~10~ 羽琉の告白

 するとその時、マナーモードにしていたらしいエクトルのスマホがブルブルと音を立てた。

 「羽琉。少しすみません」と言って体を離したエクトルは画面を確認する。

 仕事関係の連絡だろうと思っていた羽琉は沈んだ気持ちを抱えつつ、エクトルの用事が終わるのを待っていた。

『羽琉は私のことが大好きですよね?』

「……?」

 しばらくして仕事の用事が終わったのか、スマホの操作を止めたエクトルが脈絡なく突然そんなことを質問してきた。しかも何故かこの流れでフランス語だ。

 この家でのルールとして、相手がフランス語で語りかけたらフランス語で、日本語だったら日本語で返すようになっている。これは羽琉のフランス語を上達させるのが目下の目的だが、エクトル自身も日本語の勉強になるので、お互いにそうしようということになった。

 羽琉は不可解な表情で窺うようにエクトルを見つめた。

『羽琉が抱いている私への想いは伝わっています。きっと羽琉が思っている以上に』

 エクトルはふわりと笑うと自分の胸に手を当てた。

ここにね、いっぱい伝わってくるんですよ。時に柔らかく、時に鋭く、ほわほわと温かい時もあれば、狂おしいほど泣きたい時もある』

「……」

『その全てに羽琉の愛が感じられるんです。その度に精一杯の羽琉の愛を、私は受け取っています』

 だから――大丈夫だと。

 言外にそう言われているような気がした羽琉は、『どうして……?』と呟くようにエクトルに訊ねた。

 羽琉の心情を全て理解した上で話していたエクトルが不思議でならない。

『私も考えたからです』

 エクトルは羽琉の言わんとすることを的確に察知していた。

『羽琉のお母様とお会いした時、そして私の両親に話した時。私の羽琉への想いはどれほどのものなのかと、深く、そして真剣に考えました』

 そう言うとエクトルは小さく苦笑した。

『以前、羽琉にも打ち明けたように、どれほど強い想いを抱いていても羽琉のお母様だからこそ納得させることは難しいと思いました。だから説得するのではなく、時間を掛けて少しずつ理解してもらおうと思ったんです。あの時は羽琉への想いを試された気がしました』

 結局はフランクと友莉の手を借りることになりましたが――とエクトルは少し悔しそうに付言する。

『でもね、その不安は羽琉が払拭させてくれたんですよ』

 『僕?』と羽琉は首を傾げた。

『羽琉は真っ先に私との交際のことをお母様に話しましたよね。そして私への想いを消したくないからフランスへ行きたいとはっきりと伝えてくれました。あの時の羽琉の言葉に私は助けられたんですよ』

 いつも自信に満ちているエクトルがそこまで悩んでいたことを知り、羽琉は驚きを隠せなかった。

『お母様に伝えた気持ち、今もずっと変わらず抱いてくれていると信じています。その気持ちを私の母にも伝えてくれませんか?』

 『もちろん、あの時の気持ちは変わっていません』と羽琉は即答する。

『むしろエクトルさんが好きだという気持ちはあの時以上にあります。さっきプロポーズしてくれたことも本当に嬉しくて、僕は幸せだと思いました』

 エクトルが言うように、佐知恵に言ったエクトルへの想いは今も変わらず持ち続けている。そのお陰かエクトルへの想いは日々強くなっているのも事実だ。でもそれはこうして毎日そばにいられるという状況下だからだ。あの時離れていたら、きっと消えていた想いだったと思う。だからこそイネスに言うには、まだ少し弱いような気がした。

 羽琉は申し訳なさそうに眉根を寄せた。

『でも本当に僕なんかで良いのかって、今でもおこがましいような気もしてるんです。エクトルさんのそばにいたい気持ちは強いのに、僕がエクトルさんのためにできることは少なくて……』

 これまで抱えていた想いを俯きながら吐露する羽琉に、エクトルは思わず目を丸くした。

『過去のこともあって、僕はエクトルさん以外にお付き合いしたことがありません。だから恋人の役割、みたいなものもよく分かっていません。ただ仕事から疲れて帰ってきたエクトルさんが家で安らげるようにするにはって、それぐらいしか考えることができないんです』

『羽琉……』

『エクトルさんの優しさに甘えるだけじゃなくて、僕もエクトルさんのために何かしたい。エクトルさんが好きだからエクトルさんが笑顔でいられるように、僕ができることをしたい。エクトルさんが望むことに対して、ちゃんと応えられるように努力したい。そう思うのに、いつも何か足りなくて……』

『……』

 エクトルは人生で初めて嬉し泣きしそうになった。

 羽琉の優しさに、こんなにも自分を想ってくれている言葉に、それでもまだ足りないのだと苦悩している表情に――表現し難い感情で胸が一杯になる。

『エクトルさんへの想いが日々増していく中で何かしたい思いも強くなって……でもまだ上手くできないからエクトルさんに嫌われないか毎日不安で。だから……』

「ストップ。ストップです、羽琉」

 まだ続きそうな羽琉の言葉をエクトルが遮った。顔半分を片手で覆ったエクトルの頬が少し赤く染まっている。

「私は幸せ過ぎて早死にしそうですよ」

 エクトルの言葉が日本語に戻ったことに羽琉は気付いた。

「羽琉の素直な気持ちが聞けて本当に嬉しいです。私以上の想いを受け取ったと思っています。お陰で私の愛も、もっと羽琉に注がなくては割に合わなくなってしまいました」

 まだ赤みを残しつつ喜色満面の笑みでそう言ったエクトルは、「ちょっと待ってて下さい」と言うと、先程手にしていたスマホをまた操作し始めた。

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