~49~ エクトルという人物②
『早速だけど、さっきも話した通り、ハルさんから見たエクトルのことを聞かせてくれるかしら』
確かにさきほど玄関先でもイネスはそう言っていた。ただエクトルの何を知りたいのか分からず、羽琉は答えあぐねてしまう。
すると羽琉の戸惑いに気付いたイネスが『以前のエクトルはね』と話し始めた。
『すごくピリピリしていて、あまり人を寄せ付けないような空気があったの。まぁ職場では上手く立ち回っていたみたいだけどね。プライベートでも普通に交友関係はあったと思うけど、ほとんど上辺だけのお付き合いだったわ。エクトルが自身を曝け出せる相手とは出会えていなかったみたい』
それは暗に恋愛面のことも含んでいるように羽琉には聞こえた。
『そのエクトルが初めて恋人を連れて帰るって連絡をしてきた時は、私もマクシムもかなり驚いたわ。口調からも真剣さが伝わってきたから、エクトルが本気だということも分かった。どんな方なのか、会うのがすごく楽しみだったの。年齢的なものもあって、将来を考えてのお相手だと思ったから尚更ね』
羽琉の相槌を横目にイネスは話を続ける。
『そのお相手がハルさんだと知った時は、正直意外だと思ったわ。気難しいエクトルと合うのか心配でもあった。でも同時に興味も湧いたの。エクトルを本気にさせたハルさんという方に』
エクトルが最初の時点で羽琉が男性だと告げていたのかは分からないが、イネスの言葉から、交際相手が異性なのか同性なのかといったこだわりはないように思われた。そういうところもエクトルに似ている。
『ハルさんはエクトルのどこが好きなのかしら?』
『……好き……』
改めて訊ねられ、羽琉は考えこんだ。頭の中で上手くまとめることができず、しばらく沈黙が続く。
それでもイネスは焦らせることなく、羽琉の言葉をじっと待っていた。
『僕のことを知っても愛してくれているところ……でしょうか』
イネスは意味を図り兼ね、小首を傾げてしまった。
そんなイネスから少し視線を逸らした羽琉は静かに呼吸を整えると、意を決したようにイネスに視線を戻した。
『僕は……心の問題を抱えています』
はっきりとイネスに告白した羽琉は、これでエクトルとの交際を反対されることもあるかもしれないとも思ったが、エクトルの母であるイネスに嘘は吐きたくなかった。
詳しく話すことは
『身近な人に裏切られたトラウマを抱えたままなので、今でも誰かを信じることは……怖いです。だから深い繋がりを持たないよう、人との付き合いも極力避けて生きてきました』
自分のことを話すのが苦手な上、過去のことも思い出され、羽琉は早くも自身の呼吸の乱れを感じた。遠くから頭痛の気配も感じ、額にじわりと脂汗が滲む。
「!」
その時、隣に座っているイネスが羽琉の手をそっと自分の手を添えてきた。
驚いた羽琉がイネスに視線を向けると、イネスはにっこりと微笑んでいる。
――『大丈夫よ』。
無言でいるイネスの慈しむような眼差しから、何故だがそんな言葉が聴こえたような気がした。
イネスの手の温もりに助けられつつ、目を瞑った羽琉は深呼吸を繰り返す。それから徐々に落ち着きを取り戻した羽琉は、目を開け『すみません』とイネスに詫びた。
『でもエクトルさんはそんな僕の心も癒したいと言ってくれました。こんな僕と一緒にいたいと言ってくれたんです。僕には勿体ない言葉で、涙が出るほど嬉しい言葉でした』
穏やかな羽琉の表情に、イネスも微笑みを浮かべる。
エクトルはその全てを知った上で、自分の人生を賭けてでも羽琉を守りたいと言ったのだろう。日本から帰国したエクトルが少し違って見えたのは、間違いなく羽琉の影響なのだとイネスは得心した。
『エクトルさんには感謝しきれないほどの恩を感じています。僕を光へ導いてくれ、こうして人と向き合うことの大切さを教えてくれた。フランスへ来てからも、常に僕の精神的な負担を減らすように、いろいろ動いてくれていました。だからこそ、僕もエクトルさんのために何かしたいと思うんです。今はまだ自分のことで精一杯で一つも恩返しできていないのですが、いつか……いつかきっと』
自分がエクトルを幸せにしたいと――そう口にすることはまだ羽琉にはできなかったが、イネスには伝わったようだ。満面の笑みを浮かべ、羽琉を見つめていた。
『ハルさんがエクトルのことを好いてくれていることは、この間の会話と今の言葉で十分伝わったわ。エクトルがあなたのことを大好きなこともね』
言外に含まれている言葉を的確に察してくれるところもエクトルと似ている。
『お互いを想い合っているあなたたちは素敵ね。エクトルのお相手がハルさんで良かった。エクトルを好きになってくれてありがとう。私も久し振りに心が温かくなったわ』
羽琉は小さく首を振った。
確実に自分の方が幸せをもらっている。礼を言われるようなことは何一つしていない。
『エクトルは仕事では人の意見を聞くのが得意なの。それは多種多様な考え方がある中で、自分と違う意見が貴重で、より良い意見を取り入れることが会社の有益に繋がると知っているから。でもその反動なのかしらね。逆にプライベートはあまり自分の意見を曲げることをしないのよ。昔それでマクシムとよく衝突してたの』
イネスがふふっと思い出し笑いをする。
『そんなエクトルとお付き合いできる方がいるのか心配だったけど……ハルさんが相手だとエクトルは素直になるし、もっと柔軟な考え方ができるみたい。それはこれまでのエクトルにはなかったことよ。きっとまたたくさんのものを吸収してエクトルは公私ともに成長していけるわ』
互いに良い影響を与え合っていることを知り、イネスは心底ほっとすると同時に嬉しくなった。
二人が共にあることが、幸せの絶対条件になることは間違いない。
それを確認してから『あとね……』とイネスは話を続ける。
『エクトルは大事なことになるとすごく慎重になって、深く考え込む性格をしているの。考え過ぎてその場で立ち止まってしまっている時は、ハルさんが手を引いて導いてくれるとありがたいわ。エクトルのことよろしくね』
穏やかに微笑んで言うイネスに一瞬息を呑んだ羽琉だったが、同じように微笑み返すと『はい』としっかり肯き返した。
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