第299話 敗戦の酒場

 旧市街の一角。いくつもの酒場が通りをはさむ。


 春の夜というのは、陽気に誘われ飲みたくなる。さぞ人が多いだろうと思ったが、そうでもなかった。


 グラヌスたちが逃げ帰ったのが昨日。そして今日は王のアトが負傷してもどった。


 市民としては、浮かれる気分ではないのかもしれない。夕日がさす石畳の通りは、まばらな人影があるだけだった。


「あら、軍師さん。ごぶさたね」


 重い木の扉をあけて入ったとたん、女主人にそう声をかけられた。


 王の酒場、その店内を見まわす。


 おもての通りと同様に、客の姿はまばらだった。


「すくないな」

「そうねぇ。今日は王様が足首やっちゃったらしいでしょ。王様がこないとわかれば、こんなものよね」


 軍の兵士ならわかるが、酒場の女主人まで、そのことが伝わっているのか。そう思ったが、それを伝えた可能性のある人物を見つけた。


 四人がけの卓にいる若い犬人が片手をあげた。この戦いで輜重隊しちょうたいをまかせたミゴッシュだ。


 ミゴッシュは役人なので、上役である文官に見知った仲は多いだろう。そのだれかに王のようすを聞いたか。


 いっしょにいる犬人はフリオス。あとふたりの猿人はレゴザとデルミオか。三人とも、今回の戦いに輜重隊で参加した人夫にんぷたちだ。


 輜重隊の四人に手をあげ、あいさつを返しておく。ここで飲んでいるところを見ると、輜重隊も戦場からうまく逃げられたか。


 王のかわりに酒場にいけとグラヌスに言われたが、ひとりで建国の食卓に座るのも、かっこうがつかないだろう。壁ぎわにある四人卓のひとつに陣取った。


麦酒ビラをひとつ」


 注文を聞きにきた女給に、それだけ伝える。


 まったく待つこともなく麦酒ビラはきた。手に取り、ひとくち飲む。


 声をかけてくる者はいなかった。ひまをつぶすため、麦酒ビラをなめるように飲む。


 客はすくなく、ましてやおれは王でもない。ここにいる必要はあるのかと思えてきたが、ほかにすることもなく、ぼんやりとすごした。


「もう一杯、いるかい?」


 女主人に声をかけられ、気づいた。自身のにぎる陶器の杯は、底が見えている。


「ちびちび飲むなら麦酒ビラではなく、葡萄酒アグルにするか」

「あいよ。上物が入ってるよ」


 陽気に女主人は返事をした。そして厨房へと去っていく。


 座っている木の椅子いすを店内にむけた。卓にひじをつきながら、店のなかをながめてみる。


 ひさしぶりにきた王の酒場だ。店のようすが、かなり変わっている。


 高い天井に、中二階の席。構造は変わらないが、木板の色だ。黒くすすけていた壁や天井は、つやつやに黒光りしていた。


 構造は変わってないと思ったが、よく見ると変わった場所もあった。入口のわきだ。大きな酒棚があり、棚のまえには背の高い長机が置かれてある。


 長机には、犬人と猿人の男ふたりが立っていた。立ったまま酒を飲めるのか。


 店内を見まわしていたが、ふと立ちあがった。壁のひとつに近づく。


 黒光りする木の壁に、二本の剣がかけられていた。


 まったくおなじ形の剣で、片手用だった。剣さきをまっすぐ上にむけ、縦にかざってある。大きな釘と、じょうぶそうなひもで壁に固定していた。


 ふしぎだった。装飾につかうような剣ではない。安物のありきたりな剣だ。それも二本。


破約はやくけん。軍師は存じませんでしたか」


 背後から声が聞こえた。おれはふり返らず、壁の剣を見つめたまま答えた。


「王の代理は、軍師ひとりでは荷が重い。そう思ったか、ナルバッソス」


 口にだしてから、ふり返った。やはりナルバッソス歩兵五番隊長か。つづけておれは店内に指をさした。


「あいにく見てのとおりだ。兵士たちが戦いを終えてここに顔をだすのは、王のアトがいるからこそだな」


 客のまばらな店内を見まわし、肩をすくめた。ナルバッソスも店内を見まわし、大きくうなずく。


「尊厳さと愛着のよさ。ほんらい相反あいはんするものが、わが国の王では、みごとに溶けあっております」


 おれは軽口をたたいたつもりだったのに、歩兵五番隊長の真剣な言葉に笑えた。


「ナルバッソスは王様が大好きだな」

「軍師ほどでは」


 ふたりですこし笑い、あらためて壁に縦ならびするふたつの剣を見つめた。


「破約の剣、そう言ったな」

「うわさ、でしかありません。これを酒代がわりにだしたのは、イーリク殿、ドーリク殿のふたり」


 おれは、あごに手をやり考えた。この剣は安物だ。それに刃こぼれなどから見て、かなり昔に買ったのだろう。


 そして、コリンディアでは副隊長だったふたりだ。そのときに買う剣とも思えなかった。


「軍に入隊したさい、そのときに買ったものか」


 おれの言葉に、ナルバッソスは言葉で即答しなかった。腰にさした剣をぬく。


ぎ直したものですが、これもそうです。なかなか最初の剣というのは捨てるにしのびなく」


 最初の剣か。あのふたりの武具は剣ではなくなった。ドーリクは戦斧であり、イーリクは短槍だ。不要になった。それだけなら売ればいいはず。酒に替えたというのが、いわくありげだ。


