第279話 紙一重

 隊長会議は終わった。


 気になることがあったので、まっさきに部屋をでる。


 扉の外には、王の護衛である近衛兵が立っていた。


「ネトベルフは、上にあがったか?」


 途中で退席した第二騎馬隊長。やつの住まいは、この城の三階にある。


「いえ、そのまま西の歩廊にでられたかと」


 城の二階から城壁にでれば、最上部の歩廊になる。歩廊にむかったのであれば、だれかと会うような用事ではないだろう。


 外の風にあたろうとしているのか。ネトベルフが部屋から退出するさいに顔色を見たが、なにやら青ざめていた。


 光沢のある石の廊下を歩き、歩廊へとでた。


 さがすまでもなかった。歩廊へでると、すぐにネトベルフがいた。胸ほどの高さにある防壁にひじをつき、外をながめている。


「おい、どうかしたか」


 あえて軽く声をかけた。おれよりずいぶんと年上だが、捕虜となったネトベルフに声をかけたのはおれだ。そのためか、猿人と犬人ではあるが気さくに話す間柄あいだがらとなっている。


 だが犬人の熟練兵は、思い悩むような顔でふり返った。


「ラティオ軍師か」

「顔色が悪いぜ」


 おれはとなりには立たず、反対の壁に背をもたれた。


 騎馬隊の両雄は、対照的なふたりだ。黙堂もくどうゆうと呼ばれるボルアロフは、その名のとおり岩のような顔だった。


 かたや、この走撃そうげきゆうは、勇ましいが凜々りりしくもある。若いころは美丈夫と呼ばれただろう。


 その顔が、いまは考えに沈んでいるようだった。


「いささか怖くなりまして」


 意外な言葉が返ってきた。アッシリアとレヴェノア、合わせれば何十年と騎兵だけで生きてきた男だ。おそれや不安などとは無縁の男に思えた。


「それはグールか。アッシリア軍か」

「どちらでもなく。しいて言えば、アッシリア軍にいたかもしれない自分自身に」


 話が読めなかった。


「あのとき、軍師の策に負けなければ。または、あの戦いに出兵の命令がこなければ。おれはまだ、アッシリア軍にいたでしょう」


 ネトベルフが言うのは、アッシリアとの最初の戦いだ。騎馬隊だけで急襲しようとしたのを逆手にとり、林のなかで待ちぶせした。長い綱で馬を引っかけさせ、さほど労力はつかわずに勝ったのだ。


「アッシリア軍にいたかもしれない。それが怖いのか」

「怖いです。バラールの件は虐殺ではないかと。街を守るバラール軍は、もういないのです。市民だけであれば、無血開城すらありえたでしょうに」


 たしかに、おれならそれを考えるだろう。


「アッシリア。やつらはおかしい。だが、もしアッシリア軍におれば、おかしいと思っただろうか。その紙一重かみひとえの運命が、急に怖くなったのです」


 話が見えた。そういうことか。


「くるべくして、ここにきた。それでいいんじゃねえか」

「軍師よ、運だけ。運がよかっただけなのです」

「そうでもねえさ」


 風格、というものがある。ネトボルフとボルアロフ、捕まえた敵の騎兵で、このふたりだけ風格がちがった。


 話をしてみると、誠実さも持ちあわせていると知った。いや、しゃべったのはネトベルフで、ボルアロフはだまっていただけか。


「軍師にひろっていただいた恩は重い」

「大げさだ。気にするなよ」


 おれは戦略のひとつとして、敵から有能な者を引きぬいただけ。感謝されるものでもない。そう笑って答えたが、ネトベルフは真剣な顔でおれを見つめた。


「せまい世界で長らく生きてきました。それが気づけば、ちがう種族とともに生きている。おれは変わった。変わることができたのです。これは、おれだけでなく、ボルアロフも思っておるはず」


 ひろわれた恩、そしてちがう社会か。だが、それだけで人は変わらないだろう。


「うちは、てっぺんのふたり、それがまぶしいからな」


 おれの言葉がわからないふうだったが、考えたのちに納得の顔になった。


「アトボロス王と、グラヌス総隊長ですか。おっしゃるとおり。素晴らしい軍隊にひろってもらい、幸運がすぎます」


 ネトベルフの言葉を聞きながら思った。やはり、ひとつではなくふたつ。アトボロスとグラヌスという潔白な巨星がそろい踏みしているのが、わが軍の強さだ。


「やはりおれは、付けあわせの野菜のようだぜ」

「軍師よ、野菜とは?」

「それより、うちとしても、早くからふたりが味方してくれて助かったぜ」


 冗談をごまかしたときだった。


「なんだありゃ」


 ここは城から西側にでたすぐの歩廊だ。北西の方角、そこへ人の群れが見える。


 人の形をしたそれは、にぶい光の反射もあるように見えた。はがねの光、ならばあれは甲冑かっちゅうか。


「くそっ、アッシリア軍か!」

「お待ちあれ、軍師よ!」


 ネトベルフが遠くの群れへ目を細めた。


「アッシリア軍の装備ではない!」

「この距離でわかるのか」

「十年以上もアッシリアで軍生活だったのです」


 ネトベルフが言うのなら、まちがいはないだろう。しかしアッシリア軍ではないのなら、どこの兵なのか。


 よく見れば、鋼の胴当てやかぶとをつけている人影はあるが、それが全員ではない。ひとかたまりだけだ。


 人の群れは一万を越えているように思える。だが軍隊ではないのか。


「一般の市民、それと軍人か。いや、そもそも、軍がアッシリアに残っているか」


 言いながら、ひとつが思い浮かんだ。ネトベルフも気づいたのか、おたがいに目があった。


「軍師、可能性があるとすればひとつ。かつて、多くの歩兵がいた最前線の街」


 ネトベルフのつぶやきに、おれもうなずいた。


「コリンディアか」


 ふたりとも自分で言いながら、まさかという顔だった。

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