第266話 地下水道
「アトに、女遊びの話か」
あきれて笑ったのはラティオだ。
夜の闇のなか、小川にそって歩いている。
レヴェノアの街は遠くに見えるが、かなり離れた場所だ。まわりに敵の気配もない。
アトが教えてくれたのは、地下水道という道だった。
街の地下には貯蔵庫があり、そこから地下水道がのびているというのだ。
それを造った中心人物が、ワムという
「あの、じいさんか!」
ラウリオン鉱山で助けた老犬人と聞き、ラティオは思いだしたらしい。自分はおぼえていなかった。
「しかし、その地下水道、ラティオも知らぬとは」
自分はわかるが、軍師もおなじとは意外だった。
「軍の編成で、いそがしかったからな。ボンじいとペルメじい、街造りは、あのふたりにまかせっきりだ」
そう言われれば、アッシリアとの戦いもあった。あのときはラティオの奇策により、自分とコルガ、そしてデアラーゴの三小隊で敵の指揮官をねらった。
「着いた。ここだよ」
アトが足を止めたので、自分とラティオも足を止める。
ふたつの小川が合流した場所だった。合流して、一本の川が始まっている。それほど大きくもないが、むこうへは飛んでわたれないほどの
「ただの川、そうとしか見えぬが」
それらしい穴はなかった。地下水道の出口らしき横穴はない。
「いや、グラヌス、ちがうぜ。川の両岸は
ラティオの言葉に、川をよく見た。たしかに、ここだけ石積みによって造られている。
「音を、よく聞いておけよ」
そう言って軍師は、落ちていた石をひとつ拾った。川に投げ入れる。どぶんと音がして、石は沈んだ。
「わからねえって顔だな。この川、大きさにくらべ、けっこう深いぜ」
ラティオの言う意味を考えた。
「地下水道の横穴は、水面より下か!」
三人で見あった。これは入るのに苦労がいる。
「そのワムじいが言うように、ここからボレアの港へ女遊びをしにいくのなら、けっこう命がけだな」
ラティオは笑って言うが、そのとおりだ。出口は水のなかで、水にもぐる必要がある。
「軍師よ、笑っている場合でもない。その地下水道が、どこまで水につかっているか。もし街までなら、
遠くに見えるレヴェノアの街灯りを見た。また火柱があがった。戦いはつづいている。
「自分が調べてこよう。ほかに有力な手もない」
腰にある剣がじゃまだ。
「みんなでいこう。駄目なら、すぐ引き返せばいい」
それは、すこし危険だ。だが、いそぎ街へ入りたいのも確かだった。三人とも剣や荷物を置き、川べりの石垣に腰かける。
「アト、泳げるようになったのか?」
自分の問いに、われらが王は顔をしかめた。
「ごめんよ。そこだけは訓練していない」
反省の必要などない。この王は、じゅうぶんすぎるほど働き者なのだ。アトの手をにぎり、多忙な王に笑いかけた。
「このグラヌスの手を離さぬよう」
「わかった」
アトが強く手をにぎり返してくる。
「うしろから、おれがいく。引き返すときは、おれにつかまれ」
ラティオもそう言って笑った。アトは顔をしかめる。
「世話が焼ける弟みたいで、申しわけないな」
アトの言葉に、自分とラティオの目があった。そのまったく逆を、ついさきほど話していたばかりだ。
「ではいくぞ!」
アトがうなずいたのを確認し、ふたりで足から飛びこむ。
川は思ったより深かった。ゆっくりと沈み、やっと底につく。
冬の川だ。水は
背後にした石垣を蹴り、反対の壁まで泳ぐ。手さぐりで石垣をたどると、腰の高さあたりに横穴があった。かがんでアトの手を引っぱる。
アトも横穴がわかったようだ。自分がさきになり、かがむような体勢で穴に入った。
足の裏は底についている。左手で水を
底に傾斜がついているのも気づいていた。水面にでれるか。そろそろ息が苦しくなっている。
いそぎ歩きつづけると、頭のさきが水面にでた気がした。背をのばす。暗くて見えないが、顔が水面からでた。
「息ができるぞ!」
アトは水中だ。これでは聞こえない。
引きよせ、腰に手をまわし持ちあげた。
「がはっ!」
「アト、落ちついて息だ!」
アトが
「くそっ、足がつかねえか!」
ラティオの声。友の猿人は、このグラヌスよりわずかに背が小さい。
「自分につかまれ!」
ラティオが水を掻きわけ泳いでくる。左手で捕まえ、抱きあげた。
「おお、なんだか初めて弟になった気分だ」
われらの軍師がつぶやく。それもそのはず、このグラヌスの右にアト、左にラティオを抱きかかえていた。
「では、この兄にまかせよ!」
なんとか足を一歩だす。ふたり抱えて水のなかだ。腕も足も、限界に近い。
「落っことすなら、王様じゃなくて軍師のほうだぜ」
ラティオの軽口を返すことができなかった。歯をくいしばり、一歩、また一歩と足をだす。
それでも、この猿人の軽口がありがたい。穴のなか、暗闇で下は凍てつくような水である。ひとりでは恐怖でさきへと進めないだろう。
しばらく進むと、水位が下がってきた。
「おろしていいぜ、そろそろ足がつくだろう。アトも、今度はおれが持つ」
ラティオが言うので腕を離した。アトを預ける。解放された両腕が、悲鳴をあげるように痛みを感じた。
進んでいくと、さらに水位は下がり、アトもみずからの足で歩けるようになった。そして暗闇のさき、わずかだが明かりが見える。
三人で水を掻きわけ歩く。
水位はどんどん下がり、ひざが浸かるほどの深さになった。
暗闇のさきに見えた明かりは近くなり、ついに、その光のなかに入った。
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