「酒に替えるのをゆるした店主も、そのあと売るに売れなかったのでしょう。ここの店主も犬人ですから。幼なじみが持っていた、ふたつの剣」


 ナルバッソスが犬人と強調したので、確信した。


「剣のちかいか」

「そのとおりで。おそらくイーリク、ドーリクのふたりは、この剣で誓いあったのではないか、というのが兵士たちの予想です」


 おおいにありえる。そして破約と名づけられた。約束をやぶる剣だ。


「破約した誓い、それは、死ぬときはともに、か」


 おれの予想した言葉に、ナルバッソスもうなずいた。やはりそうか。


 軍に入るなら、十五、十六、そのあたりだろう。同郷の若者が誓うとするなら、そのあたりがもっとも考えられる。


 そしてその約束を破棄した。ともに死ぬことはない、という意味になる。


「このさき死ぬのは、友のためにではなく、王のためか」


 これにも、ナルバッソスは無言でうなずいた。


 剣を見つめる。酒場の主人が、かざるしかなかった意味もわかる。二重にも三重にも、意味のこもった剣だ。


「それは深読みがすぎる、というもの」


 いるはずのない者の声。そう思ったが、王の酒場で入口に立っていたのは、若き犬人の精霊隊長だった。


「イーリク、意識がもどったのか!」


 まだ血色のよくない美男子はうなずき、ため息をついた。


「起きたとたん、ベネ夫人から怒られました。そこからも小言があまりに長いのです。気つけに酒を飲んできますと、城を飛びだしてきました」


 怒られるのも無理はないと思ったが、イーリクはつづけて城内のようすを話した。王のアトも起きあがって食事をしたと聞き、ひとまず安心する。


「それよりも。軍師の帰りをねらう一団が、路地裏におおぜいおります」


 アッシリアの密偵たちは、王をねらったが無理だった。そこで軍師のおれに鞍替くらがえか。そう思ったがイーリクの次の言葉で味方だとわかった。


「どうせなので、ここに連れてきてよろしいですか」


 客はまばらだ。外で会う必要もないのでうなずく。イーリクは外へでると、しばらくして数人の男と帰ってきた。


「ボルアロフか」


 イーリクのすぐうしろにいたのは、もとアッシリアの騎兵で、いまはレヴェノア軍第一騎馬隊長をしている熟練の騎兵ボルアロフだった。


 そして数人どころではない。次から次へと人が入ってくる。


 なにごとかと目を見はっているあいだに、店のなかは人でうめつくされた。百人はいるか。


 あまりの物々しさに、わずかにいた客たちの逃げだす姿が見えた。


 百人はよろいこそ着ていないが、勇ましい顔からして兵士であるにちがいない。つまり騎馬兵の百人。ボルアロフの部下だ。


「なんの用だ、ボルアロフ第一騎馬隊長」


 聞いてみたが、黙堂もくどうゆうと呼ばれる壮年の犬人。岩のような四角い顔を崩さず、おれを見つめ返した。


「なんの用だと、聞いている」


 もういちど声にだした。ボルアロフはちらりとイーリクを見た。それからまた、おれを見る。


「・・・・・・ドーリクの話は聞いた」


 ボルアロフがイーリクを見た意味がわかった。ふたりは同郷。それは軍のなかでだれもが知る。


「そうだった、イーリク。おまえの幼なじみだが」

「知っております」


 温和で端正な顔だちの犬人は、冷静に答えた。


「・・・・・・それと、おなじだ」


 イーリクに言葉をかけようとしたが、ボルアロフにさえぎられた。


「なんだって、なにとおなじだ?」

「・・・・・・使い捨ての兵だ」

「おれは、使い捨ててねえぞ」


 思わず反論した。使い捨てにするつもりなどなかった。だが危険なのもわかっていた。だから、おれも一番手に入ろうと思った。


 いや、それよりも、ここにいる百名だ。


「まさか、自分たちも使い捨てろ、って言わねえよな」

「・・・・・・そう。メドン騎士団は強い」


 怒っていいのか、あきれるべきなのか。思わず腕をくみ、ボルアロフをにらんだ。


「そういう策はしねえ。うちらの王はそういう人物ではない。知ってるだろう」


 黙堂の雄は片目を吊りあげ、おれを見た。


「・・・・・・おくしたか。親しい者が死んで」


 臆病になどならない。そしてこのボルアロフは馬鹿ではない。無礼な言いようには、おそらく思惑がある。


「たきつけるなよ。おれを怒らせば、死ねと命令しやすいとでも思ったか」


 感情で軍は動かせない。おれのゆびさきに乗っているのは、人の命だ。そう思い手を見ると、ゆびさきに水滴がついていた。さきほど飲んだ麦酒ビラの杯についていたか。


「よいのかも、しれませんな」


 意外な人物が、意外すぎる言葉を吐いた。言ったのはナルバッソスだった。

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