第345話 商都バラールをかすめる
船の雰囲気が変わった。
それで目がさめた。
寝ているのは、天井から釣りさげた長い布。
おりようとして上半身を起こすと、うしろに落ちた。板の床で打った尻をさすり、立ちあがる。
いっしょに昼寝をしていたふたり、ラティオとヒューは、すでにいない。
小さな船室だ。すぐ近くの扉をあけ部屋をでる。せまい廊下を歩き、甲板への階段をあがった。
外にでてみると、すっかり夜だ。
「起きたか」
声をかけてきたのは猿人の軍師、ラティオだった。
「バラールの明かりが見えるぜ」
それを聞き、船首に走る。
船がすすむさきを見た。
カルラ運河は、まっすぐ北へとのびている。そのはるかさき、右の岸辺が明るい。バラールの都だ。
はりつめたような気配は、バラールの明かりが見えたからか。この船に乗っているだれもが、緊迫した気配をただよわせている。
「アト、このあたりから、敵がいるかもしれない」
そう言って歩いてきたのは鳥人の軍参謀、ヒューだった。
「敵は、ぼくらの動きをつかんでいないのでは?」
「そうなのだが、まんがいちもある。岩礁の影や、岸辺に敵兵がいても、この暗さでは見えない」
たしかに運河は広いが、まれに突きでた岩などがある。遠くの岸辺も見えるが、人がいてもわからない暗さだ。
「よけいに、ぼくの見はりが必要だよ。目のよさだけが長所だ」
ヒューは首をすくめると、羽を広げた。ばさりと音をさせ飛んでいく。帆柱の最上部、小さな見はり台のような場所に着地した。
鳥人としては、あそこから見はり役をするつもりだろう。
ぼくも
うしろから、大勢の人が甲板にあがってきた音がする。
ふり返り見ると近衛兵や、交代で休んでいた船乗りたちだった。
また前方に視線をもどす。
船団の先頭を走るのが、この帆船だ。なにも見落とさないようにしよう。
気合いを入れたが、王のぼくが舳先にいるのは、さすがに問題らしい。ぼくのまえに、ふたりの近衛兵が立った。
視界のじゃまだが、そこまで文句も言えない。ふたつの背中のあいだから、見はりをつづけた。
半刻ほど、船は走る。
見えてきた。右前方、はっきりとバラールの城壁が見える位置まで近づいた。
「アト、港に人の姿は見えるか?」
小声で聞いてきたのは、軍師のラティオだった。目をこらして見る。
バラールの都は、運河の近くに建てられた都市だ。城壁のすぐ外に港がある。
港の外灯は見えた。でも人はいない。ぼくが見えるかぎりでは、岸壁があるだけだ。動いているものはなかった。
「いないと思う」
ぼくは小声で答えた。
ふり返り、甲板を見る。気づけば船の上は静かだ。明かりもすべて消されている。
船外に目をうつせば、ほかの舟もそうだった。三角帆をはった小舟の群れは、明かりをつけず静かに運河を走っている。
もういちど、バラールの城壁を見た。城壁のむこう、バラールの上空は明るい。街の明かりが、城壁を越えて漏れている。
あの都をおとずれたのは、かなりまえの話だ。アッシリアに占領されたいま、どうなっているのだろうか。
城壁が、どんどんと近づいてくる。
ぼくらが近づいているのだが、船の上なので自分は動いていない。むこうが近づいてくるような錯覚があった。
なにか、違和感がある。
だが、そのなにかがわからない。
バラールの城壁は、かつて見たものと変わりない。
港に人がいないのは理解できる。いまの運河は、ザンパール平原のせいで魚の死骸ばかりだ。バラールの漁師たちは漁にでないのだろう。
また、いまは両国が戦争の状態だ。ぼくらの国だけでなく、バラールも南方との交易は止まっているはずだ。
いやちがう。違和感がわかった。
港に人がいないのはわかる。だが、舟もない。まえに見た風景では、港には大小さまざまな舟があったはずだ!
「しゃがんでください!」
声をしぼったが、するどく言った。まえに立つ近衛兵のふたりがしゃがむ。
港に舟がない、ということは運河にでているのか。
だが運河には、動いているような影はなかった。岩礁がひとつ見えたが、遠くからでも岩だとわかる。
「壁だ!」
運河のさき、一直線にふさがれている。
近衛兵のふたりも気づいた。
「みんなに知らせて!」
「はっ!」
ひとりが駆けていく。
なぜ、運河の上に壁があるのか。目をこらした。
見えた。
壁ではない。舟だ。舟をびっしりと隙間なくならべている。それで港に舟がなかったのか!
