第295話 消えた精霊士

 太陽が顔をだした。


 北の斜面にせりだした見はり台から、ふもとを見つめる。


 荒野にも光がさした。敵の群れに大きな動きはない。


 こっちはすでに、すべての用意ができていた。


 兵士たちには、食料と水をとらせた。それから三つ目の小屋をあけはなち、武具や防具も配った。


「あまり、質がよくありませんな」


 保管しておいたよろいを見て、不満を言ったのはドーリクだった。


 それもそのはずで、ここは避難所だ。干し肉や麦といった備蓄した食料は、たまに替えている。だが武具や防具は、始めに入れたままだ。そのため、ところどころにさびや腐食の黒ずみがでていた。


 不満を言ったドーリクも、大きめのかぶとと胴当てを見つけ装備している。


 おれも装備をつけ、ふたたび見はり台から下をながめていた。


「ブラオの隊は、すでに反対側のふもとですか」


 となりに立つドーリクが聞いてきた。


「いや、むこうの山頂だ。そこから反対側へおりるように、道すじは教えてある」


 罠をとりはずし道を作らなければならない。だが、もとヒックイト族のブラオだ。昔のアグン山では、山のいたるところに罠をしかけ、人が近づけないようにしていた。あの男なら罠をはずすのも簡単だろう。


 もうひとつ、人影があらわれた。こちらも装備をつけたゴオ近衛隊長だった。


「アトのようすは?」

 

 ゴオに聞いてみる。黒服の上にはがねよろいをつけた近衛隊長は、静かに答えた。


「まだ、熱にうなされている。ぎりぎりまで寝かしておくつもりだ」


 ゴオの近衛隊が山をでるのは、最後の三番手だ。ゴオの判断が正しいと、うなずいて返した。


「そろそろ、いくか」


 となりのドーリクに声をかけたが、異変に気づいた。


「待ってくれ」


 見はり台から、山の全体を見まわした。


 ゆらりと濃厚な白いものが、立ちあがってきている。


きりか、なんたる幸運!」


 ドーリクがよろこびの声をあげた。


 そう、これは幸運だ。包囲網をやぶろうとしているいま、霧で視界が悪くなるのは幸運というよりほかない。


 だが、これは幸運なのか。


「ドーリク、見はりをたのむ。敵が大きく動けば知らせ!」


 広場へと駆けた。ひとつだけ残った天幕。その入口には、護衛の近衛兵がふたり立っていた。


「なかに、王のほか、だれかいるか」

「いえ、だれも」


 おれは広場を見わたした。かつて隠田のあったここは広く、いまはドーリクの隊と近衛兵の二百ほどが待機している。


 ひとつに固まって地面に座っているのがドーリクの隊。近衛隊も装備はつけているが、まだ休んでいる。思い思いに、たき火にあたっていたりした。


 広場を早足で歩きながら、あたりを見まわす。


「イーリクか」


 うしろから追いかけてきたのは、ゴオ近衛隊長だ。


「そう、あいつめ」


 若き犬人の顔をさがす。どこにも見えなかった。


「ラティオよ。あの霧が、イーリクのしわざと申すか」

「まさかとは思うがな。だが、あまりに幸運がすぎる。それに、イーリクだけじゃなく精霊戦士ケールテースも見えねえぞ」


 イーリクは十名ほど精霊戦士ケールテースをつれていた。うっすらとしか顔をおぼえていないが、これも姿がない。


 たき火にあたっていた近衛兵の五名ほどを、ゴオは手まねきで呼んだ。


「イーリク精霊隊長、または精霊隊の者を見たか」


 聞かれた四人は首をかしげたが、ひとりが口をひらいた。


「広場から南のほうに、歩かれていた気がします」


 南か。この広場は、北に見はり台。おりる道は東だった。南にはなにもない。


「とりあえず、ゆこう」


 ゴオの意見はもっともだ。近衛隊の五名もつれ、早足で南へと歩く。


「ラティオよ、南に罠はあるか?」

「ああ、あるぜ。だが森のなかに小川おがわがあり、そこまでは罠を置いてない。広場にわき水もあるが、それでも足りない場合は、水をくみにいくと思ってな」


 話しながら思わず足が止まった。


「小川か!」


 駆けだす。ゴオもならんで追いついてきた。


「ラティオよ!」


 強い口調でゴオが言った。説明を求めるときの声だ。


「城にフィオニ夫人がいるだろ。あの人に聞いたことがある。ヒュプヌーン山の泉で、精霊の巣に遭遇そうぐうしたと」


 ゴオが眉をよせたのがわかった。意味がわからないときの顔だ。駆けながらつづけて説明する。


「土の精霊は地脈に、水の精霊は水脈に、精霊の巣ってやつを作るらしい」

「精霊の巣・・・・・・」


 ゴオがつぶやいた。


「気味が悪いな」


 五英傑でも気味が悪いのかと思ったが、冗談を言っている場合ではなかった。


「幸運すぎる霧の発生。そして姿を消した精霊使い。あいつら、精霊の巣をつついたんじゃねえか。だがフィオニ夫人は言ってたぜ、けっして人が近づくようなものではねえとよ!」


 走る速度をあげた。ゴオも真剣な顔で駆ける。


 いきおいそのまま、南の森に入った。草をかきわけすすむ。


「くそっ!」


 小さな川だ。おぼれるはずもない川に、人の背中が浮いている。


 イーリクの背中。そのまま小川に飛びこんだ。えりをつかんで持ちあげる。死人のように血の気がない。


 うしろから抱え、小川から引きずりだした。


「イーリク! おい!」


 ほほをたたいた。口がすこし動く。よかった。生きている。


「だめです、息をしてません!」


 ほかの近衛兵だ。精霊戦士ケールテースたちを小さな川から引きずりあげている。十人の精霊戦士ケールテースのうち、半数ほどは息をしていない。


 そして、いよいよ霧が濃くなってきた。この山頂の森ですら、うっすらと視界が白くなり始めている。山のふもとは、もう真っ白に近いだろう。


「ラティオ、こいつらは近衛兵で運ぶ」


 ゴオの言いたいことはわかった。イーリクたちは無茶をした。だがこれは、またとない好機だ。


「王とイーリクは、まかせたぜ。おれはいってくる」


 ドーリクのもとにむかって駆けた。一番手の出撃だ。 

 

 

 

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