第346話 運河の突破
矢の風切る音はつづいている。
多くの矢は当たらない。水面に落ちる音がした。
それでも何本かの矢が、木板の甲板に突き刺さる。
背中にある帆柱にも、一本の矢がかすった。
「ラティオも、ヒューも、もっとこっちに!」
目のまえにいるふたりに言った。三人で大きな帆柱に身をよせる。帆船でよかった。帆や柱が、矢の盾になる。
みんなは無事だろうか。まわりを見た。
船首のへりだ。手すりの下、身をふせている犬人の船乗りと目があった。
こちらにこようと思ったのか。立ちあがり駆けだす。だが、ふくらはぎに矢が刺さった。甲板に倒れる。背中にも矢が突き立った。絶叫が甲板に響く。
矢の攻勢が激しく、彼を助けにいけない。
ほかの舟はどうなっているだろうか。柱を背中でこするように密着して立ちあがる。
歩兵が乗っている舟が見えた。それぞれ自身の盾を上にかざしている。
いくつかの小舟から、矢を
前方を見る。矢が板に当たる音、さけび声も聞こえた。そしていくつかの人影が運河に落ちた。
暗い上空、かすかに城壁にむかって走る線も見えた。弓兵のなかで城壁をねらった人もいるのか。だが無理だ。城壁の上は遠く高い。高い城壁からの矢は届くが、低いこちらからの矢は届かない。
これは、じり貧だ。このままでは、こちらが全滅する。
「アトボロス王、バラールが!」
船上のだれかがさけんだ。
バラールの城壁を見る。煙だ。城壁の上ではない。城壁のなかにある街からだ。いくつか煙のすじが見える。
気づけば、矢の風切る音がやんでいた。街のほうから、さわぎの音も聞こえてきた。
「火事だ。でもだれが!」
偶然であるわけがない。バラールにいる味方。ぼくはヒューを見た。ヒューがよこに首をふる。
「諜知隊に、そのような命令はだしていない」
「だせるやつが、ひとりいるぜ」
ラティオが言うのは、だれのことかわかった。
「ヨラム巡政長!」
ずっとバラールに潜伏しているフラムの父だ。レヴェノア国で三大老と呼ばれるひとり。役職としては宰相の下。ヒューの軍参謀と同格になる。
「ヒュー、遠征を決めた朝の会議、あのあとヨラムさんにむけ早舟は!」
「だした。届いているはずだ」
では、この騒動はヨラムさんと諜知隊だ。まちがいない。
バラールの都はあわてていた。さわぎの音が運河の上まで聞こえてくるほどだ。
それにくらべ、こちらの水上は静かだ。そう思ったが、なにか物音がする。
船団の後方だ。多くの小舟が動いている。退却するのだろうか。
「なにやってんだ、命令はだしてねえ!」
ラティオも、自軍の動きに気づいた。
ここからでは見えにくい。味方の動きも、バラールの動きもつかめなかった。
帆柱にある縄ばしご。立ちあがり縄ばしごに手をかけた。
「おい、アト!」
ラティオの声を無視した。縄ばしごをのぼる。
ひとつめの水平にのびる支柱についた。さらに上へとのびる縄ばしごを見つけ手をのばす。
夢中でのぼった。さきほどヒューが立っていた最上部。小さな見はり台に着く。
見はり台といっても、立つための木板が取りつけてあるだけだ。落ちないように帆柱にある縄に腕をからめた。
下を見る。目もくらむ高さだ。恐怖が襲ってきた。だが逆に力を入れて目を見ひらいた。王の城、ぼくの部屋のほうが高いはずだ!
味方の船団を見る。動きがわかった。運河の中央をあけている。
それに後方だ。何艘かの舟。いくつかの小舟が帆を広げていた。味方の舟があけた運河の中央に入っていく。だんだんと風を受けて小舟の足が速くなる。すごい速さだ。
兵士たちは乗っていない。ひとりかふたり。舟には小さな明かりが見える。
走る小舟は船団をぬけた。敵のならぶ舟の列に突進していく。その小舟が火を噴いた!
