第342話 静かなボレア

 ボレアの港に着く。


 この街でも、こんなに静かなのか。そう思った。


 ひしめきあうように小屋が立ち、それが岸辺から無秩序に広がるボレアの港街だ。


 それぞれの小屋に明かりはともっている。だが夜ふけの通りには、人がひとりもいない。


 息をひそめるような小屋を横目に、近衛兵に守られ港まで走った。


「こんなに、多くの舟が」


 広がる光景に、思わず声がでた。


 巨石で造られた岸壁、そして岸からのびるいくつもの桟橋。そこには多くの人がいた。大小さまざまな舟が準備されている。


 すでに荷物などは積みこんだようで、いまは各隊長が兵士たちを割りふっていた。


 兵士たちが次々に小舟へと乗りこんでいく。


「おれも、ともにゆければな」


 声がして、ふりむいた。夜でも三角帽をかぶった熊人。このボレアの総督、ケルバハンさんだ。


「総督、アッシリアの軍が」


 言いかけたが、熊人の総督はうなずいた。


「さきほど聞いた。巡兵隊がぶつかっているそうだな」


 ケルバハンさんは三角帽をぬぎ、頭をかいた。


「まあ、なんとかする。軍師にもそう伝えたところだ」

「総督、いま守兵たちは?」

「百ほどは、ちらばして見はりだ。残りは家で待機している」

「全体で数はどれほど?」

「千六百ほどだな」


 ここの守兵に関しては、ときおり報告は受けていた。以前に聞いた話では、二千を超えていたはず。


「去っていった者もいますか」

「まあな。港なので、流れ者も多い」


 ケルバハン総督の口調は、それほど怒ってもいないようだった。


 本来なら、国の兵士が守るべきところだ。それがこの結果だ。さきほどの巡兵隊は、何人が生き残ってくれるだろうか。


 かつて、ぼくの村を国の兵士は守ってくれなかった。おなじことを、ぼくもしているのではないか。


「アトボロス」


 ふいに呼ばれ、ケルバハン総督を見あげた。


「船に嵐はつきものだ。それでもやがて嵐はやみ、太陽が顔をだす」


 この嵐はやむのだろうか。グールという嵐に、ぼくはずっと戦っている気がする。


「そんな顔をするな。強運きょううんの船、アルゴーがきっと守ってくれる」


 総督が指をさしたのは岸壁だ。ひときわ大きな帆船がある。


「ケルバハン総督の船ですか」

「ああ。名をアルゴーという。アグン山までは大きすぎて無理だが、とちゅうまで乗っていけ。操船する船乗りたちも、精鋭をそろえた」


 アルゴーか。たしか大昔の神話では、英雄たちを乗せた船の名だ。


 そのアルゴーと呼ばれた船の甲板には、すでに甲冑姿の者が何人か乗っていた。船乗りたちも準備をしているのか、あわただしく動いている。


「このボレアでは、最速の船だと言えるぞ」


 自身の船なので、あたりまえともいえるが、ケルバハン総督は自慢げに言った。


 ひとつ、ぼくは伝言を思いだした。


「エシュリから父に伝えてほしいと言われました。気をつけてと」


 伝えたが、ケルバハンは笑みを浮かべた。


「それは、おれに言いたかったのではないな。おまえに言いたかったのだろう」


 そうなのだろうか。


「アトボロス王、そろそろ準備はととのうぞ」


 歩いてきたのは、猿人の歩兵七番隊長だ。


 熟練の軍人だが、この遠征でひきいるのは兵士ではない。歩兵七番隊は王都で留守番だ。


 デアラーゴ隊長がひきいるのは船乗りたちだった。船団の代表という立場で、舟の全体を指揮する。


 ぼくらを運ぶ大小さまざまな舟は、日ごろからアグン山とボレアの港を往復する荷舟だけでは足りない。漁師たちや、この港に住む船乗りたちの多くが手伝ってくれていた。


 これはボレア総督であるケルバハンさんの功績も大きいのだろうが、かつてジャラクワで漁長をしていたデアラーゴ隊長がいるからこそだろう。


「デアラーゴ、王をたのむぞ」

「あたりまえだ、ケルバハン。おれは王の臣下だぞ」

「言うではないか。わが国の隊長、三人から声をかけられたくせに」


 ケルバハン総督の言葉に、思わず首をひねった。


「三人の隊長ですか」

「アトボロス王は知らぬ話だったか。こいつは、キルッフ、ナルバッソス、ジバ。それぞれに誘われている」


 そうだったのか。


 ボレア総督の軽口に、なにか言い返すかと思ったが、もと漁師の歩兵隊長はカルラ運河の対岸を見つめていた。


 対岸は遠く、豆粒のような明かりがいくつか見える。


 見つめていたデアラーゴ隊長がふり返り、口をひらいた。


「そのとおりだ。その三人がいたから、いまのおれがある。そしてそのうちのふたりは、もうこの世におらぬ」


 いまは亡きキルッフとジバ隊長のことだ。


「ふたりの遺志は、おれが引き継ぐ」


 デアラーゴ隊長が、ぼくを見つめた。ふたりの遺志か。どういう想いだろうか。ぼくの想いは単純だ。


「ぼくは、みんなを守りたいです」

「王と国を守るのが、おれの役目だ」


 もと漁師の歩兵隊長は、断固たる口調で言った。それが、ふたりの遺志なのか。


 ぼくの背中をケルバハン総督がたたいた。


「まあ、ここはまかせて、王はさきへいけ。おれの家は、おれが守る」


 その言葉に思いだした。かつて熊人の船乗りは、船が自分の家だと言っていた気がする。


「ここが、ケルバハン総督の家ですか」


 熊人の総督は笑った。


「押しつけられた家だったがな。気づけばもう、ここが、おれの家だ」


 笑っていた総督だが、まじめな顔で、ぼくの目を見つめてきた。


「船には、帰るべき港がある。アトボロス王、おまえが帰るべき港はここだ。帰ってくると、約束してくれ」


 どう答えればいいのか、わからなかった。


 グールをあやつっているのは、人間族だ。ぼくには責任があるように思う。犬人でもなく、猿人でもなく、熊人でもない。敵は人間族なのだから。


「いってきます」


 それだけ言い、ぼくは舟に乗りこむため、岸壁へと足を踏みだした。

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