第268話 守備隊詰所
かつて「王の宿屋」と呼ばれた建物だ。
石造りの四階建て。まだ王の城がない当時は、このレヴェノアでもっとも高い建物だった。
いまは王都守備隊の詰所となっている。その屋上で、アトの背中を見つめた。
アトは、屋上のへりにある手すりのまえに立ち、街を見おろしている。
左を見れば、ラティオもいた。わが国の軍師は、腕をくんで遠くを見つめている。
いつもの三人だ。だが、だれも口をひらかず、それぞれがなにか考えているようだった。
東の空が白み始めている。もうすぐ夜明けだろう。
手すりのまえまで歩き、下を見た。この王都守備隊の詰所、その入口に人の列ができている。
あつまっている人々は市民だ。ジバの遺体を、この詰所に安置している。最後のわかれをしたい人々が列をなして待っていた。
ジバを知る人々は、これほど多かったのかといまさら思う。
「おい、ラティオ」
「次に、留守番はしねえ。おぼえとけよ」
どこか遠くを見ていたラティオだったが、サンジャオへとふりむいた。
ふたりは、おなじヒックイト族だ。だが、ふたりとも、同郷のよしみなど
「おりゃ、次はグールとの戦いにでる。もう留守番はしねえぞ」
「わかった」
ラティオは短く答えた。サンジャオも、それ以上は言わず屋上をあとにした。
「弓兵隊の生存者は?」
街を見つめたまま、王のアトが聞いた。
「だいたい、三百ほどだ」
ラティオが答えた。三百か。弓兵隊は、ほぼ千人いたはず。
「サンジャオさんは、かたきを取りにでたいんだな」
街を見つめたまま、アトが言った。おそらくそうだろう。
弓兵隊は王のアトが隊長、サンジャオは副長となっているが、実質はサンジャオが隊長だ。
みずから手塩にかけた弓兵の、ほとんどが死んだ。小柄な猿人だが、からだのなかにあるのは大きな怒りだろう。
「そして、六十八か」
アトがつぶやき、大きく息をついた。
そう、ジバがひきいた王都守備隊。その生き残りは六十八名。生き残った守備隊の副長、オンサバロから戦いのようすを聞いたさいには、耳をうたがった。
いかに、この三日間の戦いが激しかったか。王都守備隊は九百人近くいたはずだ。それが六十八名。隊長のジバも死んだ。もはや全滅といえる。
そして全滅といえばだ。
「ラテイオ、諜知隊は、どうなっているだろうか」
聞いてみたが、猿人の軍師は答えなかった。
みな、怒りをためている。それは街の者もおなじだ。
防城戦には、多くの市民たちも参加していた。聞けば、ジバといちどは仕事をした人夫たちだという。
その人夫たちも、ジバの遺体を目のまえにしたとき、アッシリア国へのうらみをさけんだ。
街に怒りが充満している。だが、その裏では、この街にかつてないほどの危機がせまっている。
アッシリアとグール。どう立ちむかえばよいのか。
東の地平線に、太陽が顔をだした。夜明けだ。
太陽は血のしたたるような赤い色をしていた。冬の冷えこんだ朝にでる太陽は、このような赤い色をすることが多い。
日が差し、うっすら明るくなってきた街の外を、ぐるりと見わたす。
城壁の外にひろがる荒野のなかに、敵の姿はなかった。
帰ってすぐラティオとアトは、城壁をまわって歩いた。そのとき、外に人影を見たと言っていた。偵察にきた
敵は王が帰ってきたことを知ったはず。ここから再度の攻撃はないだろう。敵はこちらの詳細を知らない。王が帰ったということは、レヴェノア軍も帰ったと思うだろう。
「アト、夜は明けた。もう安心だ。そろそろ休んだほうがよい」
「わかってる、グラヌス。もうすこしだけ」
アトは自分と目をあわせ、うなずいて言った。アトは怒りというより、悲しみに満ちた目だ。
自分もうなずき、屋上をでるために歩きだした。
いま城壁には、文官や役人によって見はりは配置してある。総隊長の自分も、休んだほうがよかった。
寝て起きれば、やらなければならぬこと、話しあわねばならぬこと、山のようにあるだろう。
だが、そのまえに寄りたいところがある。
屋上をあとにし、街におりた。
自分の部屋があるのは西の門。そうなのだが、北にむかって歩く。
歩いていると、周囲が明るくなった。レヴェノアの住民が自慢する旧市街の街なみ。そこに朝日が差しこんでいる。
石畳の両側には、黒い石の土台に、白い
激しい戦いがあっても、レヴェノアの街には傷ひとつない。王都守備隊が、その身をていして守りぬいた。
その旧市街もぬけ、さらに北へと歩く。
あらたに造られた建物が多い区画だ。そのうちのひとつが目的の場所だった。
ただの長方形のような姿をした、武骨な石造りの二階建て。治療所だ。
治療所は二棟造る予定だった。一棟は怪我や軽い病気、もう一棟が重い病人や
だがその建設中だった二棟目は、石造りの壁が半分ほど崩れ落ちている。取り壊される寸前のような状態だ。おそらく、城壁から投げる石を取ったのだろう。
崩れていないほうの治療所にむかう。
半円の形をした入口をくぐる。するとそこはいまも戦場のような、いそがしさだった。
部屋に入りきらない
「ご婦人」
いそいでいたのだろう。むっとした顔でふり返ったが、自分が総隊長であることに気づいたようだった。
「これは、グラヌス様」
「テレネ巡兵隊長は?」
王都守備隊の副長であるオンサバロから聞いていた。
「階段をあがり、いちばん奥の部屋におられます」
隊長であり女性、小部屋を用意したと、婦人は付けくわえた。
建物のはしにある階段をあがり、長い廊下をすすむ。歩いていくと、ちょうど奥の部屋から人がでてきた。
でてきた者も白い衣服の婦人だった。
「テレネ巡兵隊長は、起きているだろうか?」
「起きておられますが、ご面会はおことわりしております」
「グラヌスがきたと、伝えてくれぬか」
「いえ、ご面会をおことわりしているのは、ご本人様でございます」
だれとも会わない。テレネがそう言っているのか。
「待たれよ! いや、お待ちいただきたい」
歩き去ろうとした白衣の婦人を呼び止めた。
「テレネのようだいは?」
「命に別状はございません。ですが、顔の左半分にグールの爪による大きな傷をおっております」
思わず、石の廊下を蹴りたくなった。
本人が、だれとも会わないと言っているところ、なにもできることはない。
自分は治療所をあとにし、住まいのある西の門へと帰ることにした。
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