ユズルユ村の、まごころ

 ユズルユ村の広場に、多くの村人たちが集まっていた。

 結局あのあと、カイナは魔族の親子を村へと連れ帰ったのだ。

 そう、魔族……この世を震撼させる魔王の眷属けんぞくだ。その肌は透き通るように青白く、頭部にはつのが生えている。母子共にすらりとせて容姿端麗ようしたんれいだ。

 だが、それを見やる人間の目には、戸惑とまどいや迷いが浮き出ている。

 その視線に怯えるような母を、魔族の子ワラシが背にかばって立っていた。


「にぃに、魔族です! 魔族! どうして村に連れ帰ったですか!」


 先程からサワは、自警団の男たちと共に親子をにらんでいた。

 無理もない……ちらりと視線を滑らせれば、村の広場に王都の新聞が張り出してある。この辺りには配達はされないが、都会からの念信ねんしんをセナが魔法で受け取り、毎朝書き出して掲示しているのだ。

 そこには今日も、魔王率いる闇の軍勢の驚異が見出しを飾っている。


「サワ、お前なら……危険な森の中に、無力な親子を捨てておけるか?」

「それは無理です! 危ないから保護すべきなのです! だから、にぃには正しいのです。でも」

「わかっている。だが、敵意は感じない……だからお前も皆も、ほこを収めたのだろう」


 すでにサワは、弓のつるを外している。

 攻撃はしないという意思表示で、若者たちも剣を抜いてはいない。

 だが、油断なく身構えているのも事実だ。

 魔族はこのユグドルナでは少数民族で、それゆえに恐れられてきたのだ。一部の地域では、潜在的に強力な魔力、独自色の強い魔法を嫌って迫害されてすらいる。

 同時に、カイナはこうも思うのだ。

 それは全て、外の世界の話。

 ここは、傷付いた者たちが訪れる湯治場とうじば、ユズルユ村なのだ。

 そうこうしていると、村長とセナが揃って現れた。


「村長、それに母さん」

「おうおう、カイナ。ご苦労じゃったのう。で、あの二人が」

「はい。旅の親子で、母親のやまいにはここの温泉が癒やしになるかと」

「ふむ。なれど、村の者たちの不安も理解できるでな」


 村長は慎重な上に、思慮深い男だった。

 老いて尚も、村と民のことを第一に考え、精力的に毎日働いている。

 あのセルヴォの父親だけあって、勤勉で誠実な老人だった。

 その村長へと、ワラシの母親が一歩歩み出る。


「あの……無理を承知でお願いします。病が癒えたら、すぐに出ていきますので。無理ならせめて、この子に少しでも食事を」


 か細く弱々しい、震えた声音だった。

 ここまで来るのに、随分と辛酸しんさんを舐めたようである。この御時世ごじせいであれば、どこへ行っても魔族は苦しいだろう。そんな旅路の果てに、二人はようやくユズルユ村に辿り着いたのだ。

