第338話 地下水道をでる

「日が沈みました」


 地下にある貯水庫に入ってきた近衛兵が言う。


 地下水路のわきで待機していた。


「アトボロス、おまえの口から兵たちに説明を」


 ゴオ隊長に言われ、ぼくはまわりの近衛兵へ顔をむけた。


「昨晩から、いくつかの隊はすでに外へでています。しかし今夜は、ぼくらの隊が一番手。外にでたら、周囲に気をつけてください」


 近衛兵のみんなが、静かにうなずいた。


 太陽が沈んだ報告は受けた。あとは、もうひとつの報告だ。


 待っていると聞こえてきた。ぴちゃぴちゃと、浅い水を踏む音が近づいてくる。


 地下水道の外へつづく暗い穴から、あらわれたのはハドス近衛副長だ。


「確認できました。出口、またその付近にアッシリア軍はおりません」


 ぼくは黒ずくめの猿人を見た。そのゴオ隊長がうなずく。


 近衛隊百人のうち、およそ半数が次々と地下水道へおりていく。


 おりるための梯子はしごは、すでに何本も設置されてあった。おそらく工兵隊によるものだろう。


 わずか二日で、こんなところにも準備をするのかと感心する。それでもレゴザ工兵長の言葉を借りるなら、朝飯前というやつなのだろう。


「ゆくぞ」

「はい」


 ゴオ隊長に言われ、短く答えた。


 木の梯子をつたっておりる。地下水道に水はなかった。


 前後を近衛兵に守られ、地下水道を歩きだす。


 外へとつづく穴へ入り、まっくらな道を進んだ。明かりは点けない。闇に目をならすためだ。


 歩くほどに穴は低くなり、最後は中腰になってすすむ。ふいに青白い光が見えてきた。


 出口の川にでる。今回も、川に水はなかった。


 川にも木でできた梯子があり、それをのぼる。


 地面に足をつけ、夜空を見あげた。満月だ。あの青白い光に思えたのは、満月の明かりか。


「ハドス、後続をまとめ追ってこい。さきに合流地点へむかう」

「はっ」


 ゴオ隊長とハドス副長のやり取りが聞こえた。


 五十人ほどの近衛兵とともに、夜の荒野を走った。


 とちゅうに何度が立ち止まり、城をふり返る。城壁にならぶかがりの明かりが、遠くからでも見えた。おかげで自分たちが走っている方向がわかる。


 半刻ほど駆けつづけ、ヒュプヌーン山のふもとに着いた。


 合流場所は、山の裏手だ。山すそをまわりこんでいると、暗がりにひとりの兵士がいた。


「ご案内しますよ」


 暗がりから男がでてくる。月光に照らされ顔が見えた。イーリクだ。


 ぼくは近衛兵にかこまれた輪からでる。イーリクのほうへ近づいた。


「イーリクの選んだ百人は、もう外?」

「はい。昨晩にでて、すでにボレアの港で待機しております」

「早かったんだな」

「私は、精霊隊から選ぶだけですので」


 そうか、ほかの兵にくらべ精霊兵はただでさえ人がすくない。そのなかから精鋭を選ぶとすると、ある意味では簡単なのか。


「サンジャオ殿と弓兵隊も、すでにボレアへおります」


 弓兵も特殊だ。こちらも早くに百名を決めたか。


「すると、あとは歩兵とグラヌスの隊か」

「グラヌス総隊長は上におりますが、隊のほうはボレアです。輜重隊と工兵隊だけでは準備が大変だろうと、手分けして手伝っておりますので」


 なるほど、ぼくがいかに、ぼさっと二日間を過ごしたかがわかる。ものごとの裏では、じつに多くの人が動いているのだと痛感した。


「ぼくは今日、昼寝までしていた。なんだか申しわけないな」

「いいえ、正しいですよ。ナルバッソス殿あたりなら、おおいに褒めるところです」


 それは、ウブラ国へ遠征にいったときの話だ。敵がくるのがわかったのに、ナルバッソスは寝て待つと言った。あのとき周囲は、おどろいたものだ。


 イーリクの案内で、山道に入っていく。


 いつも見るヒュプヌーン山の反対側だ。入るのは初めてだった。


 この山にも罠があるのだろうか。土を踏み固めた広い坂道をのぼる。


 しばらく坂道をのぼると、段々畑のようなものがあり、低い木がずらりとならんでいた。


 その段々畑の小道に、イーリクが入っていく。


 葡萄ぶどうの木ではなかった。遅れそうになったので、あわててイーリクを追いかける。うしろにいる近衛兵も駆け足になった。


「この畑っていったい」


 思わずつぶやいたが、うしろからゴオ隊長の声が聞こえた。


「アロニアか」


 ふり返ると、ゴオ隊長が緑っぱを手に持っていた。大ぶりな緑色の葉だ。ぼくは母に教わり草木にはくわしいはずだったが、アロニアというのは知らなかった。


