第269話 護衛の大男

 西門の回廊にある兵舎に帰り、寝台に寝ころがった。


 そこまでは、おぼえている。


 糸がぷつりと切れたように、そこからいつ寝たのかが思いだせなかった。よほど深く眠っていたのだろう。


 自室から回廊にでてみると、真昼の明るさだ。


 明るいのはいいが、おかしなことがある。部屋へもどったのは夜明けだった。そのとき、まだ回廊のそこやかしこにはグールの死骸しがいがあった。それがどこにもない。


 壁や床に血のしみは残っている。まだ異臭もした。だが死骸はない。


 これはどうやら、まるまる一日寝ていたか。夜明けに寝て、昼ごろ起きるつもりが、もう次の日になっているわけだ。


 回廊の外側、防壁の上から頭をだす。西の門を見てみた。


 門はひらき、跳ねあげ橋もおりている。レヴェノアは平穏な日常にもどったか。自分が寝ているあいだ、やはり敵の襲来はなかったようだ。


 橋の上で立っている門衛に目が止まった。


「ハドス殿!」


 呼ぶと、こちらに気づいたようだ。近衛副長が手をあげた。


「起きたか、総隊長!」

「あれから、敵の襲来は?」

「ない。こっちはまかせろ。ゆっくり休め!」


 ハドスはそう言うと、なにか用があるのか門のほうへむけて人を呼んだ。


 甲胄をつけた兵士が姿をあらわし、ハドスのいる橋の上へ歩いていく。


 生き残った守備兵は六十八名しかいない。ならば、あれは近衛隊か。自分やアトに遅れていたが、やはり最初にもどったのは近衛兵たちか。


 外に突きだした頭をひっこめる。かつて王都守備隊をひきいていたハドス殿なら、まかせておいて安心だ。


 王の城へと回廊を歩いた。


 回廊の内側にならぶ兵舎には、人の気配がない。近衛隊は帰ってきたようだが、そのほかの隊は、まだのようだ。


 ならぶ兵舎には、扉があいたままの部屋もあった。おそらく、死んだ兵士の部屋だろう。


 回廊を歩き、城へ入る。


 最上階の廊下につくと、大きなからだの猿人がいた。


 アトの住む王の居室。その扉のまえに立っていたのは、ひたいにずるむけたような傷のあるヒックイト族の男、イブラオだった。


「今日は、イブラオ殿が護衛か」


 兄のブラオは歩兵三番隊をひきいているが、この弟のほうは歩兵には入らなかった。はじめはヒックイト族の特使をしていたおぼえがある。


 近衛兵となったのは、ゴオ族長が近衛隊をひきついでからだっただろうか。近年の戦場では、アトのそばにいる姿を、よく見かけた。


「護衛がおれでは、不服か?」

「そんなことは思ってもおらぬ」


 怒ったようにイブラオが言うので否定しておく。顔の下半分がひげにおおわれているため、冗談なのかどうかわかりにくい。


 感情が読めない顔だが、疲れているように見えた。


「駆け足の帰路であったろう。きちんと休んだのか?」


 聞いてみたが、余計なことだったようだ。イブラオはぎろりと、ひげの強面こわおもてでこっちをにらんだ。


「近衛隊が、街の守りに取られている。ラティオの野郎め」


 なるほど、それを命令したのは、うちの軍師らしい。そしてこのイブラオは、その命令を無視しているにちがいない。


「仕方がないのだ。王都守備隊は、ほぼ壊滅といっていい」

「そのぐらいは、おれもわかる。だが、こんなときこそ、敵は王をねらうかもしれねえだろうが」


 なるほど、暗殺か。いちりある。


「では、引きつづき、よろしくたのむ」


 礼を述べて部屋に入ろうとしたが、イブラオがそれを止めた。


「アトボロスは、起きちゃいねえ。無理がたたったんだ。まだ寝かしてやってくれ」


 それも納得だが、臣下というより、アトの兄か父親のような口ぶりに笑えた。


「近衛兵にとっては、この国の危機より、王のからだが心配と見える」


 嫌味というより、このイブラオを笑わせようとしたのだが、返ってきた言葉は意外だった。


