第281話 あらたなレヴェノア軍

 サナトス荒原の丘にいた。


 朝から、歩兵の調練を見つめている。


 もう、それほど寒くはない。冬が終わり、日を追うごとに流れる風にはあたたかさがでてきた。


 天気が心配で、空を見あげる。


 早春のあわい水色の空だった。だが地平線のかなたには、黒い雨雲がひろがっている。今日一日、雨がふらなければいいが。


 馬蹄の音が聞こえてきた。


 ふり返ると、ふたつの騎馬が駆けてくる。そのまま丘の上へと駆けあがった。第一騎馬隊長のボルアロフと、第二騎馬隊長のネトベルフだ。


「お待たせいたした、敵はいずこに!」


 ネトベルフの言葉に失笑した。ここサナトス荒原でグールと戦ったさいにも、この熟練兵から聞いた言葉だ。


「敵のグールは、ザンパール平原だぜ」

「それは、ちと遠いですな」


 こちらにくる三千の騎馬兵が見えた。きれいに隊列をくみ、整然と駆けている。騎馬隊の牧場からここまで、行軍の練習もかねたようだ。


 まず、馬上のボルアロフ第一騎馬隊長を見あげた。調練の予定を伝えなければ。


「騎馬隊をまとめ、歩兵の陣へ突っこみ、すぐ離脱。それを繰りかえす」

「承知した」


 次に第二騎馬隊長だ。


「ネトベルフは、おれとここから見てくれ」

「私の隊は、ボルアロフの指揮に?」

「そうしてくれ。騎馬隊の隊長から見て、歩兵への助言がほしい」

「了解しました」


 ネトベルフは馬をおり、ひかえていた伝令兵のひとりに手綱をあずける。


 ボルアロフが出発していないのに気づいた。


「どうかしたか?」


 まるで馬に乗る岩、そう騎兵たちは冗談で言うらしいが、口数のすくない第一騎馬隊長は、うなずくだけで馬首をまわした。丘を駆けおりていく。


「なにか、言いたげだったな」

「おそらく、アッシリアの王都騎士団を甘く見るな、とでも言いたいのでしょう」

「それはおれも、承知してるさ。だからこうして、歩兵に騎馬と戦う経験をつませようとしている」


 ネトベルフと丘の上から見おろした。歩兵の隊が七つある。前衛に三つ、後衛に四つだ。


 それぞれが四角い方陣をくんでいる。そして、うしろの四つは、中央にいる百の小隊をはさむようにならんでいる。


 小隊は近衛兵の百名だ。まんなかには深紅の旗が風になびいていた。実戦を仮定して、王のアトも今日は陣のなかにいる。


「増えましたな」

「ああ、歩兵の数だけでまえの倍、それ以上だ。二万を超える」

「コリンディアからの亡命、そして逃げだしたバラールの兵ですな」

「バラールの兵は不安もあったが、意外にまじめなやつも多い」

「そこは指揮官しだいなのでしょう。よきも悪きも」

「どうせくるなら、もっと早くにきてくれれば、こっちも楽だったんだが」

「無理のないことです。総隊長の家族も、やっとでしょう?」


 そう、コリンディアからきたなかにグラヌスの家族もいた。まえから呼んでいたのだが、ここにきてやっとだ。


 なかなかに生まれた国を捨てるというのは、ふつうでは壁の高いことなのか。


「しかし軍師、たどたどしい動きの者も多いですな」

「それは軍経験のない新兵だ。こっちや、むこうの街や村、あちらこちらからだ」

「むこう? なんとウブラ国からもですか」

「そう、グールをふせいだ話が広まったのだろうぜ」


