第316話 14章終 雨はより激しく

 王の城に着いた。


 扉をくぐるまえに、頭や肩についたしずくを落とす。


「ヒューは帰ったか?」


 門衛に聞いてみた。


 飛んで自分の部屋に帰るのがヒューだが、この雨だ。今日は歩いて帰ったのではないかと聞いてみる。


「軍参謀でしたら、さきほど数人のかたと駆けてゆかれました」


 帰ったと思えば、またでていったのか。セオルスと見あい、肩をすくめた。


「セオルス。ご苦労だった。これはもう、寝るしか手はないぜ」


 嫌味な諜知士は、嫌味を言わなかった。うなずき、おれに背をむける。雨のなか階段を駆けおりていった。


 おれは城へ入り、軍師の執務室にむかった。


 執務室は二階だ。階段をあがり、廊下を歩く。


 壁にいくつもある燭台しょくだいには、ひとつも消えることなく蝋燭ろうそくの火がともっている。


 城の見まわりは、どこよりていねいだ。それはいまの王都守備隊長であるハドスがこまかいのか、それとも侍女長のベネ夫人が怖いのか。


 蝋燭の明かりに照らされ、みがきつくされた石の廊下は光っている。だがそこに、水滴がつづいて落ちてあるのに気づいた。


 ずぶ濡れの者が歩いたにちがいない。おなじ二階には、近衛隊の詰所もある。


 落ちたしずくは、廊下のさきにつづいていた。


 いそぎの用だったのだろうか。通常なら、これほど廊下を濡らして歩くことはない。


 しずくをたどって歩いたが、それは途中で消えた。


 意外な扉のまえだ。おれの部屋。軍師の執務室だった。


 思わず腰に手をやる。そうだった。おれは剣を持っていない。あるのは、なめし革を巻いた棒だった。


 それでも、なにもないよりいい。馬鞭を引きぬき、剣のようにかまえる。扉をそっと押した。


 ここは王の城。もっとも厳重な見はりのある場所だ。自分の部屋に鍵などかけてはいない。


 おれの部屋。暗い部屋だ。明かりはついていない。だが窓のまえに人がいる。


 その人物がふり返った。わずかな窓からの明かりで顔がわかった。


「ペルメドス文官長、ここでなにを?」


 もと領主である初老の犬人。その顔は曇っていた。苦渋に満ちているともいえる。


 文官長は、部屋の奥へ顔をむけた。その視線のさき、壁ぎわには椅子いすをならべてある。客人がきたときのために置いた。


 その椅子のひとつ、うつむいた犬人の男が座っていた。ぼろの服を着て、それが暗がりでも濡れているのがわかる。雨のなかをきたのは、この男か。


 男が顔をあげた。おどろいた。


「帰ってきたのか、ヨラム巡政長」


 バラールに潜伏していたはず。もとは、この街の大商人。いまでは三大老と呼ばれる犬人だ。


「ずいぶんとせられた」


 ヨラム巡政長のほほを見て言った。痩せこけている。潜伏するという生活は、そうとう厳しい生活なのか。


「軍師よ」


 巡政長が声をだした。


「主都ウブラが落ちました」


 なにを言ったのか。


 言われた意味を考えた。


「待ってくれ。ウブラはザンパール平原で負けたとはいえ、九万か八万の兵がいる」


 巡政長がうなずいた。


「ウブラ国は地方にちらばる兵、すべてをあつめました。その数、およそ二十万」

「二十万だと」


 よくあつめたものだ。


「大軍を持って、グールを掃討できると考えたのでしょう」

「おい、まさか、ザンパール平原に」

「左様で」

「グールは五万か。いや、いくら数をそろえたとこで!」


 思わず大声をあげたが、巡政長は静かにうなずいた。


「激しい戦いになったようですが、わが国がほこるような兵ではありません」

「負けたか。なにをあせってウブラは」

「バラールのアッシリア軍に、動きがあったからでしょう」


 おれは思わず濡れた頭をかきむしった。


「メドン騎士団によるレヴェノア遠征か!」


 五英傑メドン。その名はウブラ国でも知られている。戦ってみれば、メドンの騎士団は特殊だった。アッシリア軍の代表ではない。だかそれは戦ったからわかる話。


「ザンパール平原は、多くのグールの血。そしてその何倍にもなる猿人の血により、近づくには困難なほどの腐臭がただよっているとのこと」


 ウブラは力のすべてをぶつけ負けた。それを見て、指をくわえているアッシリアではない。


「アッシリア軍は、主都ウブラを占領したか」

「いえ。主都ウブラは焼け落ちました」

「馬鹿な。バラールより大きなみやこだぞ!」


 声をあげたが、瞬時に悟った。占領するなら、それなりの兵力を常駐させないといけない。壊すほうが楽だ。


 思わず、窓まで歩いた。窓わくに手をつき外を見る。


 外は雨だ。大粒の雨が、窓にもぶつかり音をたてていた。


 暗い部屋。そこに窓を打ちつける雨音だけが、ひびいていた。




 第十四章 ラティオ 存亡の水 終



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