第294話 包囲された朝

「ラティオ軍師、もうすぐ夜が明けます」


 見はりの兵士に小声で起こされた。


 罠だらけの山で、夜に敵は入ってこれない。それでも山頂に最低限の見はりは立てていた。


 起きあがり、東の空を見る。太陽はでていないが、たしかに白み始めていた。


「イーリク、ドーリク、ブラオ、ゴオ。この四隊長を見はり台に呼んでくれ」


 兵士に告げ、寝静まった広場をはしへと歩く。


 この山頂にある広場のはし、見はり台をこしらえていた。斜面にせりだすように建てた台で、山のふもとが見えやすい。


 大きな見はり台で、詰めれば二十人は入りそうだ。


 待っていると四隊長がきた。たった五人の指揮官で、山のふもとを見る。


「包囲されていますね」


 つぶやいたのは、イーリクだった。精霊隊長だが、ここに精霊隊はいない。このたびの戦いには、十名ほど精霊戦士ケールテースをつれて参加しているだけだ。


 ドーリク、ブラオ、それぞれが約百名。そしてゴオひきいる近衛隊も百名ほど。あわせて三百ほどのレヴェノア軍が、ここ三つ子山の山頂にいる。


「五千、六千、いや、ひょっとすれば、一万か」


 言ったのはブラオだ。


 ここにきてまた、おれの予測は甘かった。何百ではなく何千かの敵がくるかと思った。だがブラオの言うとおり、悪くすれば一万の敵に包囲されている。


 山のふもとには、包囲するように敵の小集団があちらこちらにいた。見える範囲で何千だ。反対側も考えれば、敵の数は一万を越えるか。


 そして敵の服装は、山頂から見てもばらばらだった。兵士であれば統一された鎧を着るので遠目でもわかる。


 メドンの騎士団でもなければ、歩兵でもない。あらたに集結した敵だ。


 これはバラールを占拠しているアッシリア王都軍ではない。さすがにバラールからこの数が動けば、諜知隊も気づくはずだ。


 アッシリアは別々の思惑が動いていた。そう考えれば見えてくる。ひとつは五英傑のメドン。やつはとにかく戦いたい。それも充実した戦いだ。


 もうひとつが、王や貴族がお得意とする権謀術数けんぼうじゅっすうだ。それをレヴェノアに集中させたか。


 これは理にかなっている。ウブラ国であれば倒す相手は執政官であり、七人もいる。それにくらべレヴェノア国はたったひとり。王のアトを亡き者にすればいい。


 レヴェノア国のありとあらゆる場所に、陰謀をはりめぐらそうとしていた。そこへメドン騎士団による遠征だ。これを利用しない手はない。


 昨日から、おれたちを追っていたのは偽装兵ではない。アッシリア国の密偵だ。


 おそらく、どこへ逃げても無駄だっただろう。ボレアの港や近隣の村、その付近にも、旅装の敵は待ちかまえていたにちがいない。


 そしていま。夜のあいだにレヴェノア各地から集結したのだろう。結果としてアッシリア国の裏の部隊、すべてがここに集結しているのではないか。


「すまねえな。この軍師の失態だ」

「そんな。かつての諜知隊もいないのです。予測は不可能かと」


 諜知隊がアッシリアにいないのもあるが、あのグールの黒幕がでてきてから、おれは負けっぱなしだった。


 この状況にいたる策をさずけたのは、アッシリアの者なのか。それともあの灰色の頭巾をかぶった人間族なのか。


「それで軍師よ」


 巨漢の犬人、ドーリクが口をひらいた。


「どうでる?」


 ドーリクには答えず、ふもとを見つめ考えを集中させた。


 突破をこころみるか、ここで援軍を待つか。ふたつにひとつしかない。


 だが援軍を待つということは、味方がおれたちを見つけてくれるだろう、という予想にそっている。


 予想というより妄想だ。おれたちは、王都レヴェノアがいまどうなっているかも知らない。いまもし街が攻められていたら、王の救出どころではない。


 だろう、という予想をいっさい捨てるか。そうなると、アトと少数を山に残し、ほかはおとりになって逃げる方法も駄目だ。これも敵は山に入らないだろうという、勝手な予想だ。


