墓前に誓うは、生まれ直す再起

 ユズルユ村の片隅、森との境に墓地ぼちがある。

 カイナは、近所の隣人の葬式以外では初めて訪れた。何故なぜなら、先祖代々の墓がないから、カイナは、セナに拾われた戦災孤児だ。そして、エルフである養母セナは、まだまだ死にそうにはないし、あの人は殺しても死ぬようなタマじゃない。

 だから、最後にとむらわれる墓地、墓に対しての感慨は薄い。

 それでも、目の前に幼馴染おさななじみの名が刻まれた石がある。

 対峙するカイナは、今までにない気持ちを味わっていた。


「……来るのが遅かったな。すまない」


 先程もらったくしの他、買い揃えた花や果物をそなえる。

 全て、セナに頼まれた買い物のついでに買ったものだ。そのどれもが、今この瞬間も生きているかのように瑞々みずみずしい。木材を削られ生まれた櫛も、まだ陽光と水分を吸い上げて生きてるかのような花も、果物も。

 だが、それを受け取り喜ぶ人間はもう、冷たくなって土の下にいる。

 カイナとセルヴォ守って死んだ、カルディアはこの地に埋葬されていた。

 村の巫女だった彼女の墓には、今日も無数の花で溢れかえっている。

 村人たちが定期的に訪れてくれているのだ。


「俺は、お前との約束を守れなかった。今は、セルヴォを守れない。今は、まだ」


 ――今は、まだ。

 そう、まだカイナはカルディアの死が完全に受け入れられずにいた。

 魔王との戦いは死闘だった。

 その中で、カルディアは不思議な術によって命を絶たれた。それも、カイナとセルヴォ、二人の友を守るために。

 身を盾にして、彼女はカイナたちを救ってくれたのである。

 だが、彼女の献身、とうとい犠牲はセルヴォを変えてしまった。

 あの一年前の惨劇から、全てが変貌してしまったのだった。


「カルディア……俺は、お前のようにはなれなかった。セルヴォを守れても、守り続けることができなかった。だが、見ててくれ。俺は……まだ、諦めてはいない」


 墓前で一歩下がって、左手だけでおがむ。

 王都を中心に教会の勢力が広がりつつあったが、ユズルユ村ではいまだに土着の信仰が息衝いていた。天界樹ユグドラシルを中心として、それをまつる巫女と共に祈るのが弔いの習わしだ。

 カイナにとって、祈る相手が誰かはあまり重要ではない。

 教会の神か、それとも天界樹か。

 そんなことはどうでもよかった。

 ただ、今はカルディアのために祈る。

 快活で闊達かったつ、ラジカルで優しく高潔だった友のために祈るのだ。


「……よし、では始めるか。もし見える場所にいるなら、見ていてくれ。カルディア……俺はまだ、戦える。絶対に、戦ってみせる!」


 セルヴォに、村に帰るように言われた時は、絶望した。

 だが、それでも諦めることはできなかったのだ。

 絶望に屈するには、まだまだカイナは若かった。それに、まだ左腕と両足が残されている。利き腕を失った痛みは今もあるが、言い換えれば『』だった。

 もう、以前のようには戦えないのはわかる。

 それで、全てが終わったと言われても仕方がないだろう。

 でも、その先にカイナは小さな光を感じていた。

 その輝きに向かって走れば、必ず大きなまぶしさに飛び込めるはずである。


「どれ、試してみるか――フッ!」


 肺腑はいふに息を留めて、吐き出す。

 大気を通して世界と繋がり、循環するの力でカイナは自身を打ち出した。助走もなく、その場から一気に飛び上がる。

 あっという間に、村外れの墓地は背後に飛び去った。

 そのままカイナは、森の中へと飛び込む。

 木々の枝葉をかいくぐり、高速で無軌道にせる。


「やはり、身体がわずかに重い! 右腕を失った重量がどうこういう話ではないな……俺の肉体は今、いちじるしくバランスを欠いているということか!」


 全力全開で疾走はしり、ぶ。

 わかっていたことだが、以前のようにはいかない。

 どうしても、右腕がないことで姿勢が乱れてしまった。

 先日、セナに暴力的な歓迎を受けた時もそうだった。人間はもともと、持って生まれた五体が完全である状態を常としている。だが、今のカイナには右腕が欠けているのだ。その喪失はダメージと同時に、肉体にも致命的な欠落をもたらしていた。

