第280話 あらたな避難民
城壁のてっぺんである歩廊。
ここからは、かなり遠くまで見とおすことができる。
北西の方角、一万ほどの集団。
まちがいなく、めざしているのは、ここ王都レヴェノアだ。刻一刻と近づいてくる。
「こりゃ、うちの王様が動くぜ」
「軍師よ、そのとおりだ。アトボロス王は、いま階段をおりられたぞ!」
場内のほうを見ていた第二騎馬隊長、ネトベルフが
「よし、おれらもいくか!」
いそぎ歩廊から場内の地上へとおりる。
王の一団と合流した。アトとグラヌス、そしてイーリクのほか、王を
みなでいそぎ、西の門へとむかう。
「ヒューはどこだ?」
鳥人の姿をさがした。
アッシリアに潜伏した諜知隊は、もういない。だが、この王都レヴェノアの周囲には、数はすくないが索敵の網はひろげてある。そう本人から聞いていた。
ばさり、と羽音が聞こえ、地上に舞いおりる人影があった。
「コリンディアだ。甲冑をつけた兵士の姿は、およそ千人。ほかは逃げてきた人々のようだ」
コリンディアの歩兵とは、何度か戦った。ことごとくつぶし、こちらにも多くを引きぬいた。もはや軍隊として機能はしていないはず。だがそれでも街を守るていどの兵士は残っていただろう。その何割かが、国を捨ててきたか。
「グラヌス、用意できる兵は!」
駆けながら聞いた。まえをいく総隊長の犬人がふり返る。
「歩兵隊の隊長すべてに命令はだした。いま兵をあつめている!」
相手は、多くの市民をひきつれた軍隊だ。攻撃してくるとは思えなかった。それでも、ひと
西の門に到着し、城壁の内側をくりぬいて作った馬房にいく。
それぞれが手ごろな馬に
「近づく集団に、動きあり! たった一名のみが、こちらにむかってきます!」
その言葉に、はっとグラヌスが顔をあげた。
「ゼノス師団長。そうにちがいない!」
おれは記憶をたどった。そうか、第一、第二、この歩兵師団とは戦ったが、第三歩兵師団とは戦っていない。その師団長の名がゼノスだ。
「おまえがいたのが、第三歩兵師団だったな」
グラヌスがうなずく。
このレヴェノア国が、アッシリアから独立してすぐに手を打った。コリンディアから兵の引きぬきだ。あのときは、もと歩兵隊副長だったイーリクが潜入し、ゼノスと会っている。
イーリクのじゃまはしなかったが、ゼノス自身は国を捨てなかった。それがいま動いたのか。
グラヌスとしては会いたいだろう。もとコリンディアの歩兵隊長だ。グラヌスが王の許可を取るために、アトへと詰めよった。
「自分をいかせてくれ。話をしてくる!」
「ぼくもいくよ」
ふたりの顔が対照的だった。うれしそうなグラヌスに対し、アトは複雑そうな顔に見える。
たしか、アトもゼノスには会っているはず。なにか考えるところがあるのか。これは、おれも同行するのがよさそうに思えた。
「ひとりに会うなら、歩兵隊を待つまでもねえ。みなでいこうぜ」
三十人ほどの近衛兵も、馬の準備はできていた。小集団で西の門をでる。
門をでて、お堀にかかる橋をわたってから馬に乗った。北西にむけて馬を駆けさせる。
兵士の報告は正しかった。一万の集団は止まっている。そのまえを、たったひとりだけが歩いていた。
にぶい銀色、
「ゼノス師団長だ!」
となりで馬を駆けるアトが、馬蹄の音に負けないよう大声で知らせた。目のいいアトだ。もう顔が見えたか。
「アト、くれぐれも不用意には近づくな!」
おれのうしろに乗るヒューがさけんだ。それも正しい。旧知の仲と見せかけ、近づけばぐさり。引きつれた一万の命を
だが、その必要はなさそうだった。
おれたちが馬で近づくと、ゼノス師団長は立ち止まった。そしてまず腰にさした剣を
王に
おれたちは、その手前で馬をおり、馬は近衛兵にあずけた。
「ゼノス師団長、お元気そうで!」
グラヌスのあいさつには答えず、ゼノスは頭をさげたまま声を発した。
