第290話 避難所
テサロア地方の南部は荒野が多い。
このあたりは、ひび割れた黄土色の地面がひろがっていた。
戦場だったサナトス荒原からは、ずいぶんと離れた。
しばらく南東にすすんでいたが、いまはひたすらに荒野を南にむけて歩く。
三百ほどの集団だ。ドーリクとブラオの歩兵隊。そしてゴオの近衛隊。
その中心にいるのは、イブラオに背負われたアトだ。
小国とはいえ、レヴェノア国は二万を越える兵を持つ国。その王が、たった数百人に
おれがレヴェノアの兵士なら、軍師を
いらつく気持ちが、歩く足をせかそうとする。だが、ふいに声をかけられた。
「まさか、
感想を口にしたのは。となりを歩くイーリクだった。
その山に正式な名はなく、おれが勝手に三つ子山と呼んでいる。かつてアトを捕まえるために敵がつかった山だ。
「あのときは、アッシリアの密偵が村ごと入れかわっていたそうですね。そこから王を山のなかに誘った」
イーリクの言葉にうなずく。
「
「アグン山のように?」
このイーリク、そういえばアグン山にきたことがなかった。
「ヒックイトの里があるアグン山だが、山のいたるところに罠があってな」
「なんと、では山それじたいが
「そのとおり。だがいまのアグン山はやってねえ。ひらかれた里になってるからな」
「おなじ仕掛けを、三つ子山にほどこしていると」
「それ以上だな。罠だらけの山。そこに食料の備蓄などを用意している」
あきれたような顔でイーリクは首をふった。
「軍師ラティオの特徴は、用意周到なこと。そう思っておりましたが、はるかに予想を超えていきます。このような避難所、ほかにも?」
じつは、ほかに三箇所ある。だが答えなかった。だれにも教えないと決めていた。
軍師がつかえる国費の権限内でこしらえた。文官もつかわず、人夫を雇って完成させた。おれひとりだけが知っている隠された避難所だ。
秘密が漏れないようにするためだが、こうなると欠点もある。だれも知らないということは、味方も助けにこれないということだ。
「軍師、王都にむけて使者をだしますか?」
イーリクの問い。それはいままさに、おれが悩んでいる。諜知隊のだれかに会えればと願っていたが、やはり数を減らした諜知隊だった。姿は見えない。
王の所在を知らせるのは、最重要といえる。だが敵も状況は知っている。レヴェノアの軍でも街でも、見れば雰囲気だけで王はまだ帰っていないとわかるだろう。
そうなると次にねらうは、王の所在を知らせる使者だ。
敵が、その使者を見つけるのも簡単。王都レヴェノアの周囲に網をはればいい。どう偽装しても、のんびり歩く旅人と、使命をたずさえた使者の気配はちがう。
イブラオに背負われたアトを見た。なにかふたりで話しこんでいるようだ。そのうしろを歩くのは、近衛隊長のゴオ。
いまごろ城では、帰らぬ王に気をもんでいるだろう。だが、そこまでの心配もしていないのではないか。
帰らぬ姿は王だけにあらず。王を護る近衛兵、そしておれ、さらにはイーリクとドーリクまでここにいる。
そして、心配していないほうがいい。グラヌスひきいるレヴェノア軍が、アトをさがしに再出兵でもすれば、どういう事態になるか予測がつかない。最悪、あのメドン騎士団と再戦にでもなれば、うちらの国は終わりだ。
「よし、使者をだすのはやめるか。王都の状況すら知らないおれたちだ。いま使者をだすとどうなるか、なにも予測できていない」
おれの答えにイーリクもうなずいた。
「軍師よ、北に集団の影だ」
言ってきたのは、ブラオ歩兵三番隊長だ。おれもふり返り北の方角を見つめる。
砂嵐を起こす強い風はおさまっていた。荒野の地平線まで見える。
たしかに、遠くに人の群れが見えた。旅の集団である可能性もある。
いや、見えない現実を自分の都合よく見ないこと。最悪を想定するのが兵法の基本ではなかったか。
今回、アッシリアは何人の偽装兵を送りこんでいるか。何百か。何千でもありえる。王が街に帰っていないのなら、帰るまで相手の国中をさがすはず。
偽装兵は、避難民をよそおっている。ふらふらとレヴェノアのどこでも歩けるだろう。避難民を受け入れると決めたことが、思わぬあだになった。
「よし、決めた。三つに分かれよう」
ドーリク歩兵一番隊長、ブラオ歩兵三番隊長、ゴオ近衛隊長をあつめた。
「それぞれの隊で、三つ子山をめざす。最短の道はアトを連れた近衛隊」
ゴオ隊長がうなずいた。
「ドーリクは東、ブラオは西から大きくまわってきてくれ。追ってくる気配の者があれば、戦うのか、まくのか、その判断はまかせる」
ふたりの隊長がうなずいた。
「三つ子山についたら、入口に案内のおれが立つ。勝手に入るなよ。山をのぼる道はいくつもある。だが、たどりつくのは一本だけ。あとは罠に落ちる」
