~29~ 暗澹

 昨夜よく眠れていなかったからか、羽琉が目覚めたのは夜の八時過ぎだった。

 眠り眼で見る部屋の天井に一瞬“月の光”かと錯覚したが、漂う独特な消毒薬の匂いに一気に目を見開くと、どこかの病院の一室だということが分かった。

「あれ……何で……」

 こうなったいきさつを羽琉は思い返す。

「そうだった……」

 欠片を思い出すだけで頭重感が襲ってきた。

 疼く頭を軽く振って、乱れそうになる呼吸を深呼吸して落ち着かせ、羽琉は上半身を起こした。

 オーバーテーブルの上に夕食が置かれているが、当然ながら食欲はわかない。また吐き気をもよおしそうだったので、食事はしないことにした。

「……」

 誰もいない静かな部屋は、月の光の自室を思い出す。

 カーテンを開いて部屋を見回すと、どうやらこの部屋は二人部屋で、今は羽琉だけが入っている状況らしい。

 コンコン。

「?」

 突然ノックがされ、病院の看護師が入室してきた。

『あら、目が覚めた? 確かフランス語は大丈夫よね? 今の体調はどう?』

 少しふくよかな女性がフランス語で訊ねる。

 東洋人の羽琉がフランス語を聞き取りやすいように、ゆっくり訊ねてきた。

『はい。大丈夫です。あの、僕をここに運んでくれたのは誰でしょうか?』

『ハウスキーパーの方よ。その後、保護者の方が来られてさっきまでここにいたんだけど、今は面会時間外だから取り敢えず帰ってもらったの。明日また来るって言っていたわよ』

『そう、ですか……』

 ハウスキーパーはサラで、保護者というのはエクトルのことだろう。

『明日は朝食前に採血するわね。夕食は食べられそう?』

『いえ。食べると吐きそうな気がするので……』

『そう。水分はとれるかしら?』

『はい』

『検査も特に異常はなかったみたいだから、今日はゆっくり休んでね』

 『はい』という羽琉の肯きに、にこっと微笑んだ看護師はそのまま部屋を出ていった。

 再びベッドに上半身を横たえ、羽琉は溜息を吐く。

 今回はひどかった。羽琉自身も驚くほど上手くコントロールできず、嘔吐して気絶までしてしまった。

「サラさんにも謝らなきゃ……」

 きっと羽琉が吐いてしまった吐物の処理までしてくれているだろう。申し訳ない思いが込み上げる。

「エクトルさんにも、迷惑かけちゃった……」

 さっきの看護師はさっきまで病室にいたと言っていた。ということは、今日は仕事だったのに休ませてしまったかもしれない。

 再び深い溜息を吐いて、羽琉は今朝のことを思い返した。

 いつものエクトルからのビズを受けることができなかった。嫌ではないのに羽琉は拒絶してしまった。ほとんど条件反射だ。

 悲しさと驚きと戸惑いと不安が混ざったような笑顔を見せたエクトルに、羽琉の胸が痛む。

「こんなに好きなのに、なんで、どうして……」

 自問自答する。

 エクトルを悲しませたくないのに、あんな辛そうな笑顔見たくないのに。

 そう思っても、羽琉もどうやって思考の転換をさせればいいのか分からなかった。

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