ぼくのそばに駆けてくる足音がした。
「舟か!」
さけんだのはラティオだ。
うしろを見ると、甲板では船乗りたちが綱を引いている。綱が引かれるたびに、大きな帆がしぼりあげられていた。
走る船足がゆるんだ。それでも、さきほどまで全速だった船だ。ゆっくりと運河を前進していく。
船室への階段から、ランタンを持った人が駆けあがってきた。船尾に走り、それを大きく左右にふる。止まれという合図だ。
うしろを走る小舟からも、左右にふる明かりが見えた。ああして後方へと伝達していくのか。
ラティオを見た。軍師は顔をしかめている。
「縄で、舟を結んだな。こちらから兵士を送り、縄を切らせるか」
簡単に縄が切れればいいが。そう思い水上にならぶ小舟を見ると、なにか動いた気がした。
「ラティオ、舟に敵兵が!」
ならんだ舟のなかに動く人影が見えた。すべての舟にいるわけではないが、はしから均等に人が配置されている。
鐘の音が聞こえた。ひとつではない。連続して鳴っている。警報の鐘だ。
バラールのほうを見る。城壁の上、動く明かりが無数に見えた。
「こっちに気づいたか!」
ラティオが言った。風切る音がする。舟のへり、木の手すりに矢が突き立った!
「ラティオ、城壁からだ!」
「アト、ここはだめだ!」
ぼくの肩をラティオがおおうように抱く。中腰のまま走った。左右には近衛兵が壁となって走る。
帆柱の下にかくれた。まわりを見る。
甲板には近衛兵や、船乗りたちもいた。木箱などの影にかくれる。
矢が風を切る音が聞こえた。いくつも聞こえた。
バラールの城壁は遠い。弧をえがくように遠くに射る矢は、そうそう当たるものではない。それでも何本かに一本は、甲板に突き立った。
城壁からだけではない。まえからもきた。一直線にならぶ舟にいた敵兵たちも、弓を放ち始めたか。
矢の攻勢が、いっそう強くなった。へたに帆柱の影からでれない。
ばさりと舞いおりる羽音がした。
「なぜ、こちらの行動がわかったのか」
ヒューだ。着地と同時に言った。
そう、諜知隊をひきいるヒューと同意見だ。なぜ、ぼくらレヴェノア軍の動きがわかったのか。
「いや、そうじゃねえぜ」
言ったのはラティオだ。ぼくらは太い帆柱の根元にしゃがんでいるが、ラティオはあぐらをかいて座っている。
矢の風切る音が聞こえるなか、軍師はあごに手をやり考えているようだった。
「ヒュー、このことを知ってたか」
「聞くまでもない」
ヒューも、ぼくらのそばにかがんだ。あたりまえのことを聞かれ、すこし怒っているような表情だ。
「かちあったか」
ラティオがため息をついた。つづけて口をひらく。
「運河を舟で封鎖する。大がかりなことだ。諜知隊は知らせを飛ばしているだろう」
「それなら、早舟とすれちがうはずだ!」
「落ち着けよ、ヒュー。らしくねえぜ。諜知隊の舟はねえ」
ラティオの言う意味がわかった。港に舟はなかった。広い運河を封鎖するため、すべての舟はつかわれている。だれの舟かは関係ない。王の名において接収すればいい。
「いまごろ早馬が、レヴェノアにむけて街道を駆けているだろうぜ」
必死で馬を駆ける姿が浮かんだ。ラティオが話をつづける。
「諜知隊の知らせは届いてねえ。つまりこの封鎖は、ここ数日のことだ」
そうか、すべての舟がつかえないなら、早馬をだすはずだ。それが届いていない。諜知隊の早馬なら、バラールから王都レヴェノアまで七日あればくるだろう。そのあいだの出来事か。
それでも意味がわからなかった。ぼくらが遠征を決めたのは、二日まえだ。
「アト、おれらの動きは関係ねえ」
ぼくが考えこんでいるのがわかったのか、軍師は答えた。
「アッシリアの動きだけ追ってみろ。王都レヴェノアの近くに軍を置く。しばらくようすを見る。レヴェノア軍は動かない。それなら運河を封鎖する。そしてレヴェノア軍の港もつぶしておく」
レヴェノア軍の港とは、ボレアの港か。あれはアッシリア軍が物資の流れを止めるためではないのか。
「徹底しているな。逃げ道をふさぎ、同盟国からの船便も止めておく」
ラティオの言葉でわかった。思わず運河のさきをふり返った。
「あの壁は、アグン山から逃げる人を止めるためか!」
それはつまり、いままさに、アグン山が襲われていることを意味する!
この運河の封鎖は、ぼくらの舟を止めるものではなかった。
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