第296話 ドーリク歩兵一番隊

 山のふもと。


 入口の道ではなく、罠をさけた草むらのなかだった。


 約百名のドーリク隊とともに身をふせる。


 入口の道では、でたところに敵が待ちかまえているだろう。敵の思わぬところから攻撃をかけ、とにかく初動で混乱をあたえたい。


 あたりいちめん、十歩さきが見えないほどの濃い霧だった。


 しゃがんだまま、かぶとをかぶる。下側を外にまげた円筒で、顔にあたる前部分は大きくあけてあった。


 となりでしゃがんでいるドーリクが、おれを見つめていた。


「止めるなよ、ドーリク」


 巨漢の犬人は、丸太のような首で顔をよこにふった。


「止められる人だとは、思ってねえ」

「おれたちゃ、おとりじゃないぜ。ほんきで突破するつもりだ」

「もとより、このドーリクも」


 うなずき、草のあいだから前方を見た。すこし土の斜面があり、そのさきの平地は霧で見えにくい。だが、うっすらと旅装をした人影が見える。


 ここまで、負けっぱなしだ。おれがこのままレヴェノア軍の舵取りをしていいものか、ここで賭けを打つ。


 もし生き残れたら、おれが最後まで軍師として使命をはたす。


 ふっとひとつ思いだし、笑いがでた。


「泣くほどのことじゃねえって、そりゃねえよな」

「軍師、なんのことだ?」

「イブラオさ。死ぬまぎわ、そうアトに言いやがった」


 ドーリクが声を殺して笑った。大きな肩がゆれる。アトだぞ。泣くに決まっている。


 もういちど前方を見つめた。白い霧のなか、紫に染めた麻布の服が見えた。派手な野郎だ。よし決めた。まずはあいつを斬る。


「いこうか」


 立ちあがり、巨漢の背中をたたいた。それから腰の剣をぬき、地面に置いていた盾を取る。


 ドーリクも立ちあがり、両手で戦斧をにぎりしめた。それと同時に、周囲の兵士も立ちあがる。


 ドーリクと見あった。小さくうなずく。


「歩兵一番隊!」


 怒号のようなドーリクの声だった。


「突撃ぃ!」


 おう! という大合唱とともに、おれもさけんだ。


「おう!」


 草むらから飛びでる。斜面を駆けた。


 紫の男。犬人だった。こちらを見ておどろく。紫の男は剣をぬこうと下を見た。その首すじを斬る。


 周囲を見た。戦闘が始まっている。おれにむかってくる敵がいない。北にむかって歩いた。


 周囲は白い霧。絶叫と金属のあたる音。おれは遅れているのか。北にむかって駆けた。


 霧のなかを走ると味方が見えた。小さな二列の横陣。うちらの歩兵だ。四十人ほどいるか。そのうしろにも、ちらばって歩兵。こちらは左右と背後からの攻撃にそなえている。


 二列の歩兵がすすむ。敵があらわれた。敵は一列目の盾に斬りこむ。敵の剣が盾にぶつかる。同時に二列目の歩兵が動いた。剣で相手の首を刺す。


 また敵が斬りつけてくる。一列目の歩兵が盾を突きだした。その盾にぶつかり敵は倒れる。倒れた敵を一列目の歩兵が踏みつけた。次に二列目の歩兵が上から剣を突きたてる。


 次々と敵はくるが、すべて一列目の盾で止まる。そして二列目の攻撃で倒れる。


 歩兵一番隊。調練を見たことは、いくどもある。だがそれは遠目からだ。近くで見るのは初めてだった。これほど強いのか。


 ドーリクの歩兵隊は、せまる敵をことごとく跳ね返し、そして止まらない。


「固まってぶつかれ!」


 前方の霧から聞こえた。五十人ほどの敵が、固まってくる。歩兵の壁とぶつかった。押しあいになる。


「中央、ひらけ!」


 ドーリクの声だ。どこかと思えば後方から駆けこんできた。味方である歩兵の壁、その中央が割れた。そこにドーリクがおどりこむ。


 右へ左へ、くるくると大きな戦斧が舞った。群がる敵は軽装備だ。旅装に剣や盾を持った者がほとんど。


 そしてドーリクの戦いかただ。戦斧をたたきつけるような動きではなかった。斧で切っている。剣を持った腕、旅装のからだ、戦斧が風切るように通ると相手の血がふきでていた。


