第276話 戦いへの宣言

 王の城からのびる階段の下、この街でもっとも広い石畳の広場がある。


 そこに何万もの市民があつまっていた。


 階段をすこしあがった踊り場。そこに立っているのは、ふたりだけだ。ラティオと、もと領主のペルメドス文官長。王であるアトの姿はない。


「以上が、いまの状況だ。遅かれ早かれ、アッシリアとグールの混合した軍隊との戦いになる!」


 軍師の大声が聞こえた。ひととおり説明を終えたところのようだ。


「そして説明したように、グールをひきいているのは人間族だ。これは、アトボロス王となんの関係もない!」


 なるほど。ラティオは、まえもって敵が人間族である事実を伝えたか。たしかに、敵が攻めてきてから知ったのでは、大混乱が起こるやもしれぬ。


 アトが、この場にいないのは、このことを言うためか。みょうな質問がアトに飛んでも面倒になるだけだろう。


 軍師ラティオと文官長ペルメドス、ふたりの心くばりに感心したが、さらにラティオは腕をのばし右に指をさした。その方角は、西の門がある方角だ。


「去るも自由、残るも自由! 今回の戦いでわかったろう。ひとたび、ここに敵が攻めてくれば、門をとじ、跳ねあげ橋もあげる。そうなってからでは逃げれねえぜ。この国を去りてえやつは、いますぐ、すみやかに去れ!」


 おどろいた。そこまで言うか。


 ラティオのとなりにいるペルメドス文官長を見た。文官長も、真剣なまなざしを民衆にむけている。ならばこれは、ふたりで考えた案か。


 あつまった聴衆は、ざわめいていた。


 ここに兵士の姿はなく、軍師と文官長、ふたりだけで民衆に語りかける理由がわかった気がする。


 兵士がならんでいれば、いやおうにも威圧がでる。ふたりは市民を服従させたいのではない。先手を打ち、ふるいにかけたいのだ。われらが王に疑心をいだく者は、もはやこの国には不要だと。


 民衆の表情を見た。考えこんでいる者、不安な顔をしている者、それぞれだ。


 ウブラ国との会談を思いだした。あのとき、この国の兵士たちは整列して王を待っていた。兵士たちは、はらをくくっただろう。おなじように市民にも、はらをくくらせる必要があるのか。


 だが、どうだろうか。かつてナルバッソスは言った。兵士の群れは、羊のようなところがあると。市民の群れも、おなじではないだろうか。


「さあ、どうする。去るか、残るか!」


 ラティオの声が、人で埋まった広場にひびいた。


 自分も民衆に姿を見せたほうがいいだろう。群衆を掻きわけ、軍師と文官長のいる城の階段へと近づいた。


「グラヌス総隊長だ!」


 気づいた市民のひとりが声をあげた。人垣が割れる。


 割れてできた道を歩き、階段をのぼった。


「よう、地下の練習は終わったか」


 ラティオのとなりまでいくと、なんとも気軽に声をかけられた。


「ラティオよ、知っていたのか」

「ああ、デアラーゴが、われらの総隊長をしばらく放っておいてくれと。いいぜと答えたが、まさか二日も姿を見せねえとはな」


 ラティオは笑い、さらに問いかけてきた。


「おまえも、ひとことあるか?」


 いまこのとき、総隊長としては、どんな言葉をかければよいのか。ふり返り、群衆にむく。


 自分を見つめる人の群れ。その最前列に、さきほど決闘をした相手がいた。テレネも駆けつけたか。


 テレネの包帯に巻かれていないほうの右目。いつもの目だ。力強く輝いた目。表情も明るい。なにかひとつ、ふっきれたか。


 明るいテレネが好きだ。そう想い、テレネにむかってうなずくと、なぜかテレネは巻かれた包帯に手をかけた。


 引きちぎるように手荒に包帯を取る。下から生々しい傷跡が見えた。三本の爪痕つめあとが、ひたいから左ほほへ。それでも左目が無事なのはさいわいだ。


 痛々しい傷跡。だが美しくも思えた。テレネの傷は、このレヴェノアの街と市民を守った傷だ。ほこりり高い戦士の傷だ。


 その美しい戦士が、自分を見つめてくる。なにか問いたげな顔だ。


 そうか、自分は結婚してくれと言ったのだ。だからテレネは、傷跡を見せたのか!