「この国の心配は、しちゃいねえ」

「相手は、アッシリアとグールだぞ」

「そうだが、そこは、おめえとラティオが、どうにかするだろう」


 聞きまちがいだろうか。同郷のラティオはわかるが、自分のことも入っていた。


「このグラヌスを信頼していると、そう申すのか」

「ああ。犬人のなかじゃ、おめえは認めてやる」


 それはありがたい、とでも言うべきだろうか。返答に困っていたら、イブラオのほうが言葉をつづけた。


「長い人生でも、うちの族長にいどもうとしたのは、おめえぐらいだろ」


 たしかに、ゴオ近衛隊長には、ごくたまに剣を見てもらっている。だが、自分だけではない。


「ドーリクも、カルバリスも剣をあわせたはずだ」

「それは手合わせだろう。死ぬことはねえ」


 言われている意味が見えてきた。


「まさか、最初にアグン山をおとずれたさいのことか!」

「そうだ。おめえ、剣をぬこうとしたろう」


 もはや忘れそうな遠い記憶だ。ラティオにつれられ、自分とアトはヒックイトの里へ入った。そのとき自分はゴオ族長を見て、思わず剣をぬきそうになったのだ。


「逃げるでもねえ。いちかばちか、それともちがう。おめえの眼は、族長に勝とうとしていた。どうやったら勝てるかと探していた眼だ。族長に対して、そんな眼をした者を、おれは知らねえ」


 あのとき、この男は自分を見ていたのか。


「みょうなところで褒められたものだが、次の日には、怒鳴どなられたぞ」


 冗談のつもりで言ったのだが、これは伝わったようだ。イブラオは笑った。


「そりゃ、おめえが、でしゃばるからよ」


 そう、この男がアトに聞いた。グールは怖いかと。その会話のあいだに入ろうとしたが、ひっこんでいろと怒鳴られたのだった。


「おれは頭がよくねえ。むずかしいことはわからんが、アトは守ってやる。国の命運は、おめえらにまかせた」


 ここ数日に、よく聞く言葉に思えた。まかせた、たのむ、そんな言葉を多く言われた気がする。


「おまかせあれ、と言いたいが、正直、アッシリアとグールの大群たいぐん、それに五英傑の聖騎士メドンまでいる」


 こっちにはゴオ族長がいる。ヒックイト族なら、そう言うかと思ったが、ちがった。ちらりと背後の扉を見て、イブラオは口をひらいた。


「アトボロスは鉄の弓をつかう。そこから、折れない弓などと言われるが、類は友を呼ぶ。おれには、おめえは折れない剣に見えるぜ」


 それは過分な評価だ。そう言おうとしたが、イブラオは言葉をつづけた。


「五英傑は強えだろう。だが、おめえ、負けるとも思ってねえだろ」


 そう言われて、思わず首をひねり考えた。たしかに、勝つのはむずかしいと思うが、どうにか勝てないだろうか、そう思っている。


 みょうなところで褒められ、みょうなところではげまされた気分になった。


「イブラオ殿は、かしこいのだな」

「馬鹿か。蛮族に、なに言ってやがる」


 猿人の大男は鼻で笑った。自分はアトが起きてから、またくると伝え、イブラオに背をむける。だが、ふと思いついた。


「アトが折れない弓、このグラヌスが折れない剣というならば、さしずめ、近衛隊は倒れない盾か」


 うまいことを言ったつもりだが、がははと、イブラオは豪快に笑った。


「アトボロスに追いつけず、のきなみ倒れた近衛兵がか?」

「あれは、だれでも無理だろう。この総隊長も倒れた」


 ふたりで笑いあった。笑いあったが、イブラオはふっと遠い目をした。


「おれらの国、正念場だな」

「そうだな。あらためてイブラオ殿、アトをたのむ」


 おれらの国か。このイブラオも、レヴェノアを自身の国としている。それが印象に残りながらも、自分は王の城をあとにした。

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