「こっちだ、ここにいるぞ!」


 うしろから声。敵があつまってきたか。横列のうしろにちらばっていた味方の歩兵とともに、うしろからくる敵に対応する。


 ひとりが斬りこんできたのを左手の盾で止める。そのすきに右の剣で胴を刺した。さらに右から敵。右手の剣で相手の剣をはじく。そのまま胴体をななめに斬る。


 三人が固まってきた。うしろへさがりながら突いてくる剣をさばく。盾と剣でなんとかふせぐ。


 ふいに右側の敵がさけんで倒れた。まんなかと左の敵もおなじく。倒れた敵の背後にいたのは甲冑姿の兵。味方の歩兵だ。


「すまん、助かった」


 大きく息を吸い、吐きだした。息が切れている。おれは鋼の胴当てと、鋼の腕当てをつけていた。これが重い。まだそれほど動いていないのに息が切れた。


 思えば当然か。ここ数年、からだを動かしていない。軍師の仕事にあけくれていた。住んでいるのも街だ。アグン山のような山ではない。きつい傾斜を歩くようなこともなかった。なまって当然か。


 まえかがみになり、ひざに手をついた。深く息を吸う。


「なっ!」


 うしろから敵におおいかぶされた。うつぶせに倒れる。


 剣をはなし背後に手をのばした。服をつかむ。紫の旅装。なにっ。これはおれが斬った相手ではなかったか。


 つづけざまにふたつ、からだに衝撃がきた。重い。手を地面についたが、持ちあげることができなかった。


 三人におおいかぶされた。いやちがう、三つの死体がおれに乗っている。


 首をひねり前方を見た。数人の歩兵。味方だ。だがなぜか、その顔は笑っている。


 どん! と、おれの顔のよこに金属が落ちた。いや、これは斧だ。


「ドーリク」


 なんとか首をひねり見あげようとした。


「足でまとい、ですな」

「待て、ドーリク」

「ゴオ近衛隊長には、軍師をひろうよう伝えてあります」

「ドーリク!」


 顔のまえにあった戦斧が浮いた。具足をつけた大きな足。ドーリクが歩きだした。


「待て、ドーリク、待て!」


 歩くドーリクのうしろ姿が見えた。大きな背中、戦斧を乗せた右肩も、ふり返ることなく遠のいていく。


「ドーリク!」


 巨漢の犬人は、肩にかついでいた戦斧を両手にかまえた。


「歩兵一番隊、方陣に固め!」

「おう!」


 まわりから呼応する声が聞こえた。


 地面に手を突く。ぬけでようともがいた。上に乗っているのは三人どころではないのか。びくともしない。


 ドーリクのうしろ姿は、すでに霧のなかに消えた。


「前進!」


 声だけが聞こえた。


「こっちだ!」


 敵の声も聞こえる。そして足音。


 大声をあげるのはやめた。ここで声をだせば、ただ死ぬだけだ。


 白い霧だった。なにも見えない。剣がぶつかる金属音。それに人の絶叫だけが聞こえた。


 半刻ほど待った。周囲には、もう戦いの音も、駆ける足音も聞こえなかった。


「裏だ、裏手から逃げたぞ!」


 遠くからの声が聞こえた。ブラオの隊が山のうしろから出発したか。


 また足音。何十、何百か。大勢が土を踏む音がした。白い霧のすぐむこう。近くに感じた。だが、その何百の足音も遠くなっていく。


 もはや待つしかない。


 ひたすらに待つ。


 白い霧にかこまれているせいか、半刻たったのか、一刻たったのかもわからなかった。


 ふいに、からだの重さがなくなった。人の気配がする。


 うつぶせになっていた顔のよこに、黒装束の足がきた。


「あほうが」


 威圧のある低い声。昔から、よく聞いた声だ。


 からだの上にあった死体がのけられる。いそいで立ちあがった。


 目のまえに、あほう呼ばわりした黒装束の男がいる。ゴオ近衛隊長。ヒックイト族の里で族長をしていたころから、あほう呼ばわりされたことはよくあった。


 しかしゴオはよろいをつけていたはず。からだに銀色の鋼はなく、いつもの黒装束だ。その理由はすぐにわかった。背中にアトをおぶっている。