「コリンディア、もと第三歩兵師団長のゼノス。レヴェノア王国、国王アトボロス陛下に、お目どおり願い申しあげまする」
近づこうとしたグラヌスが止まった。
「顔をあげてください」
うしろから声が聞こえた。おれは王のじゃまにならないよう、わきへどいた。
アトが、しっかりとした足取りで近づく。その左右には、すばやく近衛兵が入った。
片ひざをついている男が、顔をあげた。
これがグラヌスの上官だった男、ゼノス師団長か。がっしりと骨太な体格。角ばった顔には、深いしわと、厳格そうなするどい眼光があった。
わが国にいる隊長のだれより、風格があると言えた。かつてあったアッシリアとウブラの大戦。それよりも昔から、この老人は兵を指揮していたのだろう。
アトが近づき、ゼノスを見おろした。
王の左右では、近衛兵が目を光らせている。近衛兵の手のひらは、剣の
「背後におりますのは、コリンディアより参りました市民と兵士にございます」
ゼノスが口をひらいた。
「アッシリアを捨てると?」
「左様で。王都への不満がつのっていたさなか、ザンパール平原のことが、コリンディアにも伝わりました。多くの市民が街をでましたので、護衛して参った次第にございまする」
おたがい顔を知る者の会話には見えなかった。ゼノスは、あくまでアトを王として接するつもりか。
「レヴェノアへの入国を許可します」
「はっ。つきますれば、昨日までの敵。処断されるのであれば、この老体を」
「それは、ありません」
「では、およそ一千名の兵士。陛下のおんために働く場をお与えいただければ」
アトは即答しなかった。すこしうつむき、考えているようだった。まえにいたグラヌスが動こうとしたので、駆けより肩をつかむ。
「いま、いくのはよせ」
「しかし」
アトは考えがまとまったのか、顔をあげた。
「いち兵士として邁進してください。配置は追って軍師より伝えます」
「はっ!」
またグラヌスが動こうとしたので、肩をつかんでいた手に力をいれた。
アトがゼノスに背をむけ歩きだす。近衛兵から手綱を受けとると、すばやく馬にまたがり街へと去っていく。
ゼノスもまた立ちあがると、くるりとふり返り、自身がつれてきた集団へと帰っていった。
アトとゼノス。ふたつが離れたのを見て、おれはつかんでいたグラヌスの肩から手をはずした。
「立派な、かたなのだ」
グラヌスがつぶやいた。
「それは、アトも、おれですらわかるさ。だが、アトの怒りもある」
「軍師よ、王の怒りとは?」
見守っていたイーリク精霊隊長が声を発した。
「なぜ、いまなのか。アトは思ったんじゃねえかな。もっと早くに動いてくれれば、避けられる戦いのひとつやふたつ、あったかもしれねえ」
イーリクが、切なそうに顔をしかめた。
「めずらしく、きびしい王を見ます」
「きびしいかねぇ。ゼノスが、ただの兵士であれば温かくむかえただろう。だが師団長だ。そして、アトは王だ。自身の判断や行動が、どれほど多くの人の生活や人生に影響するか。まあ、うちらの王様は、まじめだからな」
肩をすくめ、軽口をたたいておく。
どちらが正しいというわけでもない。そして、おそらくゼノス自身も、こうなると思っていたのではないか。そんな態度だった。
くやしそうなグラヌスに気づいたが、まあ、放っておくことにする。
帰ろうとしたが、ネトベルフが見つめているのに気づいた。見つめるさきは、集団へもどっていくゼノスの背中だ。
さきほど歩廊で、にたような話をした。あのときネトベルフは「運がよかっただけ」と言った。
そうかもしれない。運が悪かった、または、巡りあわせが悪かった。
「まあ、なんにせよ、遅すぎた。それだな」
だれに言うでもないが、つぶやいた。
おれも手綱をもらい馬に乗る。わが街、レヴェノアに帰るため、馬のはらを蹴った。
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