 魔王は世界の敵、恐るべき秩序の破壊者だ。

 だが、同じ魔族だからといって、困窮こんきゅうした親子を見捨てていい道理はない。

 カイナは村長の前に歩み出て、深々とこうべを垂れた。


「村長、俺からも頼む。湯を使わせてやってくれ。それと寝食と休息も必要だ」

「ふむ」

「なにかあったら、俺が責任を取る。もしこの二人が暴れて村に害をなすなら」

「その時はどうするね、カイナ」

「俺が村を守って戦う。その時は、容赦はしない」


 半分は嘘だ。

 どうしてもカイナには、この親子を叩いて潰すことはできない。

 もし害意があるなら、出ていってもらえればいいのだ。

 追い出す程度なら、今の不完全な武術でも成し遂げられるだろう。

 だが、そういうカイナの意図いとを村長はどうやら見抜いているようだった。


「カイナや、昔からお前は嘘が下手でいかん。それはせがれのセルヴォも同じじゃなあ」

「では、村長」


 カイナをそっと手で制して、村長は親子へと歩み寄る。

 自警団の者たちが側で守ろうと近寄るが、それすらも村長は一瞥いちべつして留まらせた。

 ゆっくりと村長は、小さなワラシに屈み込む。


「ボウヤ、どこから来なすったね?」

「……王都の方。逃げて、きた。ママ、病気」

「そうかそうか。風の噂ではもう、王家は都を捨てて逃げたと聞くが」

「王様、いなくなった。都は荒れて、人間たちは盗みと殺しばかり。オイラは」


 ワラシの言葉は、凄絶な魔族の現状を物語っていた。

 ここより遠く、反魔王レジスタンスの前線基地よりさらに北……今はもう、魔王軍の勢力下に落ちた王都。王の支配は瓦解がかいし、その場所は無法地帯となっているらしい。

 そして、もともと王都や大きな街では、魔族を奴隷として売り買いする風習があった。

 単純な労働力として、あるいは愛玩用ペットとして……どちらにしろ、人間扱いはされない。

 何故なぜなら、このユグドルナの人間たちにとって魔族は亜人。

 それも、エルフやドワーフたちと違って、むべき邪悪な存在だからだ。

 そのことは教会が声高に主張し、特権階級たちの魔族迫害に正当性を与えているのだった。

 だが、村長は顔をしわくちゃにして笑った。


「ふむ、まずは……飯じゃなあ。それと、セナや」

「はい、村長」

「お前さんの家で、しばらく面倒を見てやれんかのう。どの湯が肌に合うかも、世話してあげなさい。ワシはあとで、医者を家に行かせよう」

「わかりました。お任せを」


 セナは村長に慇懃いんぎんにお辞儀をして、顔をあげるやカイナにウィンクを投げてきた。どうやら養母ははには、全てがお見通しのようだった。

 それで、周囲に集まった村人たちの空気が一気に弛緩する。

 そして、あっという間にワラシとその母は沢山の大人に囲まれてしまった。


「着るものは足りているか? 春になったが、まだまだ寒いぞ」

「顔色が悪いな……魔族だからか。まあ、肉を食え! 肉だ! あとでとりを差し入れよう」

「ボウズも疲れただろう。おっかさんを守ってここまで、偉かったな」

「さあ、まずは出会いを祝ってうたげとしたいが、それは夜だ! この二人はセナに任せて、俺たちは仕事だ!」


 呆気あっけにとられたように、親子は二人共目を瞬かせていた。

 そして、顔を見合わせ驚きを共有し合っている。

 彼女たちにとって人間は、恐ろしい支配者、飼い主だったのだろう。

 だが、ここの村の人間たちは違う。

 サワでさえも、先程の尖らせた気配が嘘のようだ。その証拠に、彼女はワラシに駆け寄りその手を握った。


「さ、家に案内するです。私の家には弟や妹が沢山いるです。一人増えても問題ないのです」

「で、でもオイラは」

「母さんだってエルフなのです。どう生まれたかは、ここではあまり関係ないのです」

「う、うん」


 サワはいい子だとカイナは知っていた。

 利発で器量よし、ちょっと危なっかしいが優しくて誠実な娘だ。立派な妹で、これは誇れることだとカイナは思っている。

 ともあれ、どうやら場は収まったようだ。

 村長も、主だった村の中心人物たちを集めて、二言三言の指示を残して去っていった。


「さて、では俺は引き続き森に向かうか」

「あれ? にぃに、家に帰らないですか?」

「ああ。もう少しこの身体に慣れたい。それに……」

「それに?」

「狩りでなにか捕まえてこよう。お前はこの子たちを頼むぞ」

「は、はいです! サワにお任せなのです、にぃに!」


 満面の笑みで、サワは親子を連れて行ってしまった。

 あとは任せろとばかりに、セナも大きくうなずく。

 不意に村の入口が騒がしくなったのは、そんな時だった。

 歓声が響いて、子供たちがこちらに走ってくる。その中に、巨大な獣を肩にかついだ少女の姿があった。


「やっほー? いのししかなあ、これ。こんなにでっかいの、いるんだねえ」


 それは、軽々と猪を担ぎ上げたユウキだった。

 彼女は今、セナの衣服を借りて身につけている。

 だが、露出の派手なタンクトップにホットパンツ姿で、いやがおうにもむっちりとした肉感が弾けんばかりに強調されていた。そして、女の細腕とは思えない力が、完全に猪の抵抗を封じ込めている。

