第347話 残った矢
船は、カルラ運河を越えた。
東か西へわかれる支流があり、まず東に入る。
甲板のうしろから流れ去る川を見つめた。
バラールの都が小さくなっていく。
「うしろの連中も、うまく、すりぬけたようだな」
となりに立つラティオが言った。
ぼくらが乗る帆船のうしろには、小舟の船団がつづいている。
「アッシリア軍の追っ手はないのか」
思わずつぶやいた。敵の舟は見えない。
「ありゃ、燃え広がるぜ。風下につらなっていたからな」
ラティオに言われ気づいた。運河の流れと、風のむきだ。
縄でつながれた舟は炎によって切られ、多くがちぎれて流されていった。さらに残りの舟は、運河の流れで南に垂れさがる。そこへ南からの風だ。どんどん火がまわる。
「すごい炎のいきおいだった」
「ああ、水の上だが、柱のある帆かけ舟が多い。それも皮肉なことに、舟のへりとへりをしっかり縄でつなげてな。よく燃えるだろうぜ」
皮肉だった。アッシリア軍は舟をつかい運河を封鎖したために、ぼくらを追う舟がない。一艘や二艘、すこしは残るだろうが、まとまった兵力にはならないだろう。
「そろそろ、この帆船から小舟に乗り換えねえとな」
ラティオはそう言い、去っていった。
うしろにつづく小舟を見る。大きな損傷はないようだ。乗っている人数も、大きく減っているようなようすはない。
ふと、すすり泣きような声が聞こえた。
ぼくがいる船尾には、この帆船をあやつる大きな舵輪がある。
舵輪をにぎる操舵手が、泣いているのがわかった。
若い猿人だ。聞きたいことがあり近よった。
「ジャラクワの漁村にいたかたですか」
操舵手は、泣きながらうなずいた。そうだろうと思った。
「デアラーゴさんは、ぶつかる直前、逃げることはできたでしょうか」
あのとき、ぼくは上からで見えなかった。
若い猿人は、自身のにぎる舵輪を見つめた。
「舟の
「手を放すと?」
「とたんに、あらぬ方向に曲がります」
操舵手は舵輪から手を放した。
言ったことは、ほんとうだった。がらがらと音を立て、舵輪が勝手にまわり始める。すぐに操舵手は舵輪をにぎりなおし、もとの位置にもどした。
そうか、水の流れに押されて勝手に舵が曲がるのか。
ならば最後まで、デアラーゴ隊長は舵をにぎったままだ。すべての小舟は、まっすぐだった。ぶつかるまで、まっすぐに進んでいた。
ぼくは都合よく考えていた。きっと、ぶつかる寸前で運河に飛びこんだのではと。だがこの操舵手が泣くわけだ。デアラーゴ隊長や、あの突っこんだ数隻の船乗りたちは、おそらく生きてはいない。
かける言葉もなく、ぼくは操舵手から離れた。船尾に立ち、流れ去る川を見つめる。
うわさ話をおもいだした。デアラーゴ隊長は、長いあいだ王と理想の国を語らい、レヴェノア軍への入隊を決めたという話だ。
このうわさは、でたらめだった。ぼくとデアラーゴ隊長が話したのは、子供のころ、どんな遊びをしたかだ。
ぼくは山で、デアラーゴ隊長は川。山遊びと川遊びは、まったくちがった。だが意外に似ているところも多かった。
王よ、ぜひ酒でも飲みながらまた話しましょうぞ。あのとき最後にデアラーゴ隊長は言った。あの約束は、もう
デアラーゴ隊長だけではない。いくつもの小舟が突っこんだ。そして城壁では、だれかがアッシリア軍と戦っていた。ヨラム巡政長と、諜知隊だ。それもまちがいない。
バラールには、三万ものアッシリア軍がいる。どうにか逃げただろうと考えるのは、これも都合のよすぎる考えだ。
立っている船尾の甲板。その隅に刺さったままの矢を見つけた。近よって、引きぬいた。アッシリア軍の矢だ。この帆船では、船乗りのひとりが矢で死んだ。
矢を川に投げる。矢は水面に浮かび、すぐに後方へと流されていく。
「若き王よ」
声がしてふりむくと、わが国がほこる大賢者の老猿人、ボンフェラート宰相だった。
「いまは戦いの途上。君主たる者、ふりかえってはならん」
宰相は、いつもぼくの考えを読んでいる。ぼくの何倍、生きているのだろう。この人のまえでは、心をごまかすことはできない。思ったことを言うしかなかった。
「ぼくは、みんなと暮らしたいだけです」
「わかっておる。レヴェノア国の戦いは、守る戦いばかりじゃ」
「戦う意味が、いまだにわかりません」
宰相が笑った。
「戦う意味、生きる意味か。年ごろじゃのう」
「宰相は、おわかりですか」
深いしわの奥にある目が、ぼくの目を見つめてきた。
「いつもなら答えぬが、戦いに迷いがあっても困る。特別じゃぞ」
ぼくは、うなずいた。
「わしも、まだ探しておる」
意外すぎる答えに面食らった。
ふざけているのか。そう思ったが、宰相の顔は真剣だ。ならば宰相ほどの年月をへても、答えはわからないのか。
「答えはないのか。そんな顔じゃな。そうではない」
どういう意味なのか。聞き返したかったが、宰相は背をむけた。
歩きだす宰相の足取りは重かった。そういえば、しばらく宰相の姿を見かけなかった。船室で寝ていたのか。
「ボンフェラート宰相、無理はしないでください」
引きずるような足を止め、宰相はすこしふり返った。
「そう長くもない
どこかで聞いた言葉だ。思いだした。
「建国の食卓。あのときも宰相は、そう言ってました」
「そうかの」
宰相は、遠い記憶を思いだすように、夜空を見あげた。
「王は、足を引っぱらないようにする、そう言っておったかの」
どうだったろうか。人の言葉はおぼえていても、ぼく自身がなにを言ったかは、おぼえていない。
「言葉をくらべるだけでも、成長いちじるしいの。わしなどは、なにも変わっておらんようじゃ」
ふいに甲板の船乗りたちが、いそがしく動き始めた。
「アト、小舟にうつるぞ!」
ラティオの声だ。
帆船のよこを見ると、小舟が近づいている。
小舟に乗り換え、アグン山のふもとへつづく北の川へ入るようだ。
最後にふり返り、バラールの明かりを見た。
バラールの明かりは、もうずいぶんと遠くになっていた。
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