 われらが王は、あきらかに具合の悪そうな顔をしていたが、おれを見つめ、ほほえんだ。


「ゆくぞ」


 ゴオが短く言い、周囲の近衛隊が動きだす。


 だれも声を発していなかった。足音もできるかぎり消して早足で歩く。


 ドーリク隊の通った道は、すぐにわかった。敵の死体がつらなっている。


 敵の倒れているさきをたどれば、それがドーリク隊の通った道だった。


 死体はさまざまだった。旅の格好をした者や、文官のような長衣をつけた者。やはり、ほうぼうから密偵があつまっているか。


 倒れているのは敵ばかりだ。それでも進んでいくと鎧をつけた兵士の死体も、ぽつりぽつり見つけた。


 さらに進むと、銀色の兵士と旅装の敵、これが入り乱れるように倒れていた。ここで激戦になったか。


「気をつけろ、敵がおるやも」


 ゴオ近衛隊長が、おれにむけて言った。ここまできて、ぬけている自分に気がついた。剣を持っていない。敵のものか味方のものか、わからない剣をひろい、にぎりしめた。


 歩くほどに三つ子山から離れ、白い霧もうすくなっていく。


 そしてついに、霧の外にでた。


「突破したのか、ドーリクは」


 思わず口をついてでた。ここまでドーリクの遺体がないか目をくばっていた。歩兵の死体はあったが、ドーリクではなかった。


 ちがう方角にいった可能性はない。あの男はつねに前線の中央を歩くはず。


 周囲には戦いの音もしない。戦場は、よそにうつっている。


「ゴオ隊長、前方に!」


 近衛隊の声で、まえを見た。地面によこたわる死体の群れ。そのなかに、ひとりだけ立っている男がいた。ここからでもわかる巨漢の男。


 近衛兵の数人が駆けていく。近づくと巨漢の男は大きな斧をふりまわした。


 霧は晴れた。味方だとわかるはず。いや、見えていないのか。


 巨漢のからだには、はがねの胴当てをつけているはず。だが鋼の銀色が見えないほど血で赤く染まっていた。全身が、もはや血まみれだ。


「ドーリク!」


 アトがさけんだ。ゴオの背中から首をのばし、前方を見つめている。


「ドーリク!」


 二度目のさけびで、巨漢の男がふり返った。


「さすが、小さな戦士よ! もう追いついてこられたか!」


 ドーリクが歩いた。だがもう、その動きは老人のように遅かった。


「このドーリクが、先陣をきりますぞ!」


 また歩いた。もはや方向もさだかではない。王都レヴェノアは北だ。それが東にむかって歩いている。


「いくな、ドーリク!」


 王がさけんだ。おそらく思わずさけんだ。歩くなという意味ではない。だれもがわかる。戦斧を持った巨漢の戦士は、むこう側へいこうとしていた。


「ゆくぞ、敵がくる」


 言ったゴオをにらんだ。ゴオがおれを見つめ返す。


「声をだすな。敵に知れる」


 ゴオが背中のアトに言う。


「もうゆくぞ」


 駆けだした。その隊長の動きにあわせ、近衛隊も駆けだす。


 そしてゴオが駆ける方向は、ドーリクのいる方向からずれていた。


 駆けながらドーリクを見る。一歩、二歩。こちらの駆ける音が聞こえたか、ドーリクは戦斧を持ちあげた。


 そして、あおむけに倒れた。両手でふりあげた戦斧の重さに引っぱられるように、そのままうしろに倒れた。


 倒れたドーリクを横目で見ながら走る。


 敵はいなかった。ドーリクの隊に王はいないと、敵もわかっただろう。いまは南へでたブラオの隊を追っているか、または山に侵入したか。


 周囲を走る近衛隊を見まわす。ひとりの背中にイーリクを見つけた。若き精霊隊長の目はとじている。まだ意識はもどらないのか。


「霧がはれるまえに距離をかせぐ。このまま駆けるぞ」


 ゴオ近衛隊長に言われ、うなずいた。


 うしろをふり返る。まだ三つ子山とそのまわりには、霧がたちこめていた。敵の姿も味方の姿も見えず、ただ白い霧と、三つの山頂だけが見えていた。

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