 まだ生きているが、どうやら猪は既に戦意を喪失しているようだった。

 神々しいばかりの美貌とは裏腹に、怪力としか表現できぬ膂力りょりょく胆力たんりょく

 不思議なミスマッチに、またしてもカイナは呼吸が浅くなる自分を感じていた。


「カイナ君、さっきの親子に食べさせてあげようよ。あと、どうせ今夜も宴会するでしょ?」

「あ、ああ」

「ほんと、宴会好きだねー、この村。……あれ? カイナ君、どしたの? 顔、赤いよ?」

「いや! なっ、なんでもない!」


 まただ。

 どうしてユウキを見ると、心がざわめくのだろうか。

 カイナは、未知の感情が自分の中にあることを再認識した。

 そう、感情のゆらぎだ。

 巨大なうねりと言ってもいい。

 どんな戦場でも冷静沈着だった自分が、動揺しているのを感じた。


「とにかくだな、うん。見事な猪だ。重かっただろうに」

「うんにゃー? 軽い軽いっ! わたし、普通の六倍の筋力があるから」

「六倍……なんだか半端な上に、具体的な数字だな」

「まあねー」


 額の汗をグイと手の甲で拭って、ユウキが笑う。

 とてもほがらかで、飾らない笑顔がまぶしかった。

 そんな彼女に、セナも興味津々のようである。


素手すででこの獣をか……ユウキ、お前は武術の心得があるのかい?」

「んー、授業で剣道とか柔道はやったかな? あと、薙刀なぎなた。うち、結構お嬢様学園だったし」

「ケンドー? ジュードー……ナギナタ、か。聞いたことがない流派だな」

「ま、戦いは基本的に素人しろうとです! ただの力持ち、それだけかなっ」


 だが、カイナは知っている。

 彼女は鋼鉄の鎧を着込んで、戦場を疾駆する無敵の重戦士なのだ。

 誰が呼んだか、畏怖いふ畏敬いけいの念が『要塞少女フォートレス・リリィ』の通り名をとどろかせている。

 それでカイナは、ユウキの鎧を預かっているのを思い出した。


「そうだ、ユウキ。お前の武具を預かっていたが」

「あ、そうだった! いいよ、出しちゃって。ここからなら、カイナ君の家まで持って運べるし」

「そうだな。俺はもう少し、森で身体を動かしてくる」

「ん、あんまし無理しちゃ駄目だぞ? キミ、なんだかちょっとあせってるみたい」


 グッと身を乗り出し、ユウキが見詰めてくる。

 思わずドギマギして、慌ててカイナは魔法を使った。魔法陣が空中に現れ、それは光の輪になった。その奥へと手を突っ込み、荷物を取り出そうとしたが――


「む? ちと魔法の規模が小さかったか? だが、入れたのなら出せるのが道理」


 大き過ぎるユウキの荷物が、出入り口に引っかかってしまった。収納の魔法は初歩的なもので、誰でも使える便利な術だが……そういえばユウキは、魔法が使えないらしい。

 そして、強くカイナが引っ張り出した瞬間、宙を鎧の手足が舞った。

 荷物の包みがほどけて、重々しい甲冑かっちゅうが分解してばらまかれたのだ。

 同時に、薄布が顔に落ちてくる。

 なにかと手で払えば、それはユウキが一緒にまとめていた彼女の下着ぱんつなのだった。

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