第344話 釣床

「あれ、朝食は?」


 空腹なのに、起きたら青空が見える。


 朝食も食べずに、ぼくは外へでかけたのか。


 寝ぼけているのだと、しだいにわかった。


「朝食というより、昼食だな」


 ぼくが寝ているそばに、しゃがんだ猿人がいる。


 さきほど、肩をたたかれた気がする。ぼくを起こしたのは、このラティオだったようだ。


 立ちあがり、まわりを見た。


 昼のカルラ運河だ。昨晩に見はり番を買ってでて、ずっと舳先に立っていたのはおぼえている。


 とちゅうに休憩のため、甲板にある木箱にもたれて座った。そこから寝てしまったか。


「アトも、きもが太くなった」


 女性の声がした。どこからだろうか。まわりにはいない。


 上を見る。横帆おうはんと呼ばれる横長の帆がふくらんでいた。その帆が垂れさがる支柱に、鳥人の軍参謀が腰かけている。


 ヒューは腰をおろしたまま支柱に手をつき、ひょいと飛んだ。


 ふくらんだ帆の上をすべり、そのまま落ちるかと思えば羽を広げた。ふわりと、きれいに甲板へ着地する。


「進み具合は?」


 ふたりに聞いてみる。


「順調だな」


 ラティオが言った。


「例の魚の死骸が見れるぞ」


 ヒューの言葉に、ぼくは船のへりにいった。


 下をのぞきこむ。水面にあるのは、大量に浮いた魚の死骸だ。それをこの大きな船が、はじき飛ばすように進んでいる。


 となりにラティオもきて、下をのぞきこんだ。


「ラティオ、きのうに漁をする舟を見た」

「ああ、いたな」

「しばらくのあいだ、漁は禁止にしたほうがよいと思う」

「正しいだろうが、それをするなら替わりの食料を与えないと」


 ラティオの言うとおりだ。だが、食料の配布ができない。レヴェノア領内にはアッシリア軍がいる。敵がいるせいで国の仕事ができない。


 思わずため息がでた。


「ぼくは、若かったんだな。ラティオが昔、このテサロア地方を統一する話をしただろう。ぼくには不要に思えた。でもそれは世間を知らないだけで、アッシリアの王は人々にとって害しか生んでいない」


 船体にぶつかる魚の死骸を見つめながら、自身の浅はかさを痛感する。


 ラティオが、ぼくの肩をたたいた。


「おれとしては、逆にアトを見て学ぶことも多いがな。まあ、めしにしようぜ」


 ラティオとヒュー、そしてぼくの三人で甲板に座り、パンと干し肉を食べた。水袋から水を飲み、ひと息つく。


「ヒュー、王都レヴェノアは無事だろうか。それにボレアの港も」


 ぼくが言い終わるまえに、鳥人の軍参謀は首をよこにふった。


「諜知隊の知らせは、ここまでこない」


 そうだった。船の上だ。そして移動する速さは、ぼくらがもっとも速い。ぼくらになにか知らせようにも、早馬だろうが早舟だろうが、追いつかない状況だった。


「下で寝ておけよ。バラール付近に着くのは夜だぜ」


 ラティオが言う下とは、甲板の下、船室のことだ。


 王であるぼくは、船長の部屋をつかえと言われた。それはことわる。この船の船長といえば、熊人のケルバハン総督だ。


 替わりに船乗りの人たちが用意してくれたのは、釣床つりどこと呼ばれる寝具がある部屋だった。大きな布が天井から吊るされている。


 船内にある小さな部屋に、釣床が三つ吊るされていた。


 三つあるので、ぼくとラティオ、ヒューの三人でつかうことにする。


 なにかあれば、すぐに起こしてください。そう近衛兵に告げ、ぼくら三人は釣床に入った。


うり葡萄ぶどうにでも、なった気分だな」


 ラティオが言った。たしかに、ぶらぶらと吊りさがって寝るのは、たわわにみのった果実のようだ。


 ゆれる天井を見つめる。いろいろな思いが、頭をよぎった。


「ラティオ、アグン山のふもとについたら、まずどうする。足の速い者を選別して」

「おい、アト」


 話のとちゅうで、ラティオにさえぎられた。


「ラボス村は、間にあわなかった。だが、あのときも、できるかぎりいそいだ。今回もおなじだ。もし間にあわなくとも、それはアトのせいじゃねえ」


 ラティオに見すかされていた。ぼくの心にあるのはそれだ。


「グラヌスも、今回はかなり動揺しているな」


 聞こえたのは、ヒューの声だ。


「動揺、犬っころがか。そうは見えなかったがな」


 ラティオと同感だ。ぼくが見るグラヌスも、いつもと変わらない落ちついた総隊長だった。


 ヒューのきれいな声が、また聞こえてきた。


「四人でラティオの家をたずねたのが、もう五年前。ふたりは、あれから何回アグン山にいったか」


 ぼくは、なにかと理由があればいっている。数えてみた。


「五回、いや六回かな」

「グラヌスも輸送の護衛と称して、四回はたずねているだろう。かくゆう、わたしですら二回ある」


 ヒューは二回もおとずれているのか。ぼくと同行したおぼえはない。諜知隊にかかわる仕事のついでか。単身でバラールの都をおとずれていたことは、何度かあったはず。


「一回も、ねえな」


 ぼそりと、ラティオがつぶやいた。


「おれが一番の親不孝ってわけだ」

「それを言いたいのではない。わたしも、アトも、グラヌスも、ラティオの父母ふぼには甘えているのだ。だから平常心ではない。それを伝えておく」


 この船に乗ったとき、ヒューは言った。この戦いは、それぞれに戦う理由があると。あの言葉は、ヒュー自身もふくまれていたのか。


 ヒューが、さらに言葉をつづけた。


「思いでというのは、記憶ではない。それがあるとないとでは、人生が大きくちがってくる経験。そんなことを思いでというのではないか」


 それからは三人とも無言だった。わずかにゆれながら天井を見ていると、だんだんと眠くなってくる。


「おもしれえな」

「ああ、わたしもそう思う」


 ふたりが言う、そのおもしろいとは人生なのか出会いなのか。そんなことを考えていたら眠気に勝てなくなり、ぼくは目をとじた。

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