第303話 湖のほとり
馬で駆ける。
さきほどまでは、北へ走っていた。
いまは、ひたすら西へのびる街道をすすんでいる。
むかう方向は、敵国の王都アッシリア。
王がいるこの組が本隊といえるが、同行するのは騎馬隊の三千、そして近衛隊の百人だ。
ここのほかに、イーリクが歩兵一番から七番を、ナルバッソスが第二歩兵師団をひきいている。三組ともが、ちがう道をすすんでいた。
ときおり諜知隊から、状況の知らせは受けている。敵も三つに分かれていると聞いた。かちあわないようにヒューが進むべき道を考え、それも諜知隊が知らせにくる。
いくつかの森をぬけると、大きな
周囲を森でかこまれた湖は、その静かな水面も緑色に反射していた。
ここが今日の野営地だ。先頭を駆けていたおれは、馬を止めた。
「軍師、ここで休憩ですか」
近よってくる馬があった。乗っているのは犬人の第二騎馬隊長、ネトベルフだ。
「いや、ここで野営だ。もうじき
「王都レヴェノアから、運んでいたのですか!」
おどろくネトベルフに笑えた。騎馬隊を追いかけ、追いつくのであれば、輜重隊は騎馬隊より早いということになる。
「この戦いが始まるまえから、各地に食料や物資を置いていたのさ。森のなかや洞窟にかくしている。それを状況にあわせ、各地にいる輜重隊が動かす
西の空を見た。太陽はかたむき始めている。もう一刻もすれば日の入りだ。
馬をおり、街道のわきに生えている太い木につないだ。それから水辺にむかって歩く。
水辺の近くは土ではなく、枯れ葉が積もった地面だった。
ぬかるみに入らないように気をつけながら、水辺までいく。水を片手ですくい顔をぬぐった。
「軍師、できれば、ほかにできないかと」
ふり返ると、ネトベルフも馬をおりていた。そしてなにやら深刻な顔だ。
「
「いえ。ここはアセビという草木が群生しています」
「アセビ?」
聞いたことのない植物だった。
ネトベルフにつれられ、草むらのひとつに近づいた。
「これです」
第二騎馬隊長は、草むらのなかに手を入れた。おいしげったなかに低めの木がある。
木の
「
思わず舌打ちした。そんな植物があるのか。
「申しわけありません。入念な予定もあるかと思いますが」
第二騎馬隊長があやまることではなかった。
「舌打ちしたのは、おのれの無知さをなげいてのことだ。さすが熟練の騎兵だ、ネトベルフ」
ほんきで感心した。おれの生まれた山にはなかった植物だ。
ちょうどそこへ、森のなかから旅装をした猿人があらわれた。顔におぼえがある。諜知隊の者だ。
諜知隊の男は、おれを見つけて近づいてくる。そのあいだに、頭に浮かぶ地図で考えなおした。
「ラティオ軍師、輜重隊の食料は、あと一刻ほどで到着します」
「いや、予定変更だ。次の分かれ道を右にする。そのあとパルテオン山のふもとで野営だ」
旅装をした猿人の男は、おどろく顔はしなかった。うなずき、しっかりとした足取りで森のなかに消えていく。
「これが勝敗の分かれ目にならなければ、よいのですが」
血の気が引いた顔をしてネトベルフが言う。おれは笑って答えた。
「心配しなくていい。何十もあるアッシリアへの道だ。もともと敵の動きにあわせ、臨機応変にする予定だった」
ほっと安心する顔をしたネトベルフだった。
この騎馬隊長も顔を洗いたいのか、水辺にむかって歩きだす。だが、なにか思いついたのか足を止めてふり返った。
「軍師、地図はいつ見てるので?」
「アッシリアへの道だ。いつか征服してやろうと思ってたからな。ひまなときに、ながめておぼえた。欲が深いだろう」
軽口をたたいてみたが、ネトベルフは笑わず聞いてきた。
「アッシリアまでの道は、いくつあるのですか」
頭で数えてみようと思ったが、数が多すぎてあきらめた。
「すべてなら、二百から四百か。だが、村や町を通る道はつかえねえ。おれらが使用できるのは四十二、そのあたりか」
地図を思いだしながら答えた。すべての道がしるされた一枚の地図はない。それぞれの地域をあわせた数になるので、すこし適当な数だった。
「軍師、いや、ラティオ殿」
「うん?」
「ラティオ殿が敵でなく、心よりよかったと運命の神に感謝いたします」
大げさなネトベルフの言葉に笑えた。
「こっちに
「いいえ。まさに今日駆ける街道とおなじ。分かれ道がちがえば、ラティオ殿はウブラ国で活躍されていたでしょう」
分かれ道か。思わず街道のさきを見つめた。湖にそって半周ほどつづく街道は、森のなかに消えている。
味方の騎兵たちが馬を止め、水辺にでていた。
このひとりひとりが、いくつもの分かれ道を選択し、結果としてここにいる。
そして、まったくおなじことが、目のまえの人物に言えると気づき、笑えてきた。
「ネトベルフが騎士団に呼ばれなくて、よかったぜ」
「まあ、あのボルアロフが、まず上官に嫌われますので。おや、そうなると、いまの運命は、あやつに感謝せねばならんのか」
言っているそばで、ボルアロフが通った。
「おい、ボルアロフ。帰ったらネトベルフが
あまり冗談が通じそうにないボルアロフに、軽口をたたいてみた。だが寡黙な隊長は、うたがいの目で同郷人を見つめた。
「・・・・・・うそだな。こいつは
「だれがだ。このまえも飲み代を立て替えただろうが!」
「・・・・・・おぼえておらぬ」
「この岩野郎!」
ふたりのやり取りに笑えたが、ふたりの背中をたたき悪ふざけを止めた。
「すこし休憩して、すぐにでる。日暮れまでに次の野営地へ着きたい」
「はっ!」
ネトベルフとボルアロフは、騎兵たちのもとに駆けていった。
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