第302話 三つの快走
北にむかう街道をすすむ。
約一五二〇〇の兵による大移動だ。
敵に、いきおいを見せるため、さきほどは軍を全力疾走させた。だがいまは歩いている。
はじめに出発した騎馬隊も、歩兵のうしろに移動させた。
ばさり、と羽音がして、おれが乗る馬のうしろに鳥人が着地する。諜知隊の隊長による報告だ。
「ヒュー、メドンの軍は?」
「予定どおり。まず騎士団を先行させている。そのうしろに遅れて歩兵」
あるていど敵の動きが確定するまで、いそがないようにしていた。これは念のためだ。敵はアッシリアへ帰るそぶりをして、レヴェノアの街を襲う可能性がないこともない。
敵がその策をとるなら、城壁から王都守備隊、うしろから歩兵と、挟撃のかたちで対抗するつもりだった。だが、もうその心配は捨てていいようだ。
行軍する列のなかほどにいた。北にのびる街道のさきが、三つに分かれている。
「では、私からさきへ」
右にいたイーリクはそう言うと、馬のはらを蹴った。長い列のわきを駆けていく。
「歩兵一番から七番隊、私のあとにつづけ!」
イーリクが大声で伝えながら、先頭にでる。そのまま歩兵とともに駆けだし、三つに分かれた道の左にすすんだ。
「では、軍師」
次にナルバッソスが馬のはらを蹴った。おなじように列のわきを駆けて先頭にむかう。
「第二歩兵師団、ついてこい!」
約五千の第二歩兵師団が駆けていく。まんなかの街道に入った。
うしろをふり返る。残るは騎馬隊だ。騎馬隊のなかほどには、深紅の旗があった。あの周辺が近衛隊で、アトやグラヌスたちがいる。
「では、いくぞ」
すぐうしろにいたネトベルフに声をかけ、馬のはらを蹴った。
分かれた街道の右へと入る。
うしろについてくる騎馬隊と近衛隊は、すべて馬に乗っている兵士たちだ。しばらくのあいだ全力に近い速度で駆けた。
さらに街道をすすむと分かれ道になり、北西への道をえらんだ。
「三つに分けたままいくのですか!」
ネトベルフが馬を併走させてきた。
「そうだ。イーリクとナルバッソスとは、事前に決めてある」
「なんと。これは規定の行動ですか」
「今回は、大がかりな策になる。騎馬隊をたのむぞ」
「さきほど軍師の悪ふざけを後方で笑っておりました。ですが、笑っている場合ではないですな!」
ネトベルフが馬から腰を浮かし、ほんきで駆ける体勢になった。おれも馬の手綱をたたく。
そこから一刻ほど馬を駆けさせた。
「軍師、そろそろ馬に休憩を取らせませんと!」
声をかけてきたネトベルフにうなずく。街道をすすみ、いまは森のなかだった。
前方の道のわき、人の集団がいるのが見えてきた。
「よし、休憩するぞ!」
うしろにむけて声をかける。
道のわきには、黄土色をした綿の服を着た者が数名いた。人夫たちが好んで着るじょうぶな服だ。荷車があり、いくつもの大きな
「馬に水を飲ませろ!」
水桶のまえには、細い丸太をよこにした柵もある。
馬からおりて、そこに手綱をつなげた。移動式の
「さすが、予定どおりです」
そう言って近づいてくる黄土色した綿服の男がいた。
「ミゴッシュこそ、予定どおりだぜ」
木杯をひとつもらい、水をそそいでもらう。
「なるほど、ここまで事前に用意されているのですか」
声をかけてきたのは、ネトベルフだ。
第二騎馬隊長も馬を止め、ミゴッシュから木杯にそそいだ水をもらう。
「しかし道すじが、メドンのほうが早いのでは?」
ネトベルフが木杯の水を飲みながら聞いてくる。
おれはミゴッシュと見あった。この若い犬人は、さすが役人をしているだけある。口をひらかなかった。秘密の行動は、許可がなければ話せない。
おれからネトベルフに説明することにした。
「そろそろ、コリンディアからきた道ではなく、アッシリアへとむかう街道に入っているはず。だが、その選択した道を引き返しているだろうぜ」
聞いたネトベルフは小首をひねった。
「ネトベルフ様。最短の道は通れないのです」
おれが口をひらいたので、ミゴッシュも話していいと思ったのだろう。手にした水さしを上に持ちあげ、言葉をつづけた。
「ちょうど、これぐらいの深さでしょうか。アッシリアまで最短の道には、それほど大きくありませんが、落とし穴をいくつも作ってあるのです」
それを聞いたネトベルフが
「おれのときと、おなじか」
そう、敵が騎士団だけで駆けるのは、目に見えていた。ただし、馬に乗る集団を駆けさせるには欠点がある。地面がならされた道、街道しか駆けさせることができない点だ。
まだアッシリアの騎馬兵だったネトベルフは、それでおれたちに待ちぶせされた。あのときは馬を縄で引っかけたが、今度は落とし穴だ。
「落とし穴のある道が、途中から出現する。それも仕込んである範囲は長い」
「
「しんちょうに馬を歩かせば通ることもできる。だが、ちがう道へ引き返したほうが早いだろうぜ」
納得した顔でネトベルフはうなずいた。
「アッシリア全土に作られているので?」
「まさか。そこまでできる膨大な人の手は持っていない。あそこの荒野から、敵が今日一日で駆けるアッシリアへ最短の道。これぐらいなら読みやすいし、罠も作れる」
ばさり、と音がしてヒューが地上におりてきた。
諜知隊の隊長も、のどが渇いたらしい。ミゴッシュから木杯をもらいながら口をひらいた。
「次の分かれ道、左ではなく右だ。敵は歩兵を分けた」
「わかった。右だな」
こっちに歩兵をぶつけ、そのあいだに騎士団がいそぐ。それも想定していたことだった。
水を一杯だけ飲むと、またヒューは飛び立っていった。
「おれらもいくか」
ネトベルフに声をかけ、馬をとりにいく。
「軍師、諜知隊も投入してるので?」
「ああ。敵の居場所をさぐる
斥候なども使用したことがあるはずの熟練の騎兵は、口をあけておどろいた顔をしていた。
「輜重隊だけでなく、多くの諜知隊。軍師、ふざけているどころか、これは、わが軍の総力戦ではないですか!」
おれは笑顔で答えることにした。
「ふざけるときも、おれは全力でふざけるぜ」
「これなら、敵より早くアッシリアへ着きそうです」
「いや、ネトベルフ。これは釣るための
「メドンの首」
やはり熟練の軍人。ネトベルフは冷静な顔で、正解を口にした。そしてその顔には、メドンとおなじ騎兵という身で負けた男の、みなぎる闘志も見えたような気がした。
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