美しくないわね

「放せって言っているだろ!」


 場違いな、幼さの残った怒鳴り声が響いた。

 声に反応して振り返ると、ちょうど入り口付近に小さな集まりが出来ていた。先程までは三組程度しかいなかったのだが、騒ぎを聞きつけた幾名かの華族が階段から身を乗り出し、或いは降りてきていた。

「モミジ!」

「ええ、参りましょう!」

 展示会といっても個人展であり、美術館程の警備はいなかった筈だ。私の記憶が確かならば、この主催者の従者が二名程立っていた。特に今回は一部の客しかいないため、本来用意している人数よりも少ない筈。

 入り口付近の小さな野次馬の中心に、警備員二人と細身で長身な少女が立っていた。その後ろには、真ん中の硝子箱ガラスケース付近に立っていた小柄な男も立っている。

 警備の男が少女の手を掴み、その後ろの秘書風の男がそれを嘲るような視線で見下ろしている。揉めているのは分かるが、一体どういう状況なのか。

「本当の事を言って、何が悪い! 間違えているからわざわざ教えてあげたんだろ!」

「小娘の妄言に付き合う気はないと言っているだろ。とっとと帰れ!」

「あたいは、本当の事を言っている。嘘つきは、あんた達の方だろ!」

「ええい、いい加減にせんか!」

 痺れを切らした警備の男が右手を大きく振り上げた。

「あ、危な……!」

 モミジが叫びかけ、華族の娘達が顔を背けようとした刹那――


「まったく。この扇子、気に入っていたんだけどな」


 と、私はさり気なく男の傍に立ち、両者の間に鉄扇を滑り込ませる。そして、男の手が振り下ろすより早くその手を鉄扇で弾く。鉄製なので力を入れて触れればかなり痛い。案の定、男は「いってえ」と叫びながら赤くなった手を押さえて前屈みになった。鉄だからね。

「まったく……美しくないわね」

「お姉様!」

 期待を持ってモミジが歓声を上げる。

「き、貴様! 何者だ!?」

 赤くなった手を抑えながら、警備員の男が問うた。

「理由は知らないけど、女の子を殴っちゃいけないでしょ」

「小娘には関係のない事だ。関係ねえ奴がしゃしゃり出てくるんじゃねえよ」

「お姉様に向かって、なんて口を叩くんですか!」

 モミジが飛び出すと、男が明らかに顔をしかめた。

 私ならともかく、モミジレベルの美少女には暴言吐けないか。

 ――なんか、腹立つな。

 まあ、女尊男卑のこの時代で、私に言い返せた勇気は褒めてあげるとして。

 空白時代以前――つまり、大政奉還以前の社会は、男尊女卑だったらしいけど、今はその逆。大政奉還という出来事が、当時までの常識を全てひっくり返したとも言われており、男尊女卑だった社会は女尊男卑となった。

 実際、今この国を実質支配している五大華族も、全員女当主らしい。

「ええい、うるさい、うるさい! 小娘が、偉そうに……」

「その小娘に怒鳴られるような事をしている方が悪いでしょ。大体……」

 と、私はそこで言葉を切ると、背に庇った少女を見やる。

 赤茶色の髪の、鶯色の和服の少女。モミジよりも背丈が少しだけ高い。元からかも知れないが、怒っているせいで目つきが鋭くなっており、気の強さが分かる。

「小娘一人に二人がかり。男として、恥ずかしくはないの?」

「だから、俺達は……!」


「そこまでです」


 と、その時、警備員の後方にいた、秘書らしき男が前に出た。

「失礼。どうやらお嬢様が誤解なさっているようですから、口出しさせて頂きました」

「あんたは……」

 先程から会場内をうろうろしていた秘書らしき小柄な男。

 彼は周囲を見渡すと、私と後ろの少女、そしてモミジの順に見る。そして、モミジを見ると、彼女の象徴しすぎている胸元を凝視し――

「やめてください。モミジの身体は髪の一本まで、お姉様の物です!」

「違うけど!」

 一瞬空気がよからぬ方向へ向かい始めたため、秘書らしき男は小さく咳払いをし――

「私は旦那様の秘書の安部恵介あべけいすけ。一階の管理を任されています」

 安部恵介、と名乗った男は端的に告げる。

「何を勘違いしているのか知りませんが、元はと言えば、その娘が我々に言いがかりをつけてきたのが始まり。自業自得とは思いませんか?」

「言いがかり?」

「いるんですよねー。招待もしてないのに来た挙げ句、勝手に暴れ出す下世話な輩は。だから、ろくに学のない奴は嫌になるんだ。言いがかりをつけたいのなら、他でやってくれ。ここは、お前のような小汚い娘が足を踏み入れて良い場所でない」

