第341話 せまる明かり
ばさりと羽音がした。
ヒューがあらわれた。上空から確認したのか。
「駆けてくる馬は、一騎だけだ」
ヒューは地面に足をつけると同時に言った。
南から近づいてくる明かりの群れは巡兵隊。先行して、サルタリスだけが馬で駆けてきたのか。
ヒューの言うとおり、待っていると一騎だけがあらわれた。
「やはり、アトボロス王と遠征軍でしたか。よい場面に、でくわしたようですな」
サルタリス巡兵隊長は、近くまできて馬の足をゆるめた。ぼくの周囲をかこんでいた近衛兵が道をあける。
なぜここに巡兵隊が。そう聞くまえに、となりにいた鳥人の軍参謀が答えを言った。
「巡兵隊長、ラウリオンの守兵長、そしてボレア総督。王都にいなくとも、なにか決まるごとに隊長格へは諜知隊が早馬を飛ばしている」
ヒューの言葉に、サリタリス巡兵隊長は大きくうなずいた。
「遠征隊があつまるのは夜ふけ。それに間にあうよう巡兵隊の者をまとめ、駆けつけました。われらが、ボレアの港まで護衛します」
馬上からサリタリスが言ったが、軍師のラティオが歩みでた。
「護衛できるような状況か。王都レヴェノアの方角を見てみろ。えさをまえに、よだれをたらしそうなアッシリア軍が見えねえのか」
ラティオは声をあらげたが、サルタリスは表情を変えなかった。そして言われた方角には顔をむけず、そのまま答えた。
「ですので軍師よ、われらが遠征隊を守ります」
「相手は五千だぞ!」
「われら巡兵隊は三千。勝つとは言わぬが、止めてみせます」
そのとき、うしろから女性の引きつった声が聞こえた。
「三千、ほぼ巡兵隊の全員だわ!」
テレネ歩兵五番隊長だ。もとは巡兵隊の西側をたばねていた。
ぼくは馬上のサルタリス巡兵隊長を見つめた。会うのは、しばらくぶりになる。
もとコリンディアの歩兵で、からだの大きな犬人だ。たしかザクトがいたころ、近衛隊へ入ろうとしたが落ちている。
今日のサルタリスは、戦うための防具をつけていた。背中には
見ていて気づいた。着ている革の鎧に、いくつもの傷がある。
「戦闘がありましたか?」
聞くと、サルタリス巡兵隊長は馬をおりた。ぼくに笑顔をむけてくる。
「ご壮健そうでなによりです、アトボロス王」
馬をおり近くになったので、はっきりと見えた。やはり鎧についているのは、剣による傷だ。
ぼくの視線に気づいたのか、サルタリスは革の鎧をなでた。
「これですか。戦乱の状況になると、盗賊などがあらわれます。とくに辺境がねらわれやすい」
そうか、国と国との争いが起きると、地方の治安が手薄になる。
「そこには思いいたりませんでした」
「ご安心を。ことごとく返り討ちにしております」
これほど、自信に満ちた人だったろうか。どこか以前の印象とはちがう。
「サルタリス巡兵長、どこか変わられましたか」
「どうでしょうか。自身ではなんとも。ただ思えば、多くの仲間にかこまれ農業と剣の訓練。これは充実した日々でした」
笑顔を見せていたサルタリスだったが、顔を引きしめ馬に乗った。
「ボレアの港へ、おいそぎください。アトボロス王」
なにか言おうと思ったが、肩をたたかれた。たたいたのは軍師のラティオだ。
「本人たちがやると言うなら、ここはまかせる。おれらは、さきをいそごう」
ラティオは遠征隊のほうへと歩いていく。
「ボレアの港へいそぐぞ、全軍、駆け足!」
先頭の二番隊から、兵士たちが東へむけて走りだす。
入れちがいに南から多くの足音。それに明かりが近づいてきた。手に
サルタリス巡兵隊長が、号令を発した。
「西にむけて陣をはる。敵はアッシリア軍の五千。ここで食い止めねば、わが国は終わると思え!」
怒号のような号令だった。
巡兵隊は、ぼくと近衛兵がいる場所をまわりこんで移動する。そのなかには、百騎ほどの騎馬もいた。
「ルハンド!」
よく知る姿が見えた。男ではめずらしく毛を長くした猿人だ。
聞こえていないのか。馬上のルハンドは、ふりむきもしない。
「アト!」
ぼくが呼ばれふりむいた。近づいてくるのはグラヌスだ。
友であり総隊長でもある犬人は、そばまでくると腰を落とした。しゃがんだ体勢で、ぼくの顔を見つめてくる。
「ゆこう、アト」
「でも巡兵隊が!」
「それぞれに役割がある。自分とアトのなすべきことは、ここではないはずだ」
巡兵隊を見た。馬上のルハンドは、いちどもこちらを見ていない。
「ルハンド!」
もういちど名を呼んだが、やはりふりむきはしない。
ルハンドラ・クーチハバラ。あのウブラ国では、貴族ともいえる執政官の一族だった。
王であるぼくを、いつも気にかけてくれた。王都レヴェノアにきたさいは、かならず、ぼくの部屋をたずねてくれた。
「ルハンド!」
「アト、戦いに犠牲はつきものだ」
グラヌスがぼくの肩に手を置くのがわかった。ぼくはルハンドを見つめていた。
ルハンドが背中ごしに、すこしだけ、うしろをむき、うなずいた気がする。
無名隊長、そう呼ばれていた。
「おれは、名もなきひとりの兵士、名もなきひとりの農民でいいのさ」
いつだったか、ルハンドは王の酒場でそう言って
名もなき兵士は、なにも言わずいくのか。
「よい男だったな」
グラヌスが言った。そのやさしい言葉とは裏腹に、きびしい顔をしている。
気づけば、すこし離れた場所にはテネレ隊長がいた。
テレネ隊長も、きびしい顔で巡兵隊の背中を見つめている。そうか、巡兵隊に知りあいは多いはず。
「くそっ!」
ぼくは怒りとも悲しみともわからない感情があった。巡兵隊に背をむけ歩きだす。
みんなを守りたかった。おとなになった。弓の腕も上達したはずだ。知識も増えた。それなのに守れないものばかりだ!
「くそっ!」
もういちど夜の闇にさけび、ぼくはボレアの港にむけて走りだした。
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