「こうなるなら、いちかばちか多くの使者を王都へだしておけば」

「いえ、ブラオ殿。それはただの、あとから言う結果論です」


 すばやくイーリクがたしなめた。そのとおりで、こうしていればというのは論じても意味がない。


 わかっている現実だけで策をねるか。あごに手をやり、顔をしかめた。


 敵は一万。こちらは三百。


 敵の勝ちは王を殺すこと。こちらの勝ちは王をレヴェノアの街に帰すこと。


 相手はこちらの総数を知らない。こちらも厳密には相手の総数を知らないが、まあこれ以上の敵がでたときは、あきらめるほかないだろう。この山の周囲にいる敵がすべてだと決めて考える。


 そして敵は兵士ではない。密偵や間者といった裏の者だ。これはすこし明るい話題で、軍隊にくらべ近接戦は強くないはず。ただ数は腐るほどいる。


「決めた」


 四人の隊長が、声を発したおれに注目した。おれは北に指をさした。


「まず百の集団で突破をこころみる。とうぜん敵は集中する」


 四人を見た。反論はない。次に南へ指をさした。


「山の反対側から、もう百。敵はこちらが本命だと思うだろう。あわてて山をまわり追いかけてくる」


 もういちど、おれは指をさす方向を北にもどした。


「だが、最後にアトのいる百の集団。これが最初に突破をこころみた隊のうしろをたどる」


 イーリクが納得の顔でうなずいていた。


「なるほど。おなじ道をたどることで、敵の数がすくないということですね。しかし、その最初の隊。ここが相当きつい」


 ドーリクが一歩まえにでた。


「軍師の策に、なにも不満はない。このドーリクが一番手を引き受ける」

「待て、ドーリク」


 巨漢の肩をうしろからつかんだのは、おなじ歩兵隊長のブラオだった。


「ここは正規の戦場ではないので意見するぞ。一番手は、このブラオでもつとまる」

「引っこんでいろ三番隊長。戦いのある場が戦場。一番手はもっとも強い者がゆく」

「たいした自信だ。おのれが強いから一番隊とでも申すか」

「わが隊が一番強いからこそ、歩兵一番隊なのだ。わかったか三番隊長」


 ドーリクは肩に置かれたブラオの手をはらい、ふり返った。ふたりがにらみあう。


 押し殺すような声で、ブラオが口をひらいた。


「考えればわかるだろう。この一番手は死ぬぞ。おまえは重臣中の重臣」

「そのような考えは不毛。もっとも強い者が、先陣を切る」


 ドーリクは、からだのむきを変えておれを見た。


「軍師よ、どちらが一番手に適しているか。判断してくれ」


 すこし見あげるように巨漢の犬人を見つめた。長い仲だ。それはグラヌスなどと変わらない長い仲だった。


「ドーリクだ。一番手はドーリクの隊」

「さすが、軍師」

「そして一番手の指揮は、おれがとる」

「お待ちください!」


 大声をあげようとしたのはイーリクだ。手をあげてそれを制す。


「この五人で、もっとも役職が上なのが、軍師であるおれのはずだぜ」

「ひきょうです。その言い方は。いまアトボロス王は高熱にうなされ、なにも言えませんのに!」


 いつも温和な若き犬人の顔は、めずらしく怒っていた。だがおれも、言いたいことはある。


「現在の状況、これの責任は、ほぼおれだ。イーリクは近衛隊とともにアトを護衛しろ。そしてまんがいち、おれが帰らないときは、わかるな。軍師の仕事をたのむぞ」


 イーリクはさらに顔をしかめ、ドーリクを見た。


「ドーリク、おまえも止めろ!」


 だが歩兵一番隊長は、にやりと笑った。


「いつ以来ですかな。ひさしぶりに肩をならべて戦いますか」


 まさに戦士、というような勇ましい顔で、ドーリクは笑った。


 


 

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