第2話「失業」

 俺がそのバイトを受けたのは、ちょうど給与が大幅にカットされた9月の頭頃だった。



 手渡された給与明細に書かれていた、初任給を下回る手取りに愕然とし、アルバイトの方がまだ稼げるのではないかと思える自分を疑った。



 仕事は広告の営業だ。新聞に挟まっているチラシとか、教育関連の営業企画とか。そいうやつ。しかし、このご時世において、広告は企業にとって真っ先に経費削減の対象となる代物。折り込みがゼロ枚となる日が続く。新しくデリバリーを始める店が若干申し込んで来るが、リピートなし。今まで大きな得意手であったパチンコはメディアにやられ、車や不動産もゼロ。夏を超えてやや戻ってきたかに見えたが遅すぎた。今までの、普段通りという名のこれまでの生活が前提とされたビジネスは前提が崩れたことにより壊滅。経済がどうこうという以前に、生活がおかしくなっちまった。まるで戦争でも起きたかのようだ。



 自分も例外ではなく、12月1日付の解雇通知がすでに言い渡されている。10日の給与は保証されるそうだが、職の保証はない。入社二年目。退職金も出ない24の秋である。



 奨学金の返済や新生活に当たっての引っ越し、家財道具の費用などの支払いで貯金もろくにできていなかった自分は口座残高共に人生が底に着いたことになる。無事に、無残に着地。下を掘れば土は出るが、それは返済当てのない泥を手にすることを意味する。その場しのぎで土なんか使っても、金には変えられない。クレジット・リボ・ローン・借入・返済・クレジットの無限連鎖。無限列車の方がまだ可愛い。



「次の仕事、なかなかないなぁ」



 今まで何気なく入社し、なんとなく生きてきた自分がどれほど幸せで恵まれていたかを失ってから知る愚か者であることを知り、思い知らされ、そして過去を羨んだ。考えることなく生きていたのだと、考えるふりをしていただけなのだと言われた。さて、自分がこれまで生きてきたこと、働いてきたことは何の意味があったのだろうか。



 生きるために働き、働くために生きて、生きるために生きた。



 誰かに感謝されるためではなく、将来的な地位や名声を得るキャリア形成のための仕事とはいえず、身を挺して社会貢献出来た覚えもない。上司のためというより、顔色伺って失敗しないように、居場所を失わないようにただ必死にやってきただけ。自分のために、自分のためだけに。誰かの役に立っているんだと、何かこじ付けながら。そうやって働いてきた。




 人はなんのために働くのか。




 お金を稼ぐために働くのか。




 お金は生きるために必要だから稼ぐのか。




 資本主義社会にとって理想的な物質主義に己の欲が捉われ、欲しいものをただただ買うためだけに稼いだのか。


 それとも、もしかしたら、何かイベント事で精神を満たす精神主義者だったのかもしれない。



 どちらにしてもお金を稼ぐために利益を献上していた会社様の経費削減によって、お金のためによって解雇された。



 世の中のために何かしたいと思って社会に出た。会社に入った。仕事と生活が目の前に並べられて、必要に迫られた。いつしか生活のためのお金、お金のための仕事、生活のための仕事、生きるための労働。生きるために働き、働くために生きて、生きるために生きる。そんな自分が出来上がっていた。



 目の前の作業のために頭を使い混んでいるだけなのに、自分の現在状況について、未来について考えていたと思い込んでいた。



 そんなことを、今頃知ろうとは。何をやって来たんだか。何がしたかったんだか。



「ほんとに、何が間違っていたんだろうな」



 肌寒さを超え始めた秋の空気は風に動かされてより鋭くなる。いつの間にか屋上に登っていた俺は、そのまま靴下を脱いでいた。最初は確か風に当たりたいとか、ちょっと気分変えたいとか、外にしばらく目的なしに出ていなかったなとかだったと思う。エレベーターに乗って、自分の部屋の階を押すときにふと、屋上を知らないことに気が付いてボタンを押したのだ。屋上に、繋がっていたのだ。



「寒いな。心地良いぐらいに寒い」



 ただ、泣いていた。何がしたかったか、静かな涙で思い出した。好きな本は森博嗣、好きな色は緑色、好きな服は、隣の人と見比べて見劣りしないようにファッションを決められた奴。そういう十代をふと思い出す。取り零したモノを今更になって掘り起こすと、そこにはいつもいつまでもいる好きだった中学のあの子。流して、零してようやく想いだす。



 なぜか、死ぬことになっていた。



 いや、死のうとしているのは自分自身ではあるのだが、何か他の何かにそうさせられているような感覚。生ではない何かが俺の、僕の中の歯車を嚙合わせる。動力もないのに、ただ決められたプログラム通りに動くような、そんな感覚。自分自身が壊れているのだと理解する思考能力を欠いたまま。


 端に立つと、すーっとした。ブランコが限界を超えそうになって投げ出されそうな、あの恐ろしくも高揚感を手軽に得てしまった小学生レベルの知性。まさにそれだった。



「くだらない話で」



 涙はもう止まらない。誰も止めない。



「安らげる僕らは」



 風は冷たい。強くなく、流れる流れに徹しているだけ。



「その愚かさこそが」



 死を迎えるのではなく、どこか違うところに行くだけ。そう、それだけ。



「何よりも」



 宝物。

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