 王都レヴェノア。あの見あげるほどに高い城壁と、最前列で守るかのごとく街の最北にそびえる城。ウブラ国に住む者から見ても、たのもしく見えるだろう。


 ジバが守ったものは、人の命と建物だけではない。王都レヴェノアという威信いしんも守った。


 ちょうどサナトス荒原の西に、旅ゆく集団が見えた。王都レヴェノアをめざす集団だろう。赤い布を旗のようにかかげている。


 赤い布をかかげているのは、わが国に亡命する意思をあらわしていた。


「始まりますな」


 ネトベルフの声で、駆けだす騎馬隊を見た。三千の騎兵が大きな三角形にならんで突進する。


 むかうさきは前衛の右だ。歩兵一番隊。数は約三千。同数の歩兵と騎馬がぶつかった。


 歩兵は大きなはがねたてで、ぶつかってくる騎兵に対抗している。


 想定しているのは、人との戦いだ。青銅でつくられた刃盾はだては使用しない。あの強靱きょうじんな盾はグールに有用だが、移動するのが遅くなる。鋼をうすくのばした盾のほうが、なにかと使い勝手はよかった。


 いきおいよく騎馬隊はぶつかったが、歩兵一番隊の陣は割れないようだった。


「前衛の右、あれはドーリク殿ですか」

「よくわかるな」

「ここからでも、力強さは見てとれます」


 騎兵ひと筋のネトベルフだが、そこは熟練の軍人。歩兵を見る目もあるようだ。


「あらたに入った兵は、各隊にちらばしましたか」

「そう、新旧が半々といったところだ」


 レヴェノア軍に入隊を希望する者が増えすぎている。これは苦肉の策だ。ゆくゆくは、あらたな隊長も育ってきて細かく隊を分けられるだろう。だが、なにせいまは余裕がない。


 ボルアロフひきいる三千の騎馬は、反転して歩兵の陣から離れた。そこから、もういちど助走をつけて突進していく。


 今度は前衛の中央、そこにいるのは歩兵二番隊だ。


 がっしりと歩兵が固める四角い陣。そのなかほどに太めで巨漢の犬人が見えた。大声をだしているようすが、ここからでもわかる。隊長のマニレウスだ。


 三千の騎馬による三角の突撃陣がせまる。先端からぶつかり、くさびのように入りこんだ。


 歩兵による四角い陣が割れる。だが、騎馬隊の動きも止まった。割れた左右から、はさみこんで押し返しているのか。


 騎馬隊は、また反転して離れていく。


「しかし、あの寡黙かもくなボルアレフは、どうやって指揮しているんだ?」


 ふと疑問に思い聞いてみたが、長年つれそっているネトベルフは笑った。


「あいつも、指揮中は大声をだしたりします。まあ、騎馬隊の場合、馬蹄の音で聞こえにくい場合も多いのです。事前に手のふりで合図なども決めておりますし」


 なるほど。納得しているあいだに、騎馬隊は次の標的、前衛の三つある方陣のうちの左側へ突撃した。あそこは三番隊、ブラオの隊だ。


 ブラオの隊は、騎馬の突撃を流すかのように後退していく。流陣りゅうじんゆうと呼ばれるブラオらしい動かしかただ。


 三番隊がさがるのにあわせ、陣の全体もさがる。これはどこかにいるグラヌスが動かしているのだろう。


 ひと月ほど、各隊で調練をし、さらにひと月、この全体での調練に精をだしている。新兵が多いので練度はないが、軍隊らしい動きはできるようになってきた。


 騎馬隊はまた離れ、陣のうしろへ大きくまわりこむように駆けた。

 

