第307話 夜ふけの馬
ひたすらに暗闇を見つめた。
敵の野営地は、混乱をきわめている。
怒鳴る声、さけぶ声、人と人がぶつかる音。そして剣と剣がぶつかる金属の音。
同士討ちが始まっている。離れた草むらにいるが、おれの場所からでも血の匂いを感じとれた。
ころあいだろう。そう思い、さきほどいた森のなかにもどる。
待っていると、諜知隊に先導されて味方の兵士たちが帰ってきた。
「いやあ、飛びだした場所に帰るのが、もっとも困難ですね」
兵士のひとりが口をひらいた。そう、そのためにも、あまり長く戦闘をしない。戦っていると、つい方向がわからなくなる。
全員が帰るまで待った。
待ったかいがあり、百名のすべてが帰った。負傷者は五名。腕を斬られたり、火を消すさいに火傷をした者がいた。それでも、全員が帰ったのは幸運だ。
「ご苦労だったな。帰りは諜知隊が案内してくれる。堂々と帰ってくれ。ここからは敵の斥候に見られても、かまやしない」
背の低い人影が一歩まえにでた。コルガだろう。
「まだ体力はあまってます。敵の斥候をやっておきますか?」
「いや、敵の斥候へ攻撃は禁ずる」
コルガがだまった。おそらく禁じた理由を考えている。
このコルガはよく考えこむ。その気質が、おれは気に入っていた。武の強さと聡明さがなければ、軍の指揮はできない。あのドーリクも粗暴に見えて、こまやかな男だった。
だが、コルガは答えがでないようだ。おれがつづけて説明する。
「こちらが斥候に手をだせば、敵も相手の斥候、つまり諜知隊を捕らえようとする。その流れをさけたい」
コルガはうなずいた。
「なるほど。ただの
つけ足すことがないほど、そのとおりだった。
「コルガ、いい働きだった。礼を言う」
「こちらこそ。智愛の雄。なぜそう呼ばれるか、よくわかりました」
「たまたまだ。岩鉄の雄」
「
「いま思いついた。いやならいいが」
「いえ。つりをだしたいほどの報酬で」
「気をつけて帰れよ」
「へい。では帰ります。軍師もお気をつけて」
コルガたちが諜知隊につれられ帰っていく。
「よし、セオルス。次の場所へ」
もと軍人の諜知士は、無言で歩きだす。そのあとについていった。
果てなくつづくかのような暗く深い森。そのなかを黙々と歩いた。
セオルスの背中を追いかけていたが、ふいに小さな道にでた。
道のはばもせまく、馬車がようやく一台通れそうな小さな道だ。
小さな道は明るかった。空を見あげると、雲の切れ間から満月が顔をだしている。
今日は満月だったか。
その満月に照らされた小さな道に、馬が三頭、固まっていた。
野生の馬が肩をよせあうことなどない。手綱がついていて、そのひもを持っているのは犬人の男だ。
犬人の男は、手綱を持つ手の反対に地図を持っていた。その地図を熱心に見ている。月の光は明るいが、地図の小さなところまで見るのは大変だろう。
近づいていくと、男は気配に気づいて顔をあげた。フリオスだ。ジバとともに戦った人夫であり、いまは
フリオスは、手にしていた地図を持ちあげた。
「いまさら思うが、よくもまあ、こんな複雑な策をするもんだ」
犬人の人夫が言う感想はもっともだが、それはおたがいさま、そうも思う。
「その複雑な策にくわえて、状況はつねに変わる。それに対応する輜重隊も、たいがいだぜ」
おれは笑いながら三頭の馬を持つフリオスに歩みよった。
話をしてみるとわかったのが、このフリオス、かなり頭が切れる。商人の旅団にいたそうだが、立ちよったレヴェノアが気に入って、そのまま旅団をやめたという変わり者だった。
「今回の輜重隊。細かい部分はミゴッシュとフリオスが計算してると聞いたぜ。人夫も悪くないが、とっとと文官になれよ」
おれの言葉に、フリオスは頭をかいた。
「おれは旅の商人だったんだ。宮仕えはどうもねえ」
「もと商人ならヨラム巡政長がいるぜ」
「三大老ヨラムかぁ。街でも、いいうわさしか聞かねえな」
そうだろう。数字に強く、信用を重んじて商売をする人だった。
「ヨラムじいは、バラールに潜伏中だ。帰ったら会わせる」
フリオスの持つ手綱からひとつを取った。フリオスは文官になれと言われて考えこんでいるようだ。こういうのは押しつけてしまえばいい。ボレアの港で総督をしている熊人のケルバハンも、しぶったわりには大役を見事に果たしていた。
「セオルスも、ご苦労だったな。もういいぜ」
ここまで案内してくれた諜知隊のセオルスに、手にした手綱をわたす。
「軍師は、これから?」
「まだすこし、仕事がある」
セオルスに手綱をわたしたので、もうひとつ自分のためにフリオスから手綱をもらった。
馬をすこし歩かせてから、
出発のために手綱をたたこうとした。諜知隊のセオルスが、まだおれを見つめている。
「どうした、嫌味な諜知隊の剣士よ」
「おひとりで、いかれるのですか」
「ああ。おれが考えたことだ。道すじは頭に入っている」
「軍師は剣を持たれていない。もし、敵がいたら?」
「いない。いたら諜知隊が知らせにくるはずだ」
「それほど、われらを信用しますか」
「悪いがセオルス、信用しているのは、おまえじゃなくヒューデール軍参謀だ」
いま諜知隊をひきいるヒューは、敵も味方も、すべての位置を把握しているはずだ。やつが心配に思わないことを、おれが心配する必要はなかった。
「なぜ弟は、死んだのか。それが知りたくて諜知隊に移動しました」
アッシリアに斬られた傷で死んだ。死因はそうだが、この兄が言いたいのは、そこではないのだろう。
「おまえの弟、リオルスのことは知っている。足が悪く軍に入れなかった」
「はい、おれがさきに軍に入ったので、本人も入りたかったようです」
「そうかもしれないし、そうではないかもしれない」
「ほかに理由があると、軍師は申されますか」
おれは馬上からセオルスを見つめた。
「斬られたのち、手当てを受けて動かなければ死ななかった。おまえの弟は歩いたから死んだ。だがそれで王都レヴェノアはグールの襲来を知り、助かった」
セオルスが考えに沈んだ顔をした。
「おれが軍にいたから、弟は入ろうとした。結果それが、弟を死なせた気がするのです」
そんなことだろうと思った。
「残ったやつは、死んだやつに対し責任を感じる。気持ちはわかるぜ」
「軍師のような上の者でも、わかりますか」
「上の者こそだ。うちらの王様を見てみろ。あれがもっとも気苦労している」
言いながら、自分にむけて言っている気分になった。おれが抱える気苦労より、王のアトが抱えるもののほうが大きいはずだ。
「では、おれはいそぐ。各自たのんだぜ。明日も、いそがしくなる」
おれは馬のはらを蹴った。
満月に照らされた夜の道。次にいくのは、もうひとつの歩兵隊。第二歩兵師団。ナルバッソスのいる野営地にむけ、おれは馬をいそがせた。
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