 テレネが、まっすぐに自分を見つめていた。強いまなざしだ。それは傷跡を見せているが、あわれみを望むような目ではない。


林檎ミーロ戦乙女いくさおとめよ!」


 心が震え、思わず大声をあげた。気づけば聴衆も話しをやめ、自分が呼んだテレネに注目していた。言うべきことを言うべきときだ。


「このグラヌスと、ともに人生を歩み、ともにグールを倒そう!」


 自分を見つめていたテレネが動いた。想い人は階段の下まで歩き、こちらを見あげた。


「わたしで、よろしいのですか?」

「自分には、テレネしか考えられん」


 テレネは、軍師ラティオのほうに顔をむけた。


「軍師よ、夫のそばに立ってもよろしいですか?」

「いま夫と言ったか?」


 テレネは階段をのぼり、自分のとなりに立った。群衆へとふり返る。


「わたしは、グラヌス総隊長の妻、テレネ! この傷にかけて誓う。グールは、かならずや、夫とわたしの手によって、八つ裂きにすることを、ここに宣言する!」


 いっしゅん、おどろく声が聞こえたあと、群衆は静かになった。そののち、押しよせる波のように大きな喝采があがった。


 さすが、わが妻。自分の心にも燃えるような闘志がわきおこった。


「この夫、グラヌスに、まかせられよ!」

義猛ぎもうゆう!」


 市民から声があがった。ならばと、右手に持ったままでいた鉄の棒を天にかかげた。


「これは、この街を守りぬいた男から受け継いだ!」

衛民えいみんゆう!」


 また市民から声があがった。衛民の雄か。たみまもりぬいた男にふさわしい名だ。


「そう、ジバから受け継いだ六角棒。これでグールの牙をへし折ってみせようぞ!」


 市民からの喝采が、噴きあがるようにわいた。


「まいったな。臆病な市民との決別をねらったのに、あおりにあおりやがって」


 ぼやく軍師の声が聞こえた。


「おお、われらの王が!」


 市民のどよめきが聞こえ、王の城をふり返った。アトが階段をおりてくる。


 自分とテレネ、そしてラティオとペルメドスの四人がいる踊り場へときた。


「おい、聞いてたかアト。こいつが、市民への布告式を結婚式に変えやがった」


 アトは笑い、自分とテレネの両方を見た。


「おめでとう。やっと蜂蜜酒を送れる。ずっと一本取ってあるのに」


 その言葉に、思わずテレネと見あう。


「アトよ、こうなるのを予想していたのか?」

「きっと、レヴェノアじゅうの人が予想してたよ」


 王が市民にむかって手をふる。歓声がさらに大きくなった。その姿に、思わずほれぼれする思いだ。気づけば、なんと王の姿が板についてきたことか。


「ぼくは、ここに宣言する! グールを討ち滅ぼし、ふたたび平和な暮らしを取りもどすと!」


 アトはそう言うと、手にしていた鉄の弓を天にかかげた。今日一番の、大きな歓声がうずを巻くようにあがる。


 自分もそのよこに立ち、鉄の棒を天にかかげた。


 折れない弓に、折れない剣か。


 思いだすのはコリンディア。あのとき、たったふたりで馬に乗り、バラールへと旅立った。


 いまはなんと、人が増えたことか。


 ふいにちがう歓声がわいた。ご婦人の一団が、自分の右側にむけて手をふっている。


 アトがいるのは左だ。右側、テレネがいた。テレネも天にむかって剣をかかげていた。


 あらためて左を見る。アトがいた。このグラヌス、終生の友とは出会っていた。それはいまも、ともにあゆんでいる。


 右を見た。さらに今日、自分は生涯の伴侶まで出会ったのか。


 このさき、なにが起きても、この日を忘れないでおこう。そう胸に刻み、天にかかげた鉄の棒、そのさきにある冬の曇り空を、じっと見つめてみる。


 グールをあやつっていた男があらわれた。五英傑のメドンとも出会った。このさき、これらと最後の戦いがくる。望むとも望まなくとも、それはくる。


 ふと自身の立つ階段を見た。この階段をグールがのぼるなど、あってはならない。


 王の城へのぼる階段だ。ふだんであれば朝と夕に清掃がおこなわれる。だがいまは土ぼこりにまみれていた。グールとの戦いが終わったばかりだ。まだその余裕はないのだろう。


 じゃりじゃりとした土ぼこりを踏みしめ、自分はもういちど、冬の曇り空を見つめた。




 第十三章 グラヌス 急迫の土 終







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