第272話 六角棒
鉄の棒を切る。
それが一刻ほどで仕あがるという。
ならば、この地下の部屋で待つことにした。
部屋は冷気がただよい寒かった。中央にある井戸から、こんこんと冷たい地下水が
だが、ふしぎと
オンサバロ副長は兵舎に帰した。戦いのあと、すこしは休んだらしい。だが、もっと長く休んだほうがよいのだ。
本人は帰っても眠れないと言ったが、ならば眠るふりだけでもしろと。それだけでも、からだはちがうと言い聞かした。
ただただ、なにもせず一刻待つ。
それはいまこのとき、よいことに思えた。考えねばならぬことが多い。
敵は十万のアッシリア軍。そして五万のグールだ。
グールをあやつるのは、アトとおなじ人間族。それにあの王都騎士団、五英傑のメドン。
テレネの件もあった。顔に大きな傷を負い、だれとも会わない
考えることが山ほどある。
だが、考えにふけってみても、なにも答えはでなかった。
冷たい石の床に座り、中央の井戸から絶え間なくあふれでる水を、ただながめているだけだった。
「思いのほか、待たせてしまいましたな。二刻もかかるとは」
その声とともに、ワム石匠があらわれた。二刻も過ぎたのか。そして自分は二刻も、あふれでる水をながめていただけか。
二刻も考えたわりに、わかったことはひとつ。ここのあふれでる水は、みょうに吸いこまれるような魅力がある。
なんの答えもでない自分にあきれるが、気を取りなおし立ちあがった。ワム石匠にむきなおる。
老犬人が差しだしたのは、がんじょうな
「
感心して思わず口走ったが、ワム石匠が笑った。
「旧市街の工房がある通りには、さまざまな職人があつまっておりますので」
では、街中の鍛冶屋はあつまっていないが、かなりの人手をわずらわしたようだ。
にがい笑いをこらえながら、袋に入った鉄の棒をぬいてみる。
ジバの六角杖は短くなり、にぎる部分には革が巻かれてあった。これはもはや槍ではない。どちらかといえば剣だ。
「さしずめ、六角杖あらため、六角棒とでも申しますかな」
ワム石匠の言葉にうなずいた。そう棒だ。愚鈍なほど、ただ固い棒だ。
「剣士の
それは
「これでも重いな」
なめし革が巻かれた取っ手の部分をにぎる。かるく振ってみた。通常の剣より倍は重い。
ためしに踏みこむと同時に、上から振りおろしてみる。足と手が、ちぐはぐな動きになった。
棒が重いので、振りあげるまでに間があいてしまう。これを使いこなすには、かなりの修練が必要に思われた。
「すこし素振りをして帰ろうと思う。よいものをいただき、ワム石匠には感謝を申しあげる」
老石匠はおどろきの顔をした。
「ここで素振り。かなり寒いですぞ」
「外界の音はいっさい聞こえず、静かに水が流れる音だけ。なかなかに神経が
自分の説明に納得したのか、ワム石匠はうなずいた。
「ご無理はされぬよう」
ワム石匠はそう言うと、腰にさげた鍵をくれた。石の
老石匠が地上へともどる。
あらためて自分は足を前後にかまえた。虚空をにらみ、目のまえにグールがいると思いえがいた。
せまる牙から身をかわし首すじを打つ。遅い動きだった。ならば、せまりくる牙にむけて下から振る。
戦いを想定しての素振りだった。これは十五で軍隊へ入隊していらい、ずっとつづけている。
思ってもみないことが起こるのが戦場だが、まず思ったとおりに動かせないと意味がない。
素振りをつづけて気づいた。この地下貯蔵庫という部屋、静かで集中できるというだけでなく、息が切れにくい。寒いからだろうか。
かなり長いあいだ素振りをした。それでも、六角棒は思うようには動かせなかった。
剣ならば短剣でも長剣でも、素振りをしていればなれる。しかし、この鉄の棒はなれる気配すらなかった。
「この国の
なじみのない声がしたと思えば、猿人の歩兵七番隊長、デアラーゴ殿だ。
「指示をあおごうと探したぞ、総隊長。ほうぼうへ聞き、オンサバロ副長がここではないかと」
そうか、思いのほか長いあいだ素振りをしていたようだ。
「ハドス近衛副長が、いま街の守備を見ている。その手伝いをたのむ」
「承知した。騎馬隊も、そろそろ帰るだろう。まずは街の守りか」
騎馬隊より早く帰ったのか。それは意外だ。われらと近衛隊が早いのはわかる。その次は騎馬隊だろうと思っていた。
「デアラーゴ殿は、特別に駆けるのが早いのか」
「いや、そうではない。もとはウブラの漁師。川沿いの村には、顔見知りもいる」
そういうことか。あれからカルラ運河へいき、知人の舟をつかったのか。
「ならば、デアラーゴ殿ひとりか」
「そのとおり。自身の歩兵隊は、あずけてきた。この身ひとつだけでも王都に帰るべきだと。ナルバッソス総隊副長も了承したのでな」
それは正しい判断だ。
「しかし、戦いは終わっていたな。ジバという男の命と引き換えに」
「そうか、デアラーゴ殿をわが国に誘ったのは、たしかジバ」
「いや、誘ったといえば、キルッフ、ナルバッソスもそうだ」
ひさしく耳にしていない名を聞いた。かつて
「三人に誘われた。そのうちのふたりが、もういないことになる」
デアラーゴは悲しいというより、遠い目をした。それは長く軍人をしている者の顔に思えた。そして自分もおなじだ。悲しみはあるが、それが表だってあふれることはない。
遠い目をしていた熟練の軍人は、視線をもどした。自分の手元に気づく。
「総隊長、それは?」
「ジバ殿がつかっていた六角杖だ」
デアラーゴは、うなるように顔をしかめた。
「そんな重いものを振りつづけていたのか。からだを壊すぞ」
「がんじょうが
軽口をたたいてみたが、デアラーゴは笑わなかった。どうも自分は冗談がへたらしい。
「すこし、見てやろう」
そう言うと、デアラーゴは部屋を見まわした。ちょうど、片手用の剣が壁に立てかけてある。
あれはたぶん、ワム石匠が持っていたものだ。地下水路から入ってきたさい、あの老猿人が持っていた。
もと漁師の歩兵七番隊長は、無造作に剣をとった。軽く、ひと振りする。そしてかまえた。
おどろいた。サナトス荒原で、この猿人が調練をしているのは見たことがある。だが、こうして
デアラーゴが剣をかまえる姿には、まったくの
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