第300話 貸し切りの酒場

「おいおい。心深しんしんゆうって名は、良識のもとにある。そう思ってたぜ」


 おれは腕をくんだまま、ナルバッソスをにらんだ。そして声をかけなければならない男がひとりいる。


「イーリク、おれは使い捨てなど、思ってねえぞ」


 今日に亡くなったドーリクの幼なじみ。イーリクは壁の剣にそっとふれていた。


「おい、イーリク」

「あいつも本望ほんもうでしょう」


 それはすこしちがう。イーリクはくわしい話を知らないのか。


「王を守るためとは言えるが、厳密にはちがうぜ。おれの失敗が原因であるし、王というより、最後に守られたのは、おれだ」


 おどろく顔でイーリクがおれを見る。やはり細部まで知らなかったか。


「話が見えません。それが本望ではないのですか」


 頭がよいはずの若き犬人は小首をかしげた。おれも話が見えない。


「だから王ではない。守られたのはおれだ」

「そう優先すべきは、上の四人」


 ふたりで目をあわせた。おたがいのずれた部分を理解したからだ。


 言い返すまえにイーリクは、ほほ傷の総隊副長へと顔をむけた。


「ナルバッソス殿、やはり人というのは、おのれのことが一番にわからぬようです」


 ナルバッソスは苦笑して口をひらいた。


「初めてその言葉を聞いたのは、ジバの家族が誘拐されていたときか。なるほど。あのとき意味はわからなかったが、いまはよくわかるぞ」


 ナルバッソスの言葉はわからないが、イーリクの言う上の四人とは、考えなくともわかる。アト、グラヌス、おれ、ヒューの四人だ。


「アトとグラヌスはわかる。おれとヒューは、付けあわせの野菜だぜ」

「軍師、どういう意図の例えです?」

「おう、ラティオ様が野菜ってえなら、無花果いちじくだな」


 だれが話に入ってきたかと思えば、酒場の店主だった。名はたしかヘンリムだったか。


 イーリクがヘンリムに顔をむけた。


「ご店主、ラティオ軍師がいちじくとは、これいかに」

「おう。いちじくってのは、じつは果実じゃねえんでさ。あれは花なんです」

「なんと、果実のなかにある無数のつぶ、あれは花ですか」

「そうでさ。頭のなかに万策ばんさくがつまってる軍師様みてえでしょう」 


 おれの言いたいこととはちがうが、店主があらわれたのが気になった。


「なにか用だったか、ご店主」

「おおう、そうでした。その突っ立ってるみなさまは、飲み食いしないのならお引き取りいただけないかと」


 そうだった。店内は騎兵でいっぱいだ。


「ボルアロフ、話はわかった。あとは飲まないのなら、帰ってくれ。店のじゃまになる」


 第一騎馬隊長が、くるりとまわる。部下の騎兵たちにむけ、うなずいて合図した。


 騎兵たちは四人席の椅子いすを引き、がたがたと音を立てて座った。


「座るのかよ」


 思わずつぶやいたが、ボルアロフも席についた。


 おれのそばに、なぜか店主がまだいる。


「まだ、なにか?」

「へえ。注文されたこれを」


 店主が手にしていたのは木杯だ。思いだした。さきほど葡萄酒アグルをたのんだところだった。


 そしてさらに思いだした。巨漢の戦士は、麦酒ビラより葡萄酒アグルが好きだったことを。


「イーリク、教えてくれ。ドーリクの剣はどっちだ?」


 おなじ剣に見えるが、かつての持ち主ならわかるだろうと聞いてみた。


「左です」


 左か。壁にならんだ、ふたつの剣。その下にある卓の左側に、おれは葡萄酒アグルを置いた。


 ほかの卓は、すべてうまっていた。席のない騎兵たちは入口わきにある長机や、壁ぎわに立っている。


「無料の一杯だけで帰るなよ」


 この国では兵士が飲む最初の一杯は無料だ。だが、それだけで帰れば店の赤字になる。いちおう釘をさし、店の奥にむかった。


 中二階の下にある大きな食卓机。ここだけだれも座っていない。建国の食卓だ。


 席のひとつを引いた。どっかり座り背をもたれる。大きくひとつ、息を吐いた。


「退却は、正しかったと思います」


 ナルバッソスが言いながら近づいてきた。その背後では、イーリクもうなずいている。だが、おれとしては、なぐさめにならない。


「負けは負けだ」

「軍略として、こちらのほうが不利。そのなかで軍師として最良の策は練ったかと」


 思わず、もういちどため息がでた。心深の雄。その呼び名どおり深いところを見透みすかされている気分になった。


「ナルバッソス殿、こちらが不利とは?」


 イーリクが背後から聞いた。ナルバッソスがふり返る。


「五英傑メドン、やつは戦いたいだけ。それくらべ、こちらは縛りが多いのです。王の身を守ること、敵を追いだすこと。そして、なるべく兵を死なせないこと」


 ナルバッソスの指摘は、おれも思っていた。これでみずからを凡庸ぼんようだとぬかすのだから、あきれるにもほどがある。


 その総隊副長はイーリクと話していたが、もういちどまわれ右をし、おれを見おろした。


「私からも、提案があってまいりました」


 ナルバッソスからの提言とは、めずらしい。だが、いやそうな顔をしているのは、なぜだろうか。


「聞かせてくれ」

「はっ。歩兵ですが、やはり選別して千ずつを各隊長にまかせるがよいかと」

「そうなると、かなり新兵があまるな」

「はい。そこですが、第二歩兵師団として、まとめてはどうかと」


 その案か。戦いのまえに考えたことはある。だが問題がいくつもあった。


「何千もの大軍を指揮することになる。指揮官がいねえぜ」

「ゼノン師団長は?」

「コリンディア組はそう思うだろうが、ほかの兵士から見れば新参だ」


 いまゼノンは王都守備隊にいる。いち兵士としてだ。アトが怒っている問題もあるが、五英傑のように名が通っているわけでもない。


 ゼノンを隊長にすると、もとコリンディアにいたグラヌスたちは納得するだろう。だが、多くの兵士から見れば、納得のゆく人事にはならない。そして納得のいかない指揮官のもとでは、兵士の士気は弱くなる。


