第274話 かつての副官
どれほど、素振りをしただろうか。
デアラーゴ殿から教わった、積みあげるという剣の技。
上からの振りと、右横からの振り。つかみかけたのは、まだふたつほど。
やはり、かまえが重要だった。かまえが決まれば、まるで木杯のすりきりいっぱいに、ぴたりと水がはったような心地よさを感じた。
それに見えてくるものもある。
休まず歩きつづけるというヤニスの体術。全身の動きを細かく制すると聞いた。それに近い動きが、デアラーゴの剣技にも必要になってくる。
そして、かつてザクトが
「動こうと思えば、からだは動く」
あの言葉、いまなら、その入口が見えてきた気がする。
だが、ふしぎなことに、自分は天井を見つめていた。
どうやら、倒れてしまったらしい。
からだを起こそうとしたが、まったく動かなかった。
先日にウブラ国から駆けもどるさいにも倒れたが、あれとは質がちがう気する。これはすこし、まずいのではないか。
強烈に眠気を感じる。だが、この部屋は寒い。寒い部屋で眠るとは、いささか危険ではないか。
「それほど、総隊長は馬鹿ではない。そう思ったのですが」
どこかから声が聞こえた。足音もする。
あおむけに寝ころんだ自分の視界。そこにあらわれたのは、もとは自分の副長をしていた若い犬人で、よく知った顔。精霊隊長のイーリクだった。
「早いな、イーリク。もう帰ったのか」
「いえ。順当な早さです。まる二日間、総隊長がここに
なんと、二日たっているのか。たしかに陽の光が差さぬ地下の部屋。いまが昼か夜かもわからなかった。
「ここにいるのは、デアラーゴ殿から聞いたか?」
「はい。さきほど到着し、総隊長の姿がないので、どこにいるのかと」
「精霊隊をひきつれてか?」
「精霊隊どころか、歩兵もすべて、レヴェノアにもどりました」
「なんと。のんきに鍛錬している場合ではなかったな」
すこし反省したが、イーリクはあきれた顔を見せた。
「以前にフーリアの森でも、おなじことがありましたが、あれは昔。総隊長という重責を持ついまでは、そんな無茶はしないと思いましたが」
思いだした。たしかに、そんな過去があった。
イーリクは自分のからだに手をかざした。目をとじ、古代語をとなえ始める。
精霊の癒やしか。そう思ったが、はっとイーリクは目をあけた。
「この部屋・・・・・・」
イーリクがつぶやいた言葉の意味はわからなかったが、もういちど
「
このテサロア地方に住む犬人族なら、だれもが知る水の祈り。その最後の言葉が聞こえた。
からだが動くようになり、起きあがる。そして気になることがあった。
「どうかしたか、イーリク」
水の祈りをとなえ終えた精霊隊長は、水の祈りをとなえたあとも部屋のなかを見まわしている。
「この地下貯蔵庫、はじめて入りました。水の精霊、その気配がやたらと濃い」
精霊の気配。むずかしいことを言う。自分も部屋を見まわしたが、イーリクの言うそれは感じなかった。
「総隊長、ここで鍛錬をするのは危険かもしれません」
「その精霊の気配とやらか?」
「ええ。あまりここで長く過ごせば、心やからだにも影響が」
研ぎすまされたような感覚があったが、ではあれは、精霊の影響なのか。
「精霊の巣が近いのかもしれません」
イーリクが見つめていたのは、部屋の中央にある井戸。水がこんこんと、あふれでてくる井戸だ。
「なるほど、またこの部屋をつかうさいは、イーリクに声をかけておこう」
「総隊長、私の言葉を聞いておりましたか。使用禁止と言ったのです」
若き精霊隊長は、また、あきれたような顔をした。
「イーリク」
「はい」
「あきれさせて悪いが、もうひとつ、あきれることがある」
イーリクが首をひねった。自分は言葉をつづける。
「このレヴェノアには、かつてない危機がせまっているな」
「はい、わかっております」
「いま、自分になにができるか、それを考えていたのだ」
自分の言葉に、若き精霊隊長は端正な顔を引きしめた。
「二日間と言ったな、イーリク。ではその二日、素振りをしてわかった。このグラヌスにできることは、剣を振ることだけだと」
イーリクが眉間にしわをよせ、遠くを見つめた。
「深い、お言葉かと」
「お世辞を言うな、イーリク。なにが深いか。赤子も
「なるほど、くるぶし、そのあたりでしょうか」
「それは浅いな」
イーリクと見あい、笑った。
「隊長」
かつて副官だったイーリクが、かつての呼び方で自分を呼んだ。
「隊長らしいと、思います」
「そうか」
自分らしいか。
「隊長は根っからの戦士であり、軍人です。言葉で語るのが軍師であれば、剣で語るのが隊長かと」
剣で語るか。その言葉で、思い悩むひとつにも、答えがでたような気がした。
「イーリク、ひとつ、立会人をたのめるか」
「立会人、というと結婚式かなにかで?」
「いや、決闘だ」
出口へと歩きだしたが、ぽかんと口をあけ、立ち止まってているイーリクに気づいた。
「ゆくぞ。テレネに決闘を申しこむ」
気合いをひとつ入れなおし、地上にのぼる階段へと足をすすめた。
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