~11~ 必要な罠
『今の会話を聞いていた?』
スマホを耳にあてたエクトルの言葉に、羽琉は「……え?」っと小さく驚きの声を上げる。
【ほんとにフランス語が上手なのね。エクトルのお相手がどんな方なのか、大体分かったわ】
エクトルは『良かった』と安堵の息を吐く。
『名前は羽琉だよ。今日、昼間に会ってるよね?』
【え……? あら、もしかして公園で会った方かしら?】
『そう』
【そう、だったの……。分かったわ。もう近くまで来ているから、取り敢えずそちらに伺うわね】
『分かった。気をつけて』
スマホの通話を切ったエクトルは、途端に申し訳なさそうに「すみません、羽琉」と頭を下げて謝罪した。
「母と会うことに不安を感じていた羽琉に騙すようなことをしてしまいました」
「あ、あの、一体どういう……」
まだ追いつかない羽琉が動揺しながらエクトルに詳しい説明を求めた。
「私はどうしても羽琉の良さを母に知ってもらいたかったんです。私のフィアンセとして認めてもらいたかった。そのためにはどうすればいいかと思案していたんです」
エクトルも羽琉のように、イネスに快諾を得られる方法を考えていたという。
「さっき私はスマホを見ていましたよね?」
確かに羽琉が自問している時、エクトルはスマホを見ていた。その後、突然エクトルがフランス語で会話を始めたので羽琉も不思議に思っていたところだ。
肯いた羽琉を確認したエクトルは、スマホを操作しメール画面を出すとスマホを羽琉に差し出した。
フランス語で書かれているので、羽琉はまだ読むことはできない。ところどころある単語くらいは読み取れるが、長文なのでさすがに全文は無理だ。
「母からのメールです。ここにはこう書いてあります」
そう言ってエクトルはメールを読み出した。
『エクトルを本気にしてくれた恋人はどんな方なのかしら? エクトルのことは信用しているけど、あなた自身を見てくれる方なのかが気になるわ』
エクトルさん自身を……?
羽琉は微かに瞠目した。
『あなたの持っているものや、あなたの肩書きに魅了されて近付く人はたくさんいると思うの。もちろんそれはあなたの魅力であり、一部であることに間違いはない。あなたがそれを善しとし、それを幸せと感じているのなら私が口を出すことではないと思っているわ』
「……」
何故だかイネスの言葉が羽琉の心に響く。
『人の心は状況によって変わったり、惑わされたりするもの。例えばあなたが無職になり無一文になったとしても、病に臥せって歩けなくなったとしても、その他にも考え得る最悪の事態に陥ったとしても、あなたと共に助け合いながら生きていけるそんな方だったら私も嬉しいわ』
「少し縁起でもないことを言ってますが」
そう言ってエクトルは苦笑する。それから「そしてこう続きます」とさらにメールを読み始めた。
『私もお父さんもあなたの幸せを願っているわ。でもね、だからこそやっぱり心配もしてしまうの。エクトルがもし私たちを安心させたいと思うのなら、一つだけ私の願いを聞いてくれないかしら』
羽琉は小首を傾げる。
『二人の普段の会話を聞かせて欲しいの』
不思議そうな羽琉にエクトルはにっこりと微笑んだ。
『それだけで二人の空気感は分かるわ。聞かせられるタイミングがあればよろしくね』
「以上です」とエクトルが言い、羽琉を見つめた。
「普段の二人だけの会話を聞かせるというのは少々難しいと思ったので、こうして羽琉に内緒で通話状態にしたまま母に会話を聞いてもらっていました。なので羽琉にはフランス語に変えてもらったんです」
羽琉は怪訝そうに眉根を寄せ、「……会話だけで分かるものなんですか?」と呟くように訊ねる。
「母は分かるのかもしれません。時々、私でもその慧眼に怖れる時がありますし、空気感で分かるというのはあながち間違ってはいないと思います」
エクトルがそう言うのならばそうかもしれない。洞察力があるのだろうかと思っていると、「それに」と言葉が続いた。
「気付いていないかもしれませんが、羽琉は普段の会話で私へたくさんの愛を語っていますよ」
「え……」
「私はいつも身悶えているんですよ」
そう言ってエクトルは羽琉の額にちゅっとキスをした。
「今だってそうです。私は初めて赤面というものをしました。母に聞かれていると思ったら尚更照れてしまいました」
そこで思い出したように羽琉が「あ!」と声を上げる。
「僕、何か失礼なこと言いませんでしたか。何も考えずに変なことを口走ってしまったような……」
「失礼どころか、私への愛に満ちた言葉をたくさんもらいました。ただ羽琉を騙してしまったことは事実です。本当に申し訳ありません」
再度深く頭を下げるエクトルだったが、羽琉はそれどころではなかった。
「いえ、あの、これでエクトルさんとのことを認めてもらえなかったら……ど、どうしたら……」
冷や汗を流す羽琉に、「そんなことは絶対にありえません」とエクトルが強く言い切る。
「普段の会話だけで二人の空気感が分かると母は言っていましたよね。これまでの会話で、私と羽琉との間に流れる愛という絆は母にも分かってもらえたはずです」
「逆にこれで分かってもらえなかったら何を言っても無駄でしょう」と付言した。
――そうだろうか? ただ自覚なく変なことを言っていて、イネスさんの機嫌を損ねるようなことにならなければいいけど……。
心中でそう悩んでいると、「羽琉、怒っていませんか?」と少ししゅんとしながらエクトルが窺うように訊ねてきた。
「羽琉が許してくれるまで何度でも謝ります。騙すようなことをして本当にすみませんでした」
改めて頭を下げるエクトルに羽琉は首を横に振った。
「イネスさんのお願いだったんですよね? 僕たちのことを知ってもらうために必要なことだったのだと理解しているので僕に謝る必要はないですよ」
「羽琉……」
エクトルの想いを汲み取ってくれる羽琉に、安心したと同時にちゃんと通じていることに喜びを感じる。
「母は絶対に羽琉のことを気に入ります」
本心からエクトルはそう思った。
その時、ビービーと来客を告げるインターホンが鳴った。
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