~46~ 可愛いビズ

 サラには今週いっぱいまでハウスキーパーの仕事を休んでもらっている。

 病み上がりの羽琉にゆっくり自宅療養してもらいたいからだ。

 サラともだいぶ打ち解けてきた羽琉だが、基本的には一人の方が心穏やかにいられるはずだ。

「羽琉。何か食べますか? それとも部屋で休みますか?」

 自宅に帰ってきたエクトルと羽琉は、取り敢えずリビングのソファに腰を落ち着けた。

 昼時だったこともあり、羽琉の食欲も気になっていたエクトルは、消化の良いものでも作ろうかと思っていたのだが。

「エクトルさん、今日お仕事は?」

 逆に羽琉から問われる。

「羽琉の体調次第では午後も有休をもらうつもりでしたが……」

 羽琉を窺いつつ返したエクトルは、何やら考え込んだ羽琉を不思議そうに見つめた。

「僕のことで会社の方にご迷惑をお掛けしたので、エクトルさんがお疲れでなければ午後からお仕事に行って欲しいのですが……あの、今日は定時で退社できますか?」

 上目遣いでおずおずと訊ねる羽琉に、「はい。定時で上がります」とまるで決定事項のようにエクトルは即答する。

 退院したばかりの羽琉を長時間一人にしておくわけにはいかない。それにやっと羽琉が家に帰ってきたのだ。その時間を大切にしたい。

「じゃあ、待ってます。待ってますので、帰ってから話をさせてもらえますか?」

「でも、羽琉……」

 心配気なエクトルに羽琉はにこっと微笑む。

「ご飯もちゃんと食べます。病院食はちょっと味的にも物足りなくて、空腹なんです。その後は部屋でゆっくり過ごしますので安心して下さい」

 ここまで言われてしまっては、午後も休んでまで羽琉のそばにいることはできなさそうだ。羽琉としては申し訳ない思いから出勤を促しているのだろうが、エクトルとしては少し寂しい。加えて羽琉と一緒にいられなかった日々の鬱憤も溜まっている、が――。

「……分かりました。では、会社に向かいます。羽琉はしっかり食べて、休んでいて下さいね」

「はい」

 渋々納得してくれた様子のエクトルに、何となく察した羽琉はふっと笑った。そして重い腰を上げたエクトルを玄関先までお見送りする。

「気をつけて行って下さいね」

 後ろから付いてきていた羽琉に、玄関先で振り返ったエクトルが「はい。行ってきます」と言うと、羽琉が急にエクトルに寄り掛かってきた。

 驚いたエクトルが羽琉の体を支えるように抱きとめると、つま先立ちで伸びをしてきた羽琉にビズをされた。

「!」

 羽琉からビズをされるのが初めてだったエクトルは一瞬フリーズしてしまったが、頬を染めて「待ってますね」と言った羽琉にぶわっと愛おしさが溢れる。

「あぁ、もう……駄目ですよ、羽琉。そんな可愛いことをされては仕事に行けなくなります」

 自分に体を預けている羽琉をぎゅっと抱き締め、羽琉の髪に自分の顔を埋めると、エクトルはすりすりと頬刷りをした。

 くすぐったさに目を細め、久々のエクトルのスキンシップに羽琉は幸せを噛み締める。

 いつもの感じがしてすごく心地良い。

 抱き締められた状態で「お仕事頑張って下さいね」と羽琉が言うと、残念そうな吐息とともにエクトルは羽琉から腕を離した。

「……寂しいですが、仕事に行ってきます」

 そしてお返しとばかりに羽琉の額にキスをしてから、エクトルは会社へと向かった。

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