第284話 戦いのまえに
強い風。
朝もやを飛ばす風が吹いていた。
春の初めごろ、このあたりは南からの強い風がふく。
西門の外には、兵士たちがならんでいた。風は強いが、兵士たちは微動だにせず直立している。
その兵士たちのまえで、王であるアトのよこに立った。
「敵はアッシリア軍の二万!」
王をはさみ反対側にいるグラヌスが、兵士たちにむけて大声で伝えた。二四〇〇〇の兵が聞いている。
「場所は、サナトス荒原。言うまでもなく地の利はこちら!」
「おお!」
兵士たちが歓声をあげる。王のアトが一歩でた。
「勝って帰るぞ!」
鉄の弓を天にかかげた。
「
「
王の号令にすべての兵士が呼応し、全軍が動きだした。
歩兵一番隊を先頭にして、まず七つの歩兵隊がすすむ。そのうしろに王と近衛隊がつづいた。最後尾は騎馬隊だ。
アトのよこに馬をならべる。おれが左にならび、右にはイーリクがいた。
「イーリク、
これはさきほど、アトから聞いた話だ。
「はい。近衛隊へ同行をゆるしてもらいました。彼らは剣の腕もたしかです。なにか役に立つことがあるやもと」
まわりで馬に乗っている近衛兵を見まわした。たしかに、ちらほらと革の胸当てなど装備が軽い者がいる。あれが
今回の敵は、騎兵を主にした陣容になる。こちらも機動力を優先させ、イーリクの精霊隊は参加させていない。だが
それよりゴオが許可するとはめずらしい。意外にイーリクと気軽に話をするような仲なのだろうか。イーリクに興味本位で聞いてみたいが、あいにく近衛隊長のゴオは、おれたちのすぐうしろにいた。やめておこう。
行軍をつづけていると、街道のわきで待つ小集団がいた。
「ぼくらは、旅人のじゃまだな」
苦笑しながら言ったのはアトだ。
こちらは、二四〇〇〇の兵。隊列をととのえても、道にあふれんばかりになる。おれらの軍が通りすぎるまで、のんびり待つしかないだろう。
赤い布をかかげている十人ほどの小集団だった。着ている麻布の服は、しみで汚れている。遠くから王都レヴェノアをめざしてきたにちがいない。
「じゃまじゃねえさ。おれらの国に期待をよせるからこそ、旅人はくる」
アトはうなずいた。
「なんとか、この危機を乗りこえたいな」
おとなになった王が、眉をよせて遠くを見つめた。
あのとき、あの酒場で、おとなたちは少年を王にまつりあげた。おれもそのひとりだが、少年に苦労をさせるつもりは
「おれが、必ずなんとかする」
「それは知ってる。ラティオは、いつもそうだった」
アトはそう言って笑顔を見せた。
二刻ほど行軍をつづけ、そろそろサナトス荒原というときだった。
あわてたようすで黒い上着の兵士が駆けてくる。伝令兵だ。
今回、伝令兵の数を大幅に増やしていた。動きの多い戦いになると予想してだが、見はりなどの役もしてもらうためだ。いつもなら周辺の見はりは諜知隊がしてくれるのだが、いまは数がすくない。
「敵の状況をお知らせします!」
先行させて戦場を見てきた伝令兵だった。
「敵は天幕をたたみ、すでに布陣しているもよう!」
メドンという男がうとましく思えた。やる気が、みなぎっているらしい。
「その布陣のかなりまえで、指揮官らしき者がひとり馬に乗っております!」
思わずアトと目があった。それは五英傑、聖騎士メドンにちがいない。
おれとアト、イーリクで行軍する隊列からでた。うしろには、ゴオ近衛隊長と近衛兵が数名ついてくる。
道のわきを駆けた。総隊長にも報告はいったのか、途中からグラヌスとも合流した。
先頭をすすむ歩兵一番隊も追いこし、近くの丘の上に駆けあがる。
丘から見おろす遠くに、人の整列による巨大な四角形ができあがっていた。
そのはるか手前、たしかに一騎だけ馬にのった甲冑姿の者がいる。その者は白い羽織りをつけていた。
「レヴェノア国の王か!」
遠くから騎馬の男がさけんだ。距離がありすぎて聞きとりずらい。
「全体、止まれ!」
グラヌスが歩兵一番隊にむけてさけんだ。歩く足音が止まる。草木のない荒原に、静けさと風の音だけが流れた。
「そこにいるのは、アトボロス王か!」
男は、丘の上にいるおれらを見ているようだ。アトも白い羽織りをつけているので王だとわかったか。
グラヌスがおれを見た。おれもうなずく。
「ここへおわすは、アトボロス王!」
アトではなく、グラヌスが大声をあげた。
「われの名はメドン!」
言われなくともわかる、そう言い返したかったが、戦いのまえに名乗りをあげるとは意外だった。
おれのとなりには、イーリクがいた。小声で聞いてみる。
「あいつに、精霊をぶつけられるか?」
そんなことをするのか、と言わんばかりに目を見ひらいたイーリクだが、ここで片がつけば楽に越したことはない。
「さすがに、この距離ではむずかしいです」
「
「やめておけ」
声をだしたのは、意外にもゴオ近衛隊長だ。
「あれほどの武を持つ者なら、あるていど気力でふりはらう。一撃でしとめるなら別だが、はずせば
あの族長が助言をするのかとおどろいたが、気力で精霊をふりはらえるのにも、おどろきをかくせなかった。
グラヌスを見たが、同意するようにうなずいている。それはグラヌスも多少はできるという意味にちがいない。武を極めようとする者に、感心を通りこしてあきれる。
ならばと、アトの顔を見た。おれの言いたいことに気づいたのか首をふった。弓の名人でも、この距離は無理か。
「首斬りのゴオは、おらぬか!」
メドンの声に、みながゴオの顔を見た。
「残る五英傑は、われらふたり。どいつだ!」
ゴオ隊長は答えなかった。そうであろうと思う。興味がないとも言えるが、この男は、もはやそういう世界に生きていない。
近衛隊をひきいるようになり、かつての族長ではなくなった。どこがどうとは言えないが、それは、はっきりとわかる。
「一騎打ちを命じるというなら、命令には従うが」
ゴオがおれを見て言った。役職としては軍師のほうが上。命令はだせる。
たしかに誘惑はあった。ゴオがメドンを倒せば、それで終わる可能性もある。だが、敵の陣形の最前列。すべて騎兵だった。
いくつかの予想がある。一騎打ちをするふうに見せ、敵は騎兵による急襲。
また一騎打ちをしている最中に、兵たちにも火がつき戦いが始まる可能性もあった。
戦いたくて、うずうずしている。その気配はメドンだけでなく、敵の騎兵からも噴出していた。
こちらが、まだなにも陣を
「こちらの呼びには応じずか。よかろう、楽しみにしておくぞ!」
メドンは馬首をひるがえし、自陣へと馬をゆっくりと歩かせる。
「グラヌス、いそいで陣をくむぞ!」
おれの言葉に、総隊長であるグラヌスも力強くうなずいた。
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