 だから、まずはその現状を知って受け止める。


「たかが腕一本……失ったとて! 俺は戦ってみせる!」


 暴走気味な機動で、自分を森の中に放り投げてゆく。

 その都度つど、乱れた身体のバランスを自分で補正して、修正しながらカイナは動き続けた。まずは、右腕を失った自分そのものを掌握し、熟知したかった。

 だが、不意に目の前にイレギュラーな光景がねじ込まれる。

 咄嗟とっさにカイナは、左手で手近な枝を握って減速、急なターンを決めた。

 それは、絶叫が森に響き渡るのと同時だった。


「い、いやぁぁぁぁ! 駄目っ、ワラシ! 逃げなさい! ここは母が」

「嫌だっ! 母様を置いてなんて、行けないよ! 僕だって、魔法でなら」


 小さな子を連れた女だ。

 おそらく、もう随分と森を歩いたのだろう。その足取りは重く、疲労困憊といったところだ。そして、マントを羽織はおってケープを目深くかぶった人影の前に、敵意が立ち塞がっていた。

 カイナがその姿に驚き、同時に両者の間に割って入る。

 着地して見上げれば、確かに目の前に強敵がそびえ立っていた。


「こいつは……ヒポグリフ! こんな場所にか!」


 カイナは驚きつつも、冷静に身構える。

 目の前で吼えすさぶは、めったに見られぬ凶暴なモンスターだ。名は、ヒポグリフ……グリフォンと呼ばれる猛禽獣もうきんじゅう駿馬しゅんめに産ませた、多数の動物を混ぜ合わせた存在。いわゆるキメラである。

 凶暴なヒポグリフは、よく魔王軍で空中の騎兵として使われている。

 ゴブリンやコボルトが乗るヒポグリフには、以前のカイナも手を焼いたものである。

 だが、その焼かれてただれた手が今はもうない。

 無数の魔獣を叩き潰してきた右拳は、もう失われたのだ。


「おいっ、そこの二人! 西へ走れば村だ、急げっ! ここは俺が食い止める!」

「し、しかし、貴方あなたは」

「俺のことは気にするな! お前は母親だろう! 我が子を守ることに集中しろ!」

「あ、ありがとうございます。さ、ワラシ! こっちへ!」


 カイナには母の記憶がない。

 気付けば、全てが死に絶えた戦場を流離さすらっていた。そこがかつて、人が暮らした村だったこともあとから知った。王国による統治は度々たびたび反乱に見舞われ、多くの戦乱を引き起こしてきた。

