コロナカ

小鳥遊咲季真【タカナシ・サイマ】

第1話「副業」

「お疲れさまでした~」



 2020年11月26日。依然、本日も朝から夜まで新型コロナウイルスの感染者数が発表され、それらに関連する最新情報が伝えられていた。公共電波たちは今日と数か月前を比べ、コロナ以前のあの頃と、終息後の未来とを語る。今が嫌なのか、敢えて触れないように、良かった時と良くなる時を話している。同じく、帰りの車から流れるラジオも元の生活に戻りますように、と言っていた。



 元の生活。



 それは無理だろう。元通りには戻らない。戻るはずがない。起きたその少し前ですら、修復は不可能なのだから。当たり前だ。当然だ。似たような状況にすることはできても、そこには以前とは異なる要素が必ず含まれている。そんなことは誰でも知ってる。知っている、今更何を。知らないはずがない。皆が理解できることで、そして同時に納得できないこと。納得したくないこと。元、以前、過去。今となった瞬間にはもう、戻れない。



 誰もが憧れ、誰もが手にしたいというそれが過去。なぜ昔に戻りたいのか。なぜ未来に行きたいのではないのか。今じゃダメなのか。それは、そうである。今も未来も駄目だ。昔の方がいい。比べることができるから、良いところが見つかる。今よりよく見える。いつもより比べてしまったその日は、悲しいだけなのに。



 昔はよかった。



 言葉はいつも正しくはないが、正直だ。



「もしもしー。恒君? もう仕事終わった?」


「こんばんは、高瀬さん。ちょうど退勤して帰路についたところですよ」



 無線イヤホンで電話を取ったら、副業先からの電話だった。今は誰でも副業の時代。自分の収入が減ったのなら、自分で何とかするしかない。何をやってでも。



「それで、仕事ですか?」


「正解。本業お疲れさま。それじゃあ、今日の、伝えるね」


「お願いします」



 現在と以前の違い。それは過去が含まれているということ。戻りたい、やり直したい。そう願うのは、なぜか。それはもちろん未来を知っているからだ。何も知らない時に戻れれば、何かやり直せるかもしれない。そう、今なら思えてしまう。思ってしまう。思わずにはいられない。そんなことは無理なのに、な。

 

 

 仕事の内容を口頭のみで受けとった俺は、ウインカーを右に出して左右を見る。ちょうど赤信号であることをいいことに、Uターンして副業先へと向かった。

 

 

 ***

 

 

「距離1500に対象確認。恒ちゃん、見えてる?」


「ああ、大丈夫だ。ミサ。サポートはしっかり頼む」



 某ホテル。時刻23時49分。吹く風が冷たいだけの夜道に現れた一人の男。対象者だ。雑居ビルにしか見えないここ、ホテルの窓からの射撃。今日はそう云う仕事だった。



「任せて! ねぇ、それよりさっき話したこのヒトの条件は頭に入ってる?」


「たぶん、一応」


「もうっ。そんなんじゃ一流の暗殺者になれないわよ」



 一流、ね。


 サポート専用人工知能の言葉が引っ掛かった。


 暗殺者の一流になんてなってどうする。需要が非常に限られているし、その上リスクだらけの職業だ。副業でもない限りやらない。っていうか、普通副業でもやらない。



「もう一回だけよ? このヒトは30代後半。暗殺によるいつの間にか死ぬタイプだから、行き先はそこまで昔じゃないと思う。入金はすぐだったから、一番いいやつにサービスしておいたわ」



 一番いいやつって。どんな弾なんだろうな。キニナル。



「水着バージョンよ!」



 ……それは何がいいんだ? まあ、撃ちだされるのはミサの魂みたいなものだから仕様によって容姿が変わっても可笑しくはないが。誰に対するサービスだよ。当事者は死ぬから見れないぞ?



「ああ、それもそうね。じゃあ、恒ちゃんへのサービス?」



 勘弁してくれ。



「それで、お客様《トラベラー》の情報は?」


「もちろんいつもの通り、名前とか経歴とか目的は秘密よ。神のみぞ知る、なんだから。でも、当たれば成功確率は百パーセント。なんたって人智を超えた力が作用するからね。インチキだからね」



 ダークウェブで探しても見つからない闇に紛れた闇の中の神のサービス……っていうのがコンセプトらしい。なんでも、噂や口コミにすらならない一級の怪しさ満点のサービスらしく、それが最高にイカしていると、ミサは言っていた気がする。じゃあ、依頼人はどこから情報を得ているんだ?


「そろそろ、か」


 2分後。つまり、要するに、簡単に言えばあの男性はこれから過去へ行く。この世からおさらばして、過去へ転生。タイムリープ。人生をやり直しませんか? って誘って、頷いた人を導くというお仕事。普通じゃありえないが、普通じゃないからあり得る。狙撃によって自称【見定めの天使】の能力を持つこの自称AI【ミサ】が対象者を撃ち抜く。


 対面、暗殺、安楽、様々コースがあるらしいが、それは戻る過去までの距離と現世における客の状況、希望によって異なると言う。死に方によって、飛ばされ方が違うって事らしい。ほら、トラックに轢かれたら異世界に転生できるとかあるだろ?


「時間よ」


 この仕事において、時間は非常に重要だ。場所と状況と環境。それらが特定の時間に揃う必要がある。幾ら神様の力だといえ、人智を超えた能力だとは言え万能ではない。世界はそこまで単純を許さない。しかし、仕組み通り、規則ルールに則ればその限りではない。許されることもある。例えば神の御加護の元なら、とか。まあ、俺は神様なんて信じてないけどな。だって、本物なら俺に報酬として大金を払ったりはしないだろ?



 定刻。サイレンサーで消された音が響き、撃ち出された弾は直線的であった。……俺の弾道は大概いつもミサに補正される。彼女の言う通り、腕はなかなかあがらない。練習って何すればいいんだ? ダーツとか?



 刹那。着弾箇所に撃たれた光が淡くなり、やがて欠片となって天へ登った。どうやら無事に成功したようだ。対象者のいた場所には一人の女の子が両手で何かを掬うように、救い上げるように佇んでいるだけ。物寂しげな面影を抱きしめて顔を上げて、空に散った光の欠片へそっと手を伸ばしていた。

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