 見つめるぼくに気づいたのか、ゴオ隊長が教えてくれた。


「アグン山では育てる者が多い。滋養が多く、寒くても育つのでな」


 それならば、この段々畑を計画したのは、ラティオのほかはない。わが国の軍師もヒックイト族なのだから。


「しかし避難所のようなものを予想していたけど、畑なのか」

「私も、昨晩にそれを軍師にたずねました」


 ぼくの疑問に答えたのはイーリクだった。まえを歩いていた精霊隊長は立ち止まり、こっちをむいている。


「ここは農地に見せて、何十もの小屋を建ててあるそうです。かくす拠点と、かくさない拠点。そう、軍師はおっしゃってました」


 あきれ顔でイーリクは言ったが、ぼくもおなじ気持ちだ。なれておどろきはないが、いつもラティオの聡明さにはあきれる。


 アロニアという知らない木を見ていると、黒く小さな実をつけている木があった。


「イーリク、これは、春の果実?」

「いえ、秋だそうです」


 夏に近づいているとはいえ、まだ春だ。赤い実がついている木に近づいた。


「これは私の予想ですが、この山は水の精霊アルケーの気配が濃いのです。まれに、狂った木ができるのではないでしょうか」


 そういうこともあるのか。ひと粒ちぎって口に入れた。


「んっ!」


 強烈な渋さが口にひろがった。あわてて吐きだす。


「アロニアの実だ。渋ぬきをせねば食えん」


 ゴオ隊長が教えてくれたが、できれば口に入れるまえに聞きたかった。


 イーリクは笑っていたが、すこし遠くに指をさした。ふたつの大きな小屋が見える。


「あのふたつを、近衛隊でつかってください。王とゴオ隊長は、軍師のいる小屋に案内します」


 それを聞いたゴオ隊長が、部下になにか指示をだした。数名が、きた道をもどっていく。おそらく後続のハドス副長たちを案内するためだろう。


 近衛隊とわかれ、ぼくとゴオ隊長はイーリクの案内で畑を進む。


 ほったて小屋につくと、イーリクは木戸をあけて入った。


 ぼくも入ると、そこはヒックイトの里にきたような錯覚があった。


 小屋のなかには板間があり、中央に囲炉裏があったからだ。すでに囲炉裏をかこんでいるのはふたり。グラヌスと、ラティオだった。


 グラヌスは甲冑をつけたままで、じっと囲炉裏の火にあたっている。それにくらべ、ラティオは装備をつけていなかった。


「よう、きたか王様。今日にぬけだす隊がそろうのは、順当にいっても夜ふけだろう。まあ、くつろいでくれ」


 そう声をあげたのはラティオで、歯で干し肉を引きちぎった。たしかに、くつろいでいる。


 ぼくとゴオ隊長は、履物はきものと具足をはずし板間にあがった。みんなとおなじように囲炉裏のそばに座る。


なえを、移動させたか」


 ゴオ隊長が座りながら言った。あのアロニアという木のことだろう。


「ああ、めずらしいし滋養も高い。こっちの市場では、けっこうな値で売れる」


 ラティオが答えた。ぼくはひさしく市場をおとずれていない。あの市場も月日がたてば、いろいろと変わっているだろう。


「それにしても、いつのまに」


 ぼくは小屋のなかを見まわした。きれいに掃除もされている。この小屋にいたっては炊事場まであった。


「ここを一部の市民に貸しだしているからな」


 市民か。たしかに日帰りでこれないことはない。でも、だれがやるだろうか。


 いまは敵にかこまれているが、王都レヴェノアの商業は活発だ。日雇い人夫の仕事も多くある。その反面で農業の話は、あまり聞いたことがない。


 炊事場にある棚を見た。小さな瓶が置いてある。


 立ちあがり、炊事場までいって瓶を手にとった。果実を煮詰めたものだ。これがあのアロニアだろう。小さく黒いので、葡萄ぶどうのようなものにも見える。


 いや、待てよ。ぼくはこれを見たことがある。


「ユガリ夫人だ」


 ジバ隊長の妻だ。ぼくは、ふり返り軍師を見た。


「ということは、ラティオ。ここの畑をやっているのは」

「ご明察。いくさで夫を亡くした未亡人たちさ」


 あやうく瓶を落としそうになった。あの魚の干物が入った瓶は落としたが、今度は落とさなかった。


 囲炉裏をかこむ面々を見る。


 グラヌス、ラティオ、イーリク、そしてゴオ。


 ぼくの出会いは、めぐまれすぎている。


 だれひとり欠けることなく、王都レヴェノアに帰れますように。そう心のなかで祈り、気づけばアロニアの瓶を強くにぎっていた。

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