いきおいそのまま、燃えた小舟がつっこむ。運河を封鎖する舟の列にぶつかった。
小舟がくだけちる。それと同時に、すさまじい火柱があがった!
火柱があがるほどの火勢。油の
さらに、いくつかの燃える舟がつっこんだ。
火に包まれた敵兵が見えた。さけび声をあげ水に落ちる。そのほかの敵兵もおなじだ。せまる炎から逃げようと、次々に敵の兵士が運河に飛びこんでいく。
バラールの港に面した門から、兵士たちがでてきた。手に明かりを持っているのが見える。
風切る音が、また聞こえ始めた。城壁からの弓矢だ。城壁の上にアッシリアの兵士が見えた。
ばさりと背後から音がした。うしろから抱きかかえられる。
「ヒュー、待って!」
城壁の動きがおかしい。目をこらした。走る集団の影が見える。
わあ、と大勢のさわぎが聞こえた。人が入り乱れている。
戦いだ。でもだれが。そう思った時、ひとつの旗がなびいた。
深紅ではない。だが、旗だった。かすかに旗の色が見える。まだらな色。旗はつぎはぎの旗か。
味方だ。あの旗は、こちらに味方が戦っていると伝える旗だ。
無茶だ。バラールにいる敵兵の数は三万だ。勝てるわけがない。
思わず目をとじた。つかんでいる帆柱の縄を強くにぎった。目まいがしそうだ。ボレアの港へ着くまでに巡兵隊。さきほどは小舟に乗っただれかが敵に突っこんだ。ここでさらに諜知隊まで戦いに参加するのか。犠牲が多すぎる。
かすかに、さけぶ声が聞こえた気がした。目をあける。耳をすました。
「王道をいかれよ!」
聞こえた。何度も聞かされた言葉でおぼえている。
「王道をいかれよ!」
もういちど聞こえた。これは、ぼくへの言葉だ。覇道ではなく王道をいかれよ。ヨラム巡政長がいつも言っていた。この場でも、ぼくにそう伝えたいのか。それがヨラム巡政長、最後の言葉なのか。
いくしかない。いくならここだ。
「
さけんだ。ぼくの声は、みんなに聞こえるか。
「
もういちどさけぶ。小舟に乗る兵士の頭が動いた。みんなが、こっちを見あげた。
「
「
何百という合唱が返ってきた。
次々と帆があがる。
羽ばたく音がして、ぼくの足が見はり台から離れた。ぼくはつかんでいた縄を放す。
ヒューに抱きかかえられおりていく。ゆっくりと甲板が近づいてくる。最後にひとつ羽ばたく音がして、ぼくは甲板に着地した。
ラティオが駆けよってくる。ゴオ近衛隊長、ハドス近衛副長の姿もあった。
「突撃した舟に乗っていたのは?」
ラティオに聞いた。
「いくつか顔は見えた。そのひとつは、デアラーゴだ」
聞いて思わず目をつむった。そんな気がしていた。
目をあける、甲板の上では、船乗りたちが動いていた。ばさりと大きな音がする。ふりむくと、帆が風でふくらんでいた。
「この帆船がもっとも大きい。焼け落ちた舟をはじき飛ばそう」
ぼくの言葉にラティオはすこし考えたが、船尾にいる舵輪手のもとへと走った。
船がすすむ。船団の一番手だ。
封鎖していた舟の列、中央あたりのほとんどが燃えている。つなげていた縄も焼けたのか、ゆらりと次々に運河の流れに押されていく。
燃えながら流れてきた小舟が船首にぶつかる。くだけちり木片となっていく。
何度か焼けた小舟にぶつかり、ぼくらの帆船は、封鎖されていた運河を突破した。
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