「言いがかりじゃない! おたくらが宣伝している雷切は偽物だから、嘘つくなって言っているだけだろ!」

「ちょっと……」

 私の声は届いていないのか、彼女は止める私の腕をすり抜け、安部へ言い放った。

「本物の雷切はあたいが所持している! ここにあるのは偽物だ!」

「お前が、あの雷切を……ぷっははははは! ありえないだろう、それは」

 安部が笑いながら少女を見下ろした。そして、彼女の着る鶯色の和服を見ると、それを野次馬達に教えるように大声で言った。

「その安っぽい服に、その品のなさ! 華族でないお前が、あの名刀を所持出来る筈がない!」

「そんな事……」

 少女は言い返そうとするが、その声を遮って華族達の笑い声が響いた。

「本当よね」「あんな薄汚い小娘が、雷切を所持出来るわけない」「とんだ嘘つきだ」「まったくだ。『浪漫財』を庶民が? あり得ん」

 口々に出る嘲笑が、少女の身体を銃弾のように貫いてく。

「あ、あたいは……っ」

 一人二人ならともかく、複数の華族に囲まれた中で嘲笑され、少女の声は震え出した。


「美しくないわね」


 ぱしん、と僅かに開いていた鉄扇を閉じると、良い音が鳴った。その音色は連中を黙らせるにはちょうど良く、一瞬で音が消えたように静かになった。

「揃いも揃って美しさに欠ける。折角の綺麗な召し物が可哀想だわ」

「な、何だお前はさっきから!」

「何って、お姉様は……ふがっ」

 言いかけたモミジの口を片手で塞ぐ。

「ただの通りすがりよ」

「と、とにかく、ここは菅野様が開催している、大変貴重な古刀展だ。招待状のない者が入れる筈がなかろう。……警備員、ほら、早くつまみ出せ」

「は、はい」

 まあ妥当な理由だな。

 ちらり、と少女を見ると――入り口で騒いでいた事から察するに、彼女が先に突っかかってきたようだが。

 と、その時――彼女の小柄な身体には似合わない物が目に入った。

 彼女が背負っている荷物。その形には、見覚えがある。

童子の背丈ほどの高さの棒状の何かを、紫色の布で包み込んでいるだけであり、一見大荷物を背負っているだけに見えるが――あの形は、ただの荷物ではない。

大きさのせいで彼女が動く度に空気を擦り――甘い香りが布から零れ出る。

 ――あの形に、この甘い香り。それに、さっきの発言。

 まさか、この子――。

「お姉様! 考え込んでいる場合じゃないです。その横顔が美しい……じゃなかった! あの人達、警察呼ぶとか言い出してますよ」

「子ども一人にそこまでするか、普通……」

「どうしますの!? あ、でも、お姉様と一緒なら、牢屋の中でも、モミジは生きていけ……」

「うん、ちょっと黙っていて」

 と、モミジの妄想を制すると、私は真後ろにいた少女の手を取った。突然手を掴まれたせいか、少女は驚きと期待の眼差しで私を見上げた。

「一緒に来て」

「あ、ずるい! モミジも!」

 善は急げ。私が走り出すと、後ろからモミジも追ってきた。入り口までそれほど距離がなく、また野次馬も少なかったため、容易に包囲網をくぐり抜けた。

「おい、待て! まだ話は……」

入り口付近に立っていた警備の男が躍り出た。

 ――荒事は美しさに欠けるから好みではないけど、致し方なし。

 私は男の正面に辿り着くと共に鉄扇を仰いで風を起こす。そよぐ程度の風だが土埃を起こすにはちょうど良く、男の両目に風と共に埃が入り込んだ。男が「目が、目が、目があああああああ」と地面に転倒しながら左右に転がる中、私は大股で入り口を突破した。その時、偶然頭を踏んでしまった。うん、偶然。

「お姉様、どうせお踏みなるならモミジめを!」

 モミジは――置いていこう。

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