第304話 山のふもと

 一刻ほど馬で駆け、山のふもとに着いた。


 野営地として変更したパルテオン山のふもとだ。西の空は、すでに赤い。今日はここでの野営となる。


「ネトベルフ、ボルアロフ!」

「はっ!」


 馬を木につなぎ、ふたりの騎馬隊長を呼んだ。


「場所を変更したので、野営の物資がない。輜重隊による食料は、明日の朝となる。山の果実などは採取していい」


 野営地を山すそにした理由がこれだった。平地より山すそのほうが、食べられる野草や果実などを調達しやすい。


 野営の準備をする各隊を見まわった。ふたつの騎馬隊に怪我人などもおらず、王のいる近衛隊も、とくに問題はない。


 あちらこちらで、たき火の煙があがる。そうこうしていると、日は暮れて暗闇が広がった。


 暗闇のなかで、たき火にあたる。おれが手をかざしているのは、王自身の手によるたき火だった。


 王のほかには、ゴオ近衛隊長だ。おなじように、たき火に手をかざしている。


 ぱちりと火がはぜて、たき火を見つめた。王の城に王の酒場。レヴェノアの街は、なにかと単純に言われる傾向がある。ならばこれは、王のたき火か。


「やあやあ、これがうわさの、寿命が十日のびると言われる炎ですか」


 冗談を口にしながらあらわれたのは、ネトベルフだった。


「・・・・・・霊験れいげんあらたかなり」


 ボルアロフもその冗談に乗るようだ。いがいに、おもしろい男なのか。


 座ったふたりの騎馬隊長へ、アトが布袋を投げた。


「おふたりとも、酸味が平気ならどうぞ」

「おだやかでは、ありませんな。王からたまわるとは」


 ネトベルフが袋をひろい、なかに手を入れ取りだす。


木苺きいちごですか!」


 勇ましい騎兵の手にあるのは、かわいらしい小さな赤い果実だ。


 となりに座る騎馬隊長、ボルアロフも無造作に袋へ手をのばした。ひとつかみして袋からだすと、それを口に放りこむ。


 寡黙なボルアロフは声にださなかったが、岩のような顔の目をつぶった。


「どれどれ」


 ネトベルフも口に入れる。こちらは目を見ひらいた。


「酸っぱいですな!」


 おれはさきほどもらい、すでに食べていた。ふたりの顔に笑える。アトも笑い、ゴオ近衛隊長も小さく笑った。


「ぼくの村では、クサイチゴと呼ばれていた春のイチゴだ。ここの山にも多くみのっていたよ」


 王の言葉に、ネトベルフは咀嚼そしゃくしながらうなずいた。その目に力がこもっているのは強い酸味をこらえているのだろう。


 アトがなにか懐かしむような顔で、すこし遠い眼をした。


「子供のころは、これをみんなで取りあってたな」

「村の子供らが、ですか。しかし酸っぱいですな。もっと甘みがあれば」


 ネトベルフの言葉に反論しようとしたが、さきにゴオが口をひらいた。


みやこではないのだ。山の暮らしに甘味かんみなものなど、あるわけなかろう」


 そのとおりで、甘味といえば蜂蜜があるぐらいだった。だが蜂蜜も大量にとれるものではなく、ヒックイトの里でも村人で分けあって各家に小さな瓶がひとつかふたつ。貴重なものだった。


 ネトベルフは、もとアッシリアの騎馬隊だ。都暮らしの犬人は気分を害するかと思ったが、そうでもない。納得した顔で頭をさげた。


「なるほど、ゴオ殿のおっしゃるとおり。おのれの無知さを露呈しましたな」

「あやまる必要はない。それも昔の話だ。いまはアグン山にも黒砂糖が入る」


 もとヒックイト族の族長はそう言うと、ごろりと寝ころんだ。


「・・・・・・美味びみなり」


 ボルアロフはそう言うと、またとなりから袋へ手を入れた。王が摘んだ果実を、意地でも食べるようだ。


 寝ころんでいたゴオが、すっと起きた。なにかあったのかと思うと、暗闇から人があらわれた。


 あらわれたのは旅装をした男。諜知隊の者だ。ゴオは、いち早く気配を察知したのか。


「すべて、把握はあくできたか?」


 おれが聞くと、諜知隊の男は無言でうなずいた。


「よしっ」


 ひとつ気合いを入れ、おれは三人の隊長を見まわした。


「悪いが、おれは用がある。王様をたのむぜ。朝まで帰ってこなくとも、気にしないでいい。進むべき道は、諜知隊によって伝える」


 ゴオ、ネトベルフ、ボルアロフ、三人の隊長はうなずいた。


 王であるアトが、おれを見つめてきた。


「余計な心配だけど、ぼくがねらわれるように、軍師もねらわれるかもしれない。気をつけて」


 すぐに答えず、アトをながめた。王になるまえの性格から、なんら変わるところがない。王からほんきで心配される軍師など、歴史上にもあまり存在しないのではないか。


 いい気になっているだけでは答えにならないので、王の心配をやわらげておく。


「アト、今回は多くの諜知隊が入っているよな」

「それは知ってる」

「おれは、かなり厳しい注文をヒューにだした。敵を追跡するだけでなく、敵の斥候せっこうも、すべて把握しろと」


 アトがおどろきの顔をした。この王様は、きちんと軍学を学んでいる。この注文の困難さがわかったようだ。


 敵の居所や、動きをさぐるのが斥候の役目だ。つまり身を隠している。それをさらに隠れて追跡しろと言っているのだ。


 アトは信じられない、といった顔だ。


「そんなことが、できるんだ」

「できる。そうおれは予想した。ヒューのやつ、いつも気配を消すだろ。あの動きは、部下である諜知隊にも教えているはずだと考えた」


 ふり返り、諜知隊の男を見た。犬人で、おれやグラヌスとおなじぐらいの歳に見える。イーリクほどの若さは見えない。


「名は?」

「諜知隊に名を聞かれますか」

「なるほど。気配を消す動き、できるよな?」

「それは、答えろとの軍師命令ですか?」


 なるほど、こいつ切れ者だ。そして性格は悪いと見た。


 それによく見れば、諜知士ではめずらしく腰に剣をさしている。


「剣もつかえるのか」

「智愛の雄とは、無駄話がお好きなので?」


 みなが苦笑を漏らした。


「なかなかに言うやつだ」


 そう感想を漏らしたのはネトベルフだ。


「よし、上等だ諜知隊の剣士。いくか」


 名を知らないので適当に声をかけ、おれは腰をあげた。


「ではアト、いってくる」

「気をつけて」

「気をつけるのは、おまえのほうだ」

「ぼくは心配ないよ。みんながいる」


 王はそう笑顔で言った。ここまできても、なにをするかとは聞かれない。必要以上に聞かないことを、この王は徹底していた。


「私は食事を済ませてからきましょうか?」


 諜知隊の男が言った。


「嫌味なやつだな。諜知隊の剣士とは呼ばず、嫌味な剣士と呼んでやる」


 悪態をついてみたが、諜知隊の犬人は肩をすくめ、歩きだした。


 こいつはきっと、諜知隊で上のほうのやつにちがいない。なぜなら、どこかヒューに似ている。そんなことを思いながら、おれも諜知士のあとにつづき、暗い森へと入っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る