「では、私が」


 ナルバッソスは、顔をしかめて言った。なるほど、さきほどいやな顔に見えたのは、自身も気乗りする案ではないからか。


「敵から見れば、練度の差を見ぬかれる。ねらわれるぞ」

「はい。そこは開きなおり、もはや積極的には戦わず、いわば怪我けがしないようにだけ動こうかと」


 思わず、あごに手をやった。そうくるなら、やりようがある。おとりや見せかけだけに動かすという手だ。


「不名誉な戦いかただぜ。ナルバッソスはできるだろうが、兵士たちがまとまるか」

「そこですが、第二歩兵師団を引き受けるかわりに、王都守備隊の生き残り六十八名、あれをいただけないかと」


 おれはうなった。よく見ている。六十八名は、いまも王都守備隊にいる。だが、ほかの兵と気配がちがった。


 死闘を生き残り、隊長のジバは死んだ。それが強いきずなになっていると予想できた。


 あれからふた月がたつ。だがいまでも、喪章もしょうのかわりに六十八名は左腕になにかしらの布を巻いていた。気づかない者も多いが、ナルバッソスは見ていたか。


 あの六十八名が入れば、新兵が多くとも引きしまるだろう。そしてその六十八名を小隊長にすれば連携のよさも期待できる。


 ナルバッソスの案は、正しい案に思えた。あのメドン騎士団は特殊だ。通常の兵法どおりにいかない。今回がいい例だ。多少の数で上まわっても、結果やられた。


 いや、そのまえに、自然に次の戦いを考えている自分に笑えた。


 ずっと軍師の責任を考えていたところだ。おれが軍師をつづけていいものか。


 建国の食卓。ドーリクが座っていた席を見つめた。なにも答えはでない。答えはでないが、軍師の策に不満はないと、山頂で言ったドーリクを思いだした。


「やるしかねえか」


 思わず口にだしたが、だれになんの話への答えなのかと自分で気づいた。


 それと同時に、許可できぬ案件も見つけた。


「ナルバッソスの案でいいが、王都守備隊副長のオンサバロ。あれだけは駄目だ」

「これは軍師、よく見てらっしゃる。もっとも、ねらいたかった大物を」

「あれは未来の王都守備隊長だろうよ」


 うしろで聞いているイーリクが、おれを見つめていた。この秀才が思いついたこと、おれは予想ができた。


「いいぜ、イーリク。賛成だ」

「やはり、思いつきましたか」


 ナルバッソスだけが小首をひねっている。それにイーリクが答えた。


「ナルバッソス殿、よければ私が副官をいたします。それに精霊隊も。複雑な動きにはついていけませんが、その第二歩兵師団であれば対応できるかと」


 そう。そして精霊使いケールヌスが入れば、守備力は大きくあがる。


「なるほど。おふたりは以心伝心いしんでんしんですな。さすが、苦楽をともに過ごしてきただけある」


 ナルバッソスの言葉に、おれもイーリクもすこし笑った。


「さて、軍師よ」


 あらたまってナルバッソスは、両手をひろげた。


「いくぶんか、自由は増したはず。たがをはずし、あのメドンと競いあってみればいかがです?」


 無責任ないいように笑えた。


「そこからは、おれなのか。心深の雄よ」

「それこそ智愛の雄の出番。凡庸ぼんようなる身で思いつくわけもありません」


 都合のいいところで、凡庸と言う。


 気づけば、店のなかにいる百の騎兵たちも、酒杯を片手にこちらを見ていた。おまえらは見物客か。そう言いたいのをこらえた。