 その動きにあわせ、歩兵の陣も変化していく。


 敵がうしろへくると、アトと近衛隊の百人はさがる。それと同時に、デアラーゴの七番隊もさがり、おなじように前衛が三つ、後衛が四つという陣容になるのだった。


 騎馬隊がぶつかっても、前衛となった四番隊カルバリス、五番隊ナルバッソスは耐えきった。大きく崩れたのは六番隊。鎖のついた鉄球をふりまわす猿人、コルガの隊だ。


 一番から七番の歩兵隊だが、やはりコルガの六番隊、ここの動きがもっとも悪い。七番隊のほうがあとに作ったのだが、そのデアラーゴの隊は動きがいい。


 もと漁師の猿人は、経験豊かな軍人だった。思わぬひろいもの。言葉は悪いが、そう思う。指揮の能力も、ドーリクやマニレウスにさえ負けずおとらずだった。


「伝令兵、二名!」


 丘のうしろにむかって呼んだ。ひかえているのは馬に乗った白い上着の兵士たち。そのうちのふたりが駆けてきた。


「ドーリク隊長と、コルガ隊長をここに」

「はっ」


 馬に乗った伝令兵が丘を駆けおりていく。


 しばらく待っていると、ドーリクとコルガは馬ではなく自身の足で走ってきた。


 コルガは、まだ乗馬になれていないと聞いているが、ドーリクもあいかわらず馬には乗らない主義か。


「お呼びで」


 丘の上に到着したコルガは、気まずそうに口をひらいた。


「コルガ、騎兵に苦戦してるようだな」

「申しわけねえ」

「経験が浅いので無理はない。小隊長あたりのほうがいいか?」


 小柄こがらだが筋肉のもりあがった猿人は腕をくみ、考えているようだ。


「気合いが足りんのだ。兵をどやしつけろ」


 よこから茶々をいれたのは、戦斧を持った巨漢の犬人ドーリクだ。


「そんな簡単にもいかねえだろうが」


 コルガが、ドーリクをにらんで言った。このふたりは仲がいい。ほんきで言いあってはないだろう。


 次にコルガは、おれに真剣なまなざしをむけてきた。


「降格するのはかまわねえんですが、なんとか踏んばりたい。そうも思っております」


 おれはうなずいた。経験は浅いが、おぎなえる武の強さはある。やる気もあるのであれば、隊長として育ってほしかった。


「どうも、いろいろと考えすぎちまいます」


 判断が遅い。それは上から見ていてもわかった。

 

「考えるのは重要だ。このドーリクも、粗暴に見えて実は細かいぜ。悩んでいる兵士がいたら、いっしょに酒を飲み、いっしょに悩むような側面もあるしな」


 ドーリクは王の酒場でよく飲んでいるが、ほかの酒場で見かけることも多々あった。そのときは、だいたい部下の兵士と飲んでいる。


「おめえ、そんなことしてんのか」

「ああ? 人ちがいだろう」


 ふたりのやり取りに笑えた。だれが言ったか、二番隊長のマニレウスをあわせて「酒場の三英傑さんえいけつ」だ。


「ドーリク、それにネトベルフも。しばらくコルガのそばについてくれ。気づいたことを伝えるだけでも、大きくちがうだろう」


 ドーリクとネトベルフはうなずいたが、ちがう声が割って入った。


「その余裕、ないかもしれませんぞ」


 おれと三人の隊長はふり返った。丘の上まで馬では無理だったのか、手綱を引いて近づいてくる初老の犬人がいた。


 この調練場で見るにはめずらしい姿。ペルメドス文官長だ。


「ヒューデール軍参謀より、早馬にて知らせがありました」

「そりゃ、いい知らせじゃねえな」


 おれは三人の隊長を見た。ドーリク、ネトベルフ、コルガの顔にも緊張が走ったのがわかる。


「まず、アッシリアの王、エウポリオン三世がバラールへと移動しました」


 隊長たちと見あった。思ったことは、おなじだろう。いよいよアッシリアは、このテサロア地方のすべてを、ぶんどりにきた。


 しかし、エウポリオン三世は八十歳をこえたじじいではなかったか。歳をとれば丸くなるというが、それと欲望は別らしい。


「そして、バラールにいたアッシリアの王都軍十万。その一部がコリンディアに移動したそうにございます」


 思わず、あごに手をやった。それはコリンディアを守るためではないだろう。


「ねらいは、おれらの国か」


 ペルメドス文官長は、けわしい顔でうなずいた。


 アッシリア軍は、こっちにきたか。ウブラ国とわれらレヴェノア国、どちらをさきに攻撃するのかと予想はつかなかった。


 さきにウブラ国と戦ってくれれば。そんな甘い願いは、やはり、かなうことはなかったか。

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