 その戦いの中で、カイナは養母セナに拾われたのである。

 そして今、門閥貴族もんばつきぞくたちを従え続けてきた王国の支配体制も滅びた。

 魔王が率いる闇の軍勢を前に、誰もが逃げ出してしまったのである。

 カイナたち平民が立ち上がることで、かろうじて人間社会は存続しているのだった。


「さて、どう出る? 空を舞う獰猛どうもうな獣を前に……試してみるか!」


 走り去る親子を尻目に、カイナは地を蹴った。

 滞空するヒポグリフに対して、果敢に空中戦を挑む。

 そして、左手に守りを命じて引き締めつつ……鋭く引き裂くような飛び蹴りを放つ。

 脳裏には、母にして師匠のセナが浮かび上がっていた。

 だが、師の華麗なる妙技に比べて、カイナの蹴りはあまりにも固くぎこちない。

 弧を描く蹴りの軌跡が、僅かにヒポグリフの翼をかすめる。


「やはり、思うようにはいかんか!」


 カイナは今まで、蹴り技を多用してこなかった。できない訳ではないが、好んで使わなかった。むしろ、意図的に封印してきたのだ。

 足技は機敏な機動力と俊敏性が問われる。

 自ら動いて風となり、疾風の連撃、烈風の一撃を叩き込むのが蹴り技の極意だ。

 だが、背に仲間を守るからにはその場を動くことはできない。

 カイナはいつでも、全てを受け止め弾き返す構えを使ってきたのだ。

 今はそれが失われ、思い出したように蹴りを放っても避けられる。

 子供の声が走って、カイナは空中で身を翻した。


「お兄さん、上っ! 奴は高度を取って上から来るっ!」


 先程の子供が、母親に手を引かれながら叫んでいた。

 フードの奥に顔は見えないが、逼迫ひっぱくした声音が鼓膜をビリビリと震わせる。

 カイナは周囲の手近な木の枝を蹴って、その反動でさらに高い空へと駆け上がった。

 猛禽類の如く鋭い、ヒポグリフの鉤爪かぎづめが間近に迫ってくる。

 空気を引き裂く、風切り声。

 肌を薄皮一枚で切り裂く、鋭利な斬撃。

 カイナは頬をえぐった一撃が緋色ヴァーミリオンに森を染める中で蹴りを放つ。


「チィ! これが勇者セルヴォの右腕だった俺だとはな……だがっ、そこだ!」


 確かな手応え……否、脚応えがあった。

 空中での不安定な体勢から、カイナが放った横蹴りがヒポグリフに突き刺さる。

 だが、やはり今の自分は己の肉体を使いこなせていない。

 蹴った反動でぐらりとよろめき、そのままカイナは落下してしまった。

 痛打を見舞われたヒポグリフは、甲高い声と共に飛び去ってゆく。

 ひとまずは魔物を撃退したが、結果的には敗北したに等しい。

 以前のカイナならば、ヒポグリフが何匹来ようとも揺るがなかった。無数の敵を前に、全ての攻撃をさばいて受け流し、カウンターで拳を叩き込んできたのだ。

 それが今は、地べたに落ちてどうにか受け身を取り、震えながら立ち上がるのが精一杯である。


「あ、あの……ありがとうございました。お怪我は」


 先程の親子が戻ってきた。

 恐らく、ユズルユ村への湯治とうじが目的かもしれない。

 カイナはかろうじて身を起こし、二人の無事を確認して安堵あんどする。

 だが、思った以上に自分の身体が深刻な状態にあることを知ってしまった。既にもう、師匠より伝授された無敵の奥義を振るうことはできない。師匠のように、蹴り技を主体に戦うすべもまだまだ未熟だった。

 そんなカイナの耳に、聴き慣れた声が遠くから近付いてくる。


「さっきの声……にぃに! ほら、あそこっ!」

「サワちゃん、目がいいのね。ほんとだ! カイナ君っ、大丈夫? そっちの人たちは」


 その時、今まで逃げていた旅装の少年が歩み出た。彼は――そう、声から察するに男の子だった――止めようとする母親の手をやんわりと制して、カイナに向かってかがむ。

 差し出された手から、魔力が治癒の力となって放出された。

 あっという間に、カイナに蓄積された疲労が消え去ってゆく。

 頬の深い裂傷すらも、疵痕きずあとさえ残さず完治してゆく。


「あ、ありがとう。そうか、お前は回復魔法を――」


 呼吸を整え、どうにかカイナは立ち上がる。僅かな時間だったが、慣れぬ技を全力で振り回したので酷く疲れていた。そして、その消耗が魔法で急激に補われた。今はただ、かすかな気だるさがあるだけである。

 そして、回復の力を向けてくれた子供は……ゆっくりとフードを脱ぐ。

 駆けつけてきた自警団たちも、ユウキとサワも絶句する。

 そこには……青白い顔に角を生やした、魔族の顔が立っているのだった。

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