が食い止める!」
「し、しかし、
「俺のことは気にするな! お前は母親だろう! 我が子を守ることに集中しろ!」
「あ、ありがとうございます。さ、ワラシ! こっちへ!」
カイナには母の記憶がない。
気付けば、全てが死に絶えた戦場を
その戦いの中で、カイナは養母セナに拾われたのである。
そして今、
魔王が率いる闇の軍勢を前に、誰もが逃げ出してしまったのである。
カイナたち平民が立ち上がることで、かろうじて人間社会は存続しているのだった。
「さて、どう出る? 空を舞う
走り去る親子を尻目に、カイナは地を蹴った。
滞空するヒポグリフに対して、果敢に空中戦を挑む。
そして、左手に守りを命じて引き締めつつ……鋭く引き裂くような飛び蹴りを放つ。
脳裏には、母にして師匠のセナが浮かび上がっていた。
だが、師の華麗なる妙技に比べて、カイナの蹴りはあまりにも固くぎこちない。
弧を描く蹴りの軌跡が、僅かにヒポグリフの翼を
「やはり、思うようにはいかんか!」
カイナは今まで、蹴り技を多用してこなかった。できない訳ではないが、好んで使わなかった。むしろ、意図的に封印してきたのだ。
足技は機敏な機動力と俊敏性が問われる。
自ら動いて風となり、疾風の連撃、烈風の一撃を叩き込むのが蹴り技の極意だ。
だが、背に仲間を守るからにはその場を動くことはできない。
カイナはいつでも、全てを受け止め弾き返す構えを使ってきたのだ。
今はそれが失われ、思い出したように蹴りを放っても避けられる。
子供の声が走って、カイナは空中で身を翻した。
「お兄さん、上っ! 奴は高度を取って上から来るっ!」
先程の子供が、母親に手を引かれながら叫んでいた。
フードの奥に顔は見えないが、
カイナは周囲の手近な木の枝を蹴って、その反動でさらに高い空へと駆け上がった。
猛禽類の如く鋭い、ヒポグリフの
空気を引き裂く、風切り声。
肌を薄皮一枚で切り裂く、鋭利な斬撃。
カイナは頬をえぐった一撃が
「チィ! これが勇者セルヴォの右腕だった俺だとはな……だがっ、そこだ!」
確かな手応え……否、脚応えがあった。
空中での不安定な体勢から、カイナが放った横蹴りがヒポグリフに突き刺さる。
だが、やはり今の自分は己の肉体を使いこなせていない。
蹴った反動でぐらりとよろめき、そのままカイナは落下してしまった。
痛打を見舞われたヒポグリフは、甲高い声と共に飛び去ってゆく。
ひとまずは魔物を撃退したが、結果的には敗北したに等しい。
以前のカイナならば、ヒポグリフが何匹来ようとも揺るがなかった。無数の敵を前に、全ての攻撃を
それが今は、地べたに落ちてどうにか受け身を取り、震えながら立ち上がるのが精一杯である。
「あ、あの……ありがとうございました。お怪我は」
先程の親子が戻ってきた。
恐らく、ユズルユ村への
カイナはかろうじて身を起こし、二人の無事を確認して
だが、思った以上に自分の身体が深刻な状態にあることを知ってしまった。既にもう、師匠より伝授された無敵の奥義を振るうことはできない。師匠のように、蹴り技を主体に戦う
そんなカイナの耳に、聴き慣れた声が遠くから近付いてくる。
「さっきの声……にぃに! ほら、あそこっ!」
「サワちゃん、目がいいのね。ほんとだ! カイナ君っ、大丈夫? そっちの人たちは」
その時、今まで逃げていた旅装の少年が歩み出た。彼は――そう、声から察するに男の子だった――止めようとする母親の手をやんわりと制して、カイナに向かって
差し出された手から、魔力が治癒の力となって放出された。
あっという間に、カイナに蓄積された疲労が消え去ってゆく。
頬の深い裂傷すらも、
「あ、ありがとう。そうか、お前は回復魔法を――」
呼吸を整え、どうにかカイナは立ち上がる。僅かな時間だったが、慣れぬ技を全力で振り回したので酷く疲れていた。そして、その消耗が魔法で急激に補われた。今はただ、かすかな気だるさがあるだけである。
そして、回復の力を向けてくれた子供は……ゆっくりとフードを脱ぐ。
駆けつけてきた自警団たちも、ユウキとサワも絶句する。
そこには……青白い顔に角を生やした、魔族の顔が立っているのだった。
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