~47~ 類友②

 会社に着いてからもエクトルの気分は高揚していた。

 羽琉と過ごす時間がこんなにも大切で愛おしいものだったのだと、改めて再認識させられる。その上、以前のようなスキンシップもできたことに嬉しさを隠せない。

 拒絶されたビズを羽琉からしてくれたことも嬉しかった。あのビズには羽琉なりの謝罪も込められていたような気がする。

「……羽琉は何も悪くない。気に病む必要もないのに」

 そう伝えても羽琉はきっと納得しないのだろう。

 だから言葉ではなく、こうして態度で示すことでより自分の意思を伝えてくれる。羽琉からしたことのないビズだからこそ、その意味が生きてくるのを知っているからだ。

“エクトルさんを怖いと思ったことはありません”

 その言葉を必死でエクトルに伝えてくる仕草に、エクトルは胸を打たれる。

 繊細で心優しい羽琉に、自分の方が逆に癒されていると気付き、エクトルは自嘲気味に苦笑した。

 これでは自分ばかりが得をしているような気がする。

 羽琉の心を早く癒せるよう、そして自分といることで羽琉が安らぎを得られるよう、エクトルは羽琉の動向から深層心理を瞬時に読まなければならない。

 まだまだ自分には難しい……と思っていると、正面から歩いてきたフランクから声を掛けられた。

「お疲れ様です、エクトル。羽琉さんの具合は?」

大丈夫だ。以前のように戻りつつある」

「羽琉さん自身は、というと?」

 問い返され、エクトルの中でふつっと怒りが再燃した。

「看護師に一人、少々難ありな奴がいてね。後でクレームを入れようと思っているところだ」

 そこについては言及せず、フランクは「……そうですか」と言うだけに留める。「取り敢えず羽琉さんが無事退院されて良かったです」

「あぁ。ユリにもフランクにも、いろいろと心配をかけたな。帰ってからまた羽琉と話をするつもりだ」

 フランクとしてはまだ不安要素があるが、解決していない問題がある以上、二人で話し合うことは大切なことだと思う。

 羽琉の精神状態も気になるが、そこはエクトルがフォローするだろう。それにエクトルの口調からは暗さを感じない。互いに良い方向へ話をしようとしている雰囲気が感じられた。

「では、また三時の会議で」

 深々と頭を下げて立ち去るフランクに「あぁ、また後で」と手を振って二人は別れた。

 その後自分のデスクに着いたエクトルに『エクトルさん』とリュカが声を掛ける。

『いろいろと面倒を掛けたな。また通常通りの職務に戻るからよろしく頼む』

『はい。社内泊も終了ですか?』

 リュカの言葉に、エクトルは苦笑しつつ『あぁ』と肯いた。

『社内泊はいろいろと気掛かりだったので良かったです』

『気掛かり?』

 不思議そうなエクトルにリュカは『はい』と返事をする。

『眠りの質は大事なものです。質が悪いとそこから様々な病気になるリスクも高まりますし、精神的な安定をも妨げてしまいます。集中力や判断力にも影響を及ぼすので、仕事のミスにも繋がります』

 リュカの言うことは理解できるので、エクトルは相槌のように肯く。

『質を下げる要素の一つに、就寝時の環境というものがあります。エクトルさんの役職で担う仕事は大きな責任を伴いますし、そんな常に気を張っている社内という状況での就寝は無意識下で必ずその質を落とします。加えてお身内のことがあり、心身が疲弊している状態です』

 後は言わずもがなだろう、とリュカの目が語っていた。

 急なことで取り敢えず羽琉の居ない家には居たくない思いが強く、社内に泊まることしかエクトルは考えていなかった。

 睡眠の質などは考えていなかったが――。

『そうだな。確かに社内泊は違う落ち着かなさを感じたよ。今後はホテル泊にしよう』

 『差し出がましいことを申しました』と言って頭を下げるリュカに、『そんなことはない』とエクトルが制する。

『気持ちに余裕がない時にそう言ってくれる存在がいることは、私にはありがたいことなんだ』

 穏やかな笑みを浮かべるエクトルに、リュカもほっと息を吐いた。

 自分のような下位の者の意見を素直に受け止めてくれる高職のエクトルに、リュカは尊敬しかない。

 役職関係なく様々な意見を取り入れる心の窓が広いため、エクトル自身も利になる意見を拾いやすいのだろう。いや。上からも下からも慕われるエクトルだからこそかもしれない。その結果がエクトルの業績に繋がっているのだろう。

『午後からよろしく』

『はい。よろしくお願いします』

 いつものエクトルの笑みを受けて、リュカも滅多に見せない微笑みを返した。

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