第350話 見えた死の山脈
「千のうち、五百をだすだと!」
声をあらげているのは、わが軍がほこる英才、軍師のラティオだ。
しかも相手は、自身の父である里の族長、ガラハラオさんだ。
ヒックイトの里、砦のなかにある広場にあつまっていた。
この里は、レヴェノア国との交易で豊かになった。豊かになれば人も増える。
ぼくが以前に聞いた話では、戦士の数は三千人を超えていた。それがいま動けるのは、約千人ほどしかいない。
いかに昨夜の戦いが激闘であったかがわかる。だが、その生き残りの半数である五百を、レヴェノア軍に同行させると言うのだ。
「親父、待ってくれ。またここにグールがくる可能性は高いんだ。女子供を守る者が必要になる」
ラティオの言葉に、割って入る声があった。
「この里の女は戦えるよ。忘れたのかい」
母親のタジニさんだ。
「それは、わかってるけどよ」
「レヴェノアの軍師よ」
ガラハラオ族長は、息子の名前ではなく役職で呼んだ。
「ヒックイト族は、戦いの部族。仲間のかたきは仲間が取る。他国に守られ、砦にとじこもるような男は、この村におらぬ」
激闘だったのだろう。ガラハラオさん自身にも、いくつか傷の手当てをした跡がある。
「ぼくらは、レヴェノア国ではありますが、仲間ではないのですか」
話す親子に、ぼくは歩みよった。
ガラハラオさんが、ぼくを見る。強い目だった。
「レヴェノア国王、アトボロス。おまえは勝たねばならぬのであろう。自国民を守るために、ここにきたのだろう。ならば全体を見て、どう考える」
逆に問われるとは、思っていなかった。
砦を見まわす。じょうぶそうな丸太で造られた立派な砦だった。
まわりにいるヒックイトの猿人たちも見た。戦う役目をになう男性の数はすくない。だが、たしかに女性や、手伝いになりそうな子供たちは多くいる。
「ぎりぎりの兵力だけを残し、最大の兵力でグールの本拠地へ」
正解がわからない。だから考えたことを口にした。
「では決まりだ。われらヒックイト族の戦士は、半数が同行する。準備に一刻ほど待たれよ」
そう言うと、ガラハラオ族長は背をむけ歩きだした。
こちらも、グラヌス総隊長が動いた。
「われら遠征隊も、一刻のあいだ休みをとる。精霊隊で治癒のできる者は、レヴェノア、ヒックイト、双方を見てくれ」
いっせいに動きだした。
「親父も、すっかりここの族長だぜ」
ラティオに言われ、遠くで指示をだしている族長、ガラハラオさんを見た。
「なにが正しいのか、ぼくにはわからないよ」
「まあな。親父は、この里を背負っているし、おれらは、レヴェノアの兵士を背負っているしな」
そう言われると、そのとおりだ。
じゃまにならないよう、広場のはしで待っていると、一刻はすぐにきた。
「このアグン山を越え、死の山脈に入る道は、いくつかある」
説明を始めたのは、ガラハラオ族長だ。
「だが大勢で歩ける道は、ひとつだけだ。先頭で案内する」
「親父もくるのかよ!」
「いまこのあたりを、もっとも知ってるのはおれだろう」
ガラハラオさんまで同行するのは反対したいが、おそらく正しい。
山の道というのは変わりやすい。通れていた道でも、倒木や土砂崩れで道がなくなっていることは多々ある。
サンジャオ弓兵隊長など、かつては庭のように山々を駆けめぐっていたと聞く。だがそれも、過去の話だった。
ヒックイト族の集団を先頭にして、まずはアグン山を越える道に入った。
「ずいぶん、山道がととのってるぜ」
隊列のなかほどで、となりを歩くラティオが言った。
聞けば、昔は細い道しかなかったらしい。それが荷車を押せるような幅のある道だ。じっさいに後方では、輜重隊と工兵隊が荷車を引いている。
「ここの木材をレヴェノア国で売っておるからの」
教えてくれたのは、ボンフェラート宰相だった。
そうか、木材を切りだすには大きな道が必要だった。
「ボンじい、しんどくなったら荷車に乗れよ」
ラティオが言った。
いつもなら軽口を返しそうに思えたが、宰相はうなずくだけだった。まだ体調はもどっていない。それがわかった。
それから数刻ほど歩いた。
アグン山を越えて死の山脈に入るのだが、なにもアグン山の山頂までいく必要はないらしい。
うねうねと曲がる道を歩き、ふいに前方がひらけた。
「見ろよ、死の山脈だ」
ラティオが言い、指をさした。
いつのまにかアグン山の裏手にまわっていたようだ。
「あれが、死の山脈」
ぼくはそれだけ言い、言葉を失った。
このアグン山は、テサロア地方で最北となる。ぼくの住んでいたラボス村のほうが、まだ南だ。
死の山脈を見るのは初めてとなる。世界がちがった。
アグン山の裏手となるここから、ふもとまでは緑がある。だがそのさきだ。
冬は極寒になると聞いている。そのためか緑はほとんど見えない。何重にもつらなる山々は万年雪で白い。そのすそ野には渓谷なども見えるが、すべては黒っぽい岩肌だ。
「このなかから探すのか」
絶望に近い気持ちになった。だがラティオの声に救われた。
「あんまり奥へいけば、人どころか生き物は生きていけねえ。ここから一日ぐらいの距離じゃねえと、生活はできねえはずだ」
たしかに。際限がないわけではない。
すこし希望を持ちなおし、歩きだす。だが緑のない世界は、たちはだかるように不気味に見えた。
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