ドーリクもブラオも勇ましい顔をしていたが、その顔をゆがめた。ふたりとも強いだろうが、その強さは罠には効果がない。
ふたつの隊が離れていくのを見守った。イーリクと数名の精霊兵は、ドーリクの隊とともにいかせた。たびかさなる偽装兵との戦いで、ドーリクの小隊はすこし数を減らしている。
とどまるのは、アトと近衛隊、そしておれだ。この本隊は、しばらく動かずにいた。
北にいる集団。それの動きを見たかった。遠くに見えていた集団は、東へと進むようだった。敵だったのか旅人だったのか、それでもこちらにこないのなら安全だ。
イブラオの背中にいるアトの顔を見た。われらが王は、なにか複雑な表情だ。
「だいじょうぶか。足、痛まねえか?」
アトは小さく首をふった。
「よし。では、おれらもいくか」
追ってくる者がいないか、注意をはらいながら歩く。
半刻ほど歩くと見えてきた。荒野のなかに、こぶが三つあつまっているように見える山。
北、南、西、東。地平線の遠くまで確認する。近づいてくる人の影はない。
「おれに、ついてきてくれ」
先頭に立って歩いた。
三つの小高い山が固まってあり、山への入口もいくつかある。だが山頂へたどりつけるのはひとつ。
木がおいしげる山すそを歩き、入口のひとつに立った。土の坂道があり、道の上には枝葉がおおいかぶさっている。
「上にいくほど、道はせまくなり、また上にいくほど罠が多い。おれのうしろを歩いてくれ」
すべての近衛兵にむかって注意し、山に入った。先頭を歩く。
しばらく歩いたところで、うしろが止まっているのに気づいた。
「おい、言ったはずだぜ、おれのうしろを・・・・・・」
声にだすのを止めた。近衛隊の連中が見ているのは、おれではない。ゴオだ。
ゴオ近衛隊長は、大剣をぬいていた。からだをすこし沈めるように立っている。まるで獲物に飛びかかる獣のように、すさまじい殺気をはなっていた。
おれも音をださないように周囲を見た。人の気配はない。
「上だ!」
イブラオの声。おれは見た。イブラオは天をあおぐかのように両手を広げる。背中のアトを守るためか。はらを見せのけぞった。そのはらに矢が数本刺さる。
矢が飛んできた方向。木の上だ。おれは地面に落ちてある石をひろった。
「族長、逃がすな! 逃がせば王のいどころがばれる!」
ゴオ隊長と近衛兵が草のしげみに飛びこんだ。
ばれていたのか。この山の存在は漏れていたのか。そして、この道が正解だとも知っていたのか。
文官や役人はつかわなかった。人夫だけだ。そして山の全容を知るのは、このおれだけだ。この道が山頂への道だと、だれも知り得ることはできない。
いやな予感がした。きた道をかけおりる。
「くそっ!」
山の入口までおりると、ほかの入口からもでていく敵の姿が見えた。
どれが正解の道か、敵は知っていたのではない。数名ずつ、すべての入口に配置していた。
これは偽装兵だけではない。アッシリアは手持ちの密偵など、そうとうな数をレヴェノアに投入していたのか!
坂道をかけあがる。とにかくアトを山頂の避難所につれていくしかない。
近衛兵の十名ほどが道のわきに立っていた。その輪のなかにいるのがアトか。
輪のなかに入り、思わず足を止めた。道のわきにある木の根元、イブラオが背をもたれていた。胴に三本、腕に一本の矢が刺さり、そこから大量の血が流れている。
そのイブラオのふとももだ。王であるアトがしがみつき、泣いていた。
まるで子供のように泣いていた。
「ラティオ、アトをつれていけ」
弱々しい声で、イブラオが言った。だが、こんなアトを見るのは初めてだ。いや、初めてではない。アトの生まれ育ったラボス村が全滅していた、あのとき以来だ。
「
イブラオの言った意味がわからなかった。
「昔、おめえをよくおぶったからな」
イブラオが泣きじゃくるアトの頭をなでた。それでわかった。詳細はわからないが、ふたりは旧知の仲か!
「ラティオ、アトをつれていけ」
おれは思わず顔をしかめた。くそっ。イブラオの傷は、もはや助かる傷ではない。
イブラオのふとももに、アトがしがみついている。その肩をつかみ、力まかせに引きはがした。
「王の両わきを抱えろ。力づくでつれていく」
周囲の近衛兵にむかっていった。アトの両わきを近衛兵のふたりが抱える。
イブラオは、アトを見つめ、やさしくほほえんだ。
「泣かんでいい。泣くほどのことじゃねえ」
手をのばすアトのそれを、イブラオはつかみ、そして離した。
「いくぞ!」
おれはさけび、山頂にむけて先頭を歩くことにした。
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