第349話 上司の末路
敵のグールが、弱い
そう思ったが、まちがいだった。
砦のうえから落ちたのか、人の倒れた姿もあちこちにある。倒れている人は、二度と動かない。
砦の門がひらいた。
丸太をたてにつなげた大きな扉だ。
こちらの選抜隊にも、ヒックイト族の猿人はいる。その人たちが、われさきにと砦に入り、同胞と抱きあった。
「昨夜の日の入りから、グールの襲撃があったらしい」
そう言いながら歩いてきたのは、軍師のラティオだ。状況をすでに聞いてきたか。
「被害は?」
「ここの砦に逃げ込めたのが、およそ半数。あとはだめだろう」
大きな砦があるので安心していたが、そうだった。ヒックイト族の家は、山のあちらこちらに点在している。
すこしの差だったのか。もうすこし早く、到着していれば。
「アトボロス王」
声をかけられ、われに返った。近くにきていたのは、ハドス近衛副長だ。
「そんな顔をされるな」
ハドス近衛副長は笑顔を見せた。
「王は、この里を助けましたぞ」
おなじようなことを、ペレイアの町でも言われた。言ったのは、このもと町長だ。
うしろにいる近衛隊長へとふり返った。
「ぼくの護衛はいいです。ゴオ隊長は、里のみんなに顔を見せてください」
もと族長は、ぼくの頭へ軽く手を置いた。
「このハドスの言うとおりだ。里は助かった」
それだけ言い、ゴオ隊長は砦のなかに歩いていく。
「アトボロス王、ラティオ殿!」
「見ていただきたいものが!」
なんだろうか。ラティオと見あったが、思いつくものはなかった。
マニレウス隊長のあとを追い、林をぬける。そこは岩場だった。緑の斜面はなく、ごつごつと大きな岩が階段のようになっている。
「こちらです」
案内されたのは、
その五名は、倒れた犬人をかこんでいた。倒れた犬人は銀色の甲冑をつけ、頭から血が飛びちっている。ここから落ちたか。
しかし、見なれない甲冑だった。わが軍の兵士ではない。
身元を聞こうとマニレウス隊長を見たが、聞くまえに歩兵二番隊長は口をひらいた。
「戦いが終わった直後です。敵兵が林のなかにいるのを見つけました。捕らえようと追ったのですが、申しわけありません」
あやまる必要はないだろう。相手が勝手に足をすべらしたのだ。
それにしても、落ちた敵兵、どこかで見た顔をしている。犬人で、かなりの高齢にも見えた。
「
ラティオの言葉で思いだした。
「ニキアス第二歩兵師団長!」
コリンディアでも、ぼくが参加した師団長会議にいた。もう死んだフォルミヨン第一師団長に、追従するばかりだったおぼえがある。
そして、もうひとつ気づいた。
「マニレウス隊長の、もと上官だ!」
ぼくらの歩兵二番隊長は、もとコリンディアの歩兵だ。そしてニキアスがひきいる第二歩兵師団、そこの十番隊長だったはず。
マニレウス隊長は、ゆっくりとうなずいた。
「わが目をうたがいました。あのニキアスが三名ほど引きつれ、林にかくれておったのです。捕らえたかったのですが」
かつての上司を見る目ではない。マニレウスは、くやしそうな目で崖の下を見た。
ラティオも舌打ちし、崖の下を見つめながら口をひらいた。
「アッシリア軍の使いなのか、もともとグールの側だったのか、聞きだしたかったな」
あの人間族の仲間というのか。いや、寝返っていたとすれば、それもありえる。
「軍師よ、まこと申しわけありませぬ」
「いや、いいさ。真相を知りたかっただけで、それによってこっちの動きが変わるわけでもねえしな」
ラティオの言葉にマニレウス隊長はうなずき、嫌悪感を丸だしにした顔で崖の下を見つめた。
「
隊長の言いたいことはわかった。おなじコリンディアで第三歩兵師団長だったゼノスは、いま王都レヴェノアの守備隊長だ。
頭が割れた第二師団長は、生前はなにを望んでいたのだろうか。
「しかし、あいつがアッシリア側、グール側、どちらだったとしても、里を見はっていたことに変わりねえ。こりゃ、戦いは終わってねえな」
ラティオの言う意味がわからなかった。
「わからねえって顔だな、アト。勝つか負けるか、進退の決まる戦いなら、見はりなど不要だ」
なるほど。ぼくらで言えば、さきほどの船着き場に予備の兵など置いていない。船乗りたちには、敵がくれば逃げろとだけ伝えてある。
見はりがいたということは、次がまだある、ということなのか。
「あの砦で戦いますか」
聞いたのはマニレウスだ。軍師はすこし考えたようだが、中身のつまっていそうな頭は、よこにふられた。
「どのみち本拠地をたたく必要がある。すぐにむかったほうがいいな。うまくいけば、敵の不意をつける」
足場の弱い敵と戦え。なにかの軍術書にそう書いていた。この足場とは、地面のことではなく、用意ができていない敵のことだと、かつてボンフェラート宰相に教わった。
あの人間族は、ぼくらが攻めてくると思っているだろうか。わからないが、軍師の言うとおりだ。どのみち死の山脈にある本拠地をたたかないと、この戦いは終わらない。
ひとつ気づいた。
「ラティオ、里のみんなをレヴェノアに避難させたい。だけど」
「できねえだろうな。もういちど、バラールのそばを通るのは賭けだ。まえは敵の不意をつけたが、次はもっと警戒されているだろうぜ」
この軍師は、そこまですでに考えていたのか。いやきっと、遠征を決めた会議のときから考えていたのだろう。
「いよいよもって、敵の頭を取るしかない。ということですな」
言ったのは、マニレウス第二歩兵隊長だった。この切迫した状況で、いつもと変わらない口調だ。
考えてみれば、老年であるゼノス王都守備隊長は置いたとして、国を
ネトベルフとボルアロフは、アッシリア国で熟練の騎兵だったが隊長ではない。あのグラヌスですら、コリンディアで隊長になったばかりだった。
「軍師よ、先陣を切るのは、このマニレウスですぞ」
「ああ、よくわかっているさ」
ふたりが腰をあげたので、ぼくも崖から見おろすのをやめ、立ちあがる。
立ちあがったさい、ぼくの足が蹴った小石がひとつ、崖から落ちた。
めざすは死の山脈。その名称どおり、ぼくか、あの灰色頭巾か。どちらかが死ねば、決着だろう。
無論、負けるつもりは毛頭ない。落ちた小石のかけらほども、負けるつもりはなかった。
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