「期待されてもな」


 腕をくみ、虚空をながめた。


 壁にテサロア地方の地図がはってある。あれは建国の誓いをしたときも、あったものだろうか。かなりまえだ。ちがうものではないだろうか。


 なるほど。思わず、あごに手をやった。


「ほう、やはり才というのは恐ろしい。もう思いついたごようす」


 ナルバッソスの言いざまにあきれた。だが、まちがってもいない。


 酒杯を持って歩く店主が目に入った。だれかのおかわりか。


「店主、このさい貸し切りにできるか?」

「へい。なら、おもての明かりを消して扉をしめますんで」


 このやり取りに、立ちあがった席があった。輜重隊のミゴッシュたちだ。ほかの客は帰っていたが、四人は残っていたか。


「ミゴッシュ、フリオス、レゴザ、デルミオ。待ってくれ。このまま、作戦会議にする」


 四人が困惑した顔で近づいてきた。若き犬人の役人、ミゴッシュが口をひらく。


「われわれも、聞く必要があると?」

「ああ、そのまえに、こっちが聞くことがある。秘密裏ひみつりに動き、それを漏らさない信用のできる人夫、用意できるか」


 四人が見あった。そしてうなずく。ミゴッシュが四人を代表して答えた。


「ジバ殿とともに戦った人夫たちでありましたら、裏切ることはないと誓えます」


 よし。そこの人手は確保きでるか。


 そして用があるのが、もうひとり。まさかとは思うが。


「負けっぱなし、というのもいやだよな。諜知隊としても!」


 大声で言ってみた。


「よく、気づいた」


 上にある中二階で音がした。そこから木板を踏む音もする。待っていると壁にそった小さな階段からおりてきたのは、鳥人の女。


「ほんきで、あきれるぜ。まさかとは思ったが。いつからいた」

「百人ほどが、路地裏に集結していると報告が入った。そこからつけている。店には天窓から入った」


 上を見あげれば、たしかに高い天井には小さな天窓があった。


 ヒューが夜に動いているのも無理はない。アッシリアの密偵が多くレヴェノアに潜伏しているのはわかったところだ。さっそく諜知隊を動かしていた、そんなときか。


「まえから聞きたかったんだが、諜知隊が身につけている体術は、ふたつじゃねえのか。亡きヤニスの歩行術。そして、おまえの気配を消す技術」


 ヒューは店内を見まわした。


「あまり、おおぜいのまえで話すことではないな」


 肯定はしないが、否定もしないか。よし。


「ヒュー、主都ウブラの諜知隊は、引きあげさせようぜ」

「あっちにいるのは猿人だ。アッシリアの街に潜入は無理だぞ」

「ああ。しかし、アッシリアの密偵より能力は上だろ?」


 軍参謀プロソピコと名のついた鳥人は、首をひねった。


 酒場の店主が、木の扉をしめる音がひびいた。ごていねいに内側から、かんぬきもかける。


「おそらくメドンのことだ。二十日ほどすれば、また遠征してくるだろう」


 店内の百をこえる首が縦にふられた。


「よし、おれの考えた策を言うぜ」


 どこから説明するか。伝えることは多くある。だがまだよいの口だ。夜がふけるまでは、たっぷりとある。


 おれはひとつ短く息を吐き、まず準備に必要なものから口にすることにした。

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