~19~ 友莉の仕事②
友莉が帰った後、羽琉は自室でロゴデザインのことについて調べてみた。
街中に溢れているロゴマークに込められている意味に興味を持ち、つい時間を忘れてネットサーフィンする。普段は見過ごしている有名なショップのロゴも調べてみると深い意味が込められおり、それを知るだけでも楽しかった。
時間を忘れてパソコンに集中していると、「羽琉?」という声と共に部屋をノックする音が聞こえた。
ハッとした羽琉が時計を見ると、いつの間にかエクトルが帰宅する時間の五時半を過ぎていた。
フランスの就業時間は大体、週三十五時間だ。エルスもそれに倣い、定時だと五時には退社できる。それを見越した上でいつも玄関でエクトルを出迎えていたのだが、今日はロゴの検索に夢中になっており、エクトルの帰宅に全く気付かなかった。
慌てた羽琉は「あ、はい」とバタバタと部屋のドアを開けた。
「すみません。お出迎えが遅くなりました」
「いいえ」と首を振ったエクトルは羽琉にただいまのビズをする。
「珍しいことがあるなと少し心配しましたが、こうして慌てる羽琉の表情も可愛くて大好きですよ」
綺麗に微笑むエクトルに、羽琉はどう返せば良いのか分からず「……は、はい」と照れながら曖昧な返事を返した。
帰宅後のささやかな楽しみとなっている羽琉との夕食準備のため、エクトルは一緒にリビングに向かいながら「ところで何かあったんですか?」と不思議そうに訊ねた。
「友莉さんから会社のことについて聞いてみたんです」
「あぁ、そう言えば今日はユリが来る日でしたね」
羽琉はコクリと肯く。
「以前フランクさんに友莉さんの会社で働かないかとお誘いを受けましたよね。僕は専門的な知識もないので、本当に僕が働いても良いのか友莉さんに聞いてみたんです」
「ユリは仕事に関してシビアなので世辞を言ったりはしませんよ。本気で羽琉を欲しいと思ったから入職を希望しているのだと思います」
リビングのソファに隣同士で腰掛けつつ、「何となく分かります」と羽琉は同意した。
「友莉さんの話を聞いていて、仕事に誇りを持っていることはすぐに分かりました。それに楽しんで仕事をしていることも、よく分かりました。だから聞いてて僕もすごく楽しそうだなって」
「羽琉もやってみたいと思いましたか?」
にっこり微笑みエクトルが訊ねると、「はい」と同じくにこっと微笑んだ羽琉が即答する。
「専門知識もパソコン技術も何もないのは不安ですし、確実に足を引っ張ってしまうと思うと心苦しいのですが……」
「それでもユリは羽琉が欲しいと言ったでしょう?」
「はい。いつでも入職してOKだと言ってくれました。すごくありがたいです」
友人として、友莉の人となりも熟知しているエクトルは「でしょうね」と納得する。
「どちらかと言うと、ユリは専門的なことや技術的なものはそこまで求めていないと思いますよ」
「え?」
「ロゴというのは、一目見てそれが何を示しているのかを理解できるものから、企業のイメージを形にしているものなどさまざまなものがあります。身近なもので言えば、街に溢れているピクトグラムを参考にすれば少しは分かるかもしれませんね」
羽琉が「ピクトグラム?」と分からない単語に小首を傾げた。
「例えば公共のトイレで男性用なのか女性用なのかが分かるように、簡略化された絵と配色で示されているものがあるでしょう。それがピクトグラムです。非常口とかもそうですね。そこがどんな場所なのかピクトグラムを見るだけで、言葉が通じなくても大体理解できます」
丁寧に説明され、羽琉はなるほどと感心したように肯く。
「ロゴはもう少し複雑ではありますが、ロゴを作ることで企業は世間一般にブランドイメージを定着させることができます。まずは企業を知ってもらうことが大切ですからね。それにロゴに意味合いを含めることで、社員の士気を高め、意識を一体化させる目的もあります。企業にとってはイメージアップにも繋がる大事なアピールポイントで、かなり重要視されるものなんですよ」
エクトルの説明で、そこに責任という重みがあることを羽琉は理解した。
「ロゴにはたくさんの意味と思いが込められています。クライアントの希望通りのものを形にするのは非常に難しいと思いますが、やりがいのある素敵な仕事だと思いますよ」
全ての仕事に通ずる楽しいだけではない、仕事で抱える苦悩や葛藤、実現させるための努力や大変さを知った羽琉は、仕事をしている友莉やエクトルたちに改めて尊敬の念を抱いた。
「ユリから仕事の詳細は聞きましたか?」
「いえ。まずは仕事をする決意が決まったら連絡を、と言われました。その時にオリエンテーションをしましょうと……」
「まぁユリの言う通りにすれば間違いはないでしょう。羽琉の実力を見てそれに見合った仕事を割り振るはずです。それにユリの会社はチームで動いてますので、その中でゆっくり会社に慣れ、仕事を覚えていけばいいと思いますよ」
確かに就職することへの不安はあるが、これは誰しも通る道だ。それに羽琉には明白な目的がある。
エクトルへの借金返済。
借金というと少し語弊があるが、羽琉の認識はそうだった。もちろんエクトルはそんなふうには思っていないのだが――。
「焦りは禁物ですよ。羽琉」
「…………」
表情から羽琉の心情を察したのか、エクトルが頭をポンポンと撫でながら「ちゃんと時間を掛けましょうね」と話を続ける。
「後で躓いたり、後悔したりしないよう、今は順を追って一歩ずつ進みましょう」
「はい……」
エクトルはいつもそうだ。羽琉の思っていることが分かっているかように、絶妙なタイミングで的確なアドバイスをくれる。
不思議に思いつつ羽琉がじっとエクトルを見つめていると、ふいに目を細めたエクトルが羽琉にキスをしてきた。
「不安な時や悩んだ時は迷わず私に相談して下さい。どんなことだって羽琉と一緒に考えます。一人で抱え込むのはダメですよ?」
「はい」
素直に肯いた羽琉の返事に満足そうに微笑んだエクトルはふわりと羽琉を包み込むように抱き締めた後、二人